第7話 息苦しい気遣い
◇◇◇
木火土金水、五つの気の強弱を見きわめる。そして、よどみなく気が巡るように糸色を決める。それが撰糸だ。
突出した気を抑えて全体をならす手法もある。巡りが素早く安定し、危急のおりには特に役立つ。だが長く使えば、相手は本来の気を満足に発揮できなくなる。
透緒子が教わったのは逆の手法。足りない気を糸でおぎない、元の強さを損なわないよう巡らせてやる。
教えてくれたのは生みの母だ。顔すら思い出せないのに、組師として必要なことは覚えている。
かん、こん、と組玉を鳴らす。丸い組台の脚に玉が当たって、木と木が軽い音をたてる。
絹糸の束を巻いた八つの組玉を、決まった順序で動かす。糸束どうしが交差して、少しずつ少しずつ、紐になっていく。
瀬田の奥部屋では、朝餉と夕餉をいただき寝支度をする以外のほとんどを組紐に費やした。
当然、志貴でもそうすべきと思っていた。まして抱え組師というなら、寝る間も惜しむべきとすら。
志貴家預かり、二日目の昼下がり。
わずか一日過ごしただけで、掃除係に客間を追い出された。
ほこりひとつない部屋のどこを掃除するのか。廊下で困惑していると、少しは日に当たったほうがいいからと、屋敷からも追い出された。
早くも組師の務めを
透緒子は今、見たことのない生き物たちに囲まれている。
「およめたん。およめたん」
片手に乗せられるほどの大きさ。豆腐のようなやや黄色みのある白。丸っこい大きな頭と、頭に不釣り合いな小さな躰。
見つけたときは、かさがきわめて真ん丸な、めずらしいきのこかと思った。よく見れば小さな胴に、手足らしい突起が四つ付いている。かさには豆粒みたいな大きさの目と口がある。
あやかしにしては、面隠しがない。
「およめたん」
なぜか透緒子をおよめたんと呼ぶ。
断じて嫁では無い。そもそも、誰の嫁だというのか。何度も何度も否定したが、とうとう透緒子が根負けした。
「およめたん、おはな」
「おはな」
「ありがとうございます」
されるがままにしていたら、真ん丸きのこたちは透緒子の身体に花を乗せる作業に
しゃがみこんだ透緒子の太ももに、こんもりと黄色い花が盛られていく。せっかく詰んできてくれた花を地面に落とすのはしのびない。じっとして花をため込み、なおも摘みに出かける真ん丸きのこたちを見守る。
「む?」
「むー」
ひとり言は「む」。どこかに去っていき、また寄ってきては、短い腕だか手だかを伸ばして透緒子に花を披露する。
「およめたん、きれいきれい」
「そうですね。きれいな黄色」
「……およめたんときたか」
ふいに低い声が
「おっと」
ぐいと背中を支えられ、今度は前方に倒れる。ぼふっとおさまった先は朔灯の胸だ。おまけに、彼の着物に顔の痣をこすりつけてしまう。
枯れた声が裏返って、「ごめんなさい」はまともな音にならない。
すぐに離れようと、右手で朔灯の胸を押す。けれど、背中に回った朔灯の腕は透緒子を逃さなかった。透緒子の細腕では、いくら押してもびくともしない。
「足がしびれたのだろう。おさまるまで待て」
「でも、呪いが」
「透緒子どの。
すると、朔灯のひざによじ登った真ん丸きのこが、ぺちぺちと彼を叩いて抗議する。
「およめたん、やまい!」
「やまい! おだいじにー!」
「あぁ、おまえたちからすればな」
朔灯はあぐらをかき、自分のひざの上に透緒子を座らせた。
「
「気を悪く、なんて……」
病も呪いも、透緒子にとってはかわりない。いまさら言葉選びひとつで、何を思うこともないのに。
無用な気遣いが、また透緒子に降ってくる。
押し黙っていると、標霊の小さな手が透緒子の左手の痣に触れた。
「ないないなぁれ。ないない」
幼い頃、自分もそんなことをよくやったものだと思い出す。沙夏に伝染りでもしたら大変だと、こどもじみたまじないは義母に止められた。
伝染らない。今さら言われたところで、瀬田の家は決して信じない。想像がつく。
「そうそう、透緒子どのにこれを」
朔灯は
「やはり撰糸のやりようが気になってな」
「面隠し?」
広げた布には、使用人たちの面隠しと似た模様が描かれている。
「面隠しは封じ印。これは
「わざわざ……この三月のためにご用意くださったのですか」
「当たり前だろう。撰糸のたびに魅入られては、いつか心を患う」
ふっと微笑む朔灯の顔に、透緒子の喉がつきつきと痛んだ。
心地が悪い。この屋敷は、嫌だ。
「あ、りがとう……存じます」
護法印の描かれた布をたたみ、しびれの止んだ足で立ち上がる。
それではと会釈し、小走りで庭をあとにした。
借り物の着物はしゃんとしすぎていて、走るとかたく感じる。透緒子にはつぎはぎでくたびれた、いつもの着物がちょうどいい。
◇◇◇
組玉を鳴らし、少し眠り、また鳴らす。
あやかしだらけの屋敷にも、朝昼夕の三食を摂る暮らしにもどうにか慣れてきた五日目の昼下がり。ようやく妙江のための組紐が仕上がった。
組玉八つの
色は、
やはり、特上の糸は違う。
大満足の透緒子なのだが、受け取った妙江の漂わせる空気は重い。
「なぜ夜なべなさったのですか」
「していません。寝ました……ほどほどに」
「主様はそんなに厳しい期限を強いたのですか。でしたらこの妙江、すこぉしわからせてまいりますが」
「い、いいえ。私の都合です」
妙江がはぁと息を吐く。それから、透緒子が出した組紐を手にして、表面を撫でた。
「触れただけでも、心地よく躰の芯に馴染みます。すぐに主様にお届けしてまいりましょう」
組紐を手に早速と動き出す妙江に、透緒子は慌てて腰を浮かした。
「透緒子様は少しお休みくださいませ」
「いえ。私がお納めするのが筋ですから」
客に直接紐を手渡すことは今までなかったから。せっかくなら、沙夏の真似事をしてみたくなった。
妙江と並んで廊下を歩いていると、向こうから、盆を手に使用人がやってきた。皆と同じ藤花の着物だが、面隠しを下げていない。ひとりだけ人間を雇い入れていると聞かされていたが、透緒子が会うのは初めてだ。
使用人の女は、透緒子を見て「あっ」と驚いた顔をする。
透緒子が妙江の影に左半身を隠そうとすると、女はぱたぱたと駆け寄ってきた。
「透緒子様ですかね?」
声に嫌悪がない。おびえもない。歳は透緒子と変わらないか、少し上か。
「お隠れにならんでください。
「……は、い」
「あれまぁ、声がかれてらっしゃる。客間は冷えていかんですね。
「も、もともと、こういう声で」
「おや。そいじゃあお部屋に、茅弥の
「……はぁ」
からっからと明るく笑ったあと、茅弥は妙江に顔を向けるなり真剣になった。
「妙江姐さん。応接なら後になすってください。
「あら……それは間の悪い」
「姐さんも善さんも逃げたくなるほど、こうですよ」
言いながら、茅弥は左右の人さし指を、
「ご老体の角が折れるのを待ってからにいたしましょうか」
「それがええです。葛湯ならすぐに用意できますんで、一服しましょ」
そこに、廊下の向こうから大声が飛んできた。
「外の組師なんぞ、断じて認めんぞ!」
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