第2話 傍若無人な来訪者

 早朝、今度は無遠慮な足音に起こされた。

 義父母のものとも、沙夏のものとも違う。世話人が朝餉あさげを届けにくるには早すぎる。


 透緒子は布団を片すみに寄せ、寝間着の前合わせを整えた。朝の支度を待ってくれるような足音ではなさそうだ。

 縛っていた髪を一度ほどく。手櫛でまとめ、左の痣を隠して結いなおす。来訪者にそなえて中廊下を向き、畳に指をそろえて頭を下げた。


 ぱん、と。

 清々すがすがしい音を立てて障子が開かれる。まだ残っていた眠気が吹き飛ばされた。


「ここにいたか」


 この声は昨夜、板戸越しにさんざ聞いた。志貴家の当主なる美丈夫のものだ。上目遣いで探ると、昨夜見たものと同じ軍服が目に入る。

 改めて礼をするというのは世辞ではなかったのか。名家の律儀りちぎさに感心しつつ、透緒子は下げた頭をさらに深くした。


 ばたばたと追いかけてきた義父が、あわわとまぬけ声でうろたえる。


「志貴様! こんな時間に、こんな奥まで立ち入られては困ります!」

「無礼は承知だが、ひと晩待っただけ良しとしてくれ。まっとうに訪ねたところで、ご店主はこの組師どのを隠してしまわれるだろう?」

「何をおっしゃいます! 当家の組師は、昨夜お目にかけました娘の沙夏にございます」

「たとえ組師だったとして。あの娘の目に、あやかしの気はひとかけも見通せまい。違うか?」


 快活な美丈夫の声は一転して、低く鋭利なものになる。ひと言に秘めた刃はあまりに強い。義父が息を飲む音は大きく、顔を伏せた透緒子にも届いた。


「組師どの。昨夜、俺の遣いの気を見極めたのは、あなただろう?」


 透緒子は声を出さず、畳にひたいを擦りつける寸前まで身体を折りたたんだ。礼など恐れおおいのだと、態度で訴える。


 だが、美丈夫は透緒子がそろえた指先から、わずか三寸のところにひざをついた。こちらが身を引くより早く、かたく大きな手が伸びてくる。

 彼は痣におかされた透緒子の左手をつかみ、あごを強引に上向かせた。


「痛々しいな。この痣……すべて呪いか」

「志貴様っ!?」


 客人の傍若ぼうじゃくぶりに狼狽ろうばいした義父が、中廊下の板を軋ませる。騒ぎを聞きつけた義母と沙夏が、身支度もそこそこに駆けつけてきた。


「名は?」


 透緒子はきゅっと唇を結んだ。こういった事態には、沙夏が代わりに口を開く約束だ。廊下へ視線を投げかけると、うなずいた沙夏が板敷きに正座した。


「昨夜の無礼をお詫びします。妹は、声が出せないのです。ですからいつも、私が代わりを務めます」

「俺の遣いは耳が良い。この組師どのが話せることなど、とうに知っている。これ以上の上塗りはよせ」


 厳しい口調に、沙夏の顔が青ざめる。


 あごをつかまれたままの透緒子は、義父母と沙夏の黙りこくる顔をしばらく眺めて待った。しかし瀬田の家からはこれ以上、何も声が上がりそうにない。完全に圧倒されてしまっている。


 観念して、結んでいた唇をゆるめる。


「先に、手を離してくださいますか」


 透緒子の口からは、十八と思えない、しわがれた老女のような声しか出ない。ざらざらとして耳障りで、澄んだ沙夏の声とは雲泥の差だ。


 美丈夫は、意を突かれた顔で透緒子から手を離した。少し眉をひそめ、「声までか」と小さくもらす。


「透緒子と申します」


 居住まいを正して名乗る。

 すると、男は透緒子の前にきちりと正座して、軽く頭を下げた。


志貴しき 朔灯さくひだ。俺の遣いが世話になった」

「お役に立てて何よりです」


 次に顔をあげた美丈夫――朔灯は、すいと間をつめてきた。


「で、だ。なぜ白なんだ」

「え?」

「青が来ると思った。元の紐も青だったからな。だが、透緒子どのの選んだ紐は白だった」

「藍白ですから、青とも取れますが」

「いいや、あれはもう白だ。もったいつけずにカラクリを教えてくれ」


 もう、端正な面輪おもわが目の前にある。気圧された透緒子はこくっと生唾を飲んだ。


「……遣いさまは、の気を強くお持ちです」

「そうだ。火を封じるならすい。青だろう?」

「楽に封じるなら、確かに青紐でしょうが……それでは遣いさまの毒になります」

「毒?」

「抑えつければ毒に。支え、巡らせれば力になります。昨夜の遣いさまの落ち着きようなら、火の気を少し鎮めて、火を強めるもくの流れを和らげれば足ります。それでも封じきれなければ、改めて火の気を抑えれば良いかと」

「なるほど。それで、藍白か」

「はい。木を和らげる金気こんきの白、それに火を鎮める水気すいきの青。ここにある出来合できあいの組紐のなかでは、いちばん割合が良い紐です。それから――」


 はっと気づいて、透緒子は言葉を切った。組紐のこととなると、知らず饒舌じょうぜつになってしまう。義母の苛立つ視線に、顔を伏せる。


「それから?」


 正面から、高揚した声がする。

 透緒子が顔をあげると、朔灯はこどものような目をして、興味津々とこちらを見ていた。


「それから、なんだ?」

「それ、から……新たに正式な紐をお作りになるなら、やはり青でなく白を。八津組でしたら白四つ、青ふたつ、それに……ごく淡い黄をふたつほどの割合で組まれますと、遣いさまの毒になることなく、巡りを良くすることが」

「透緒子! およしなさい!」


 義母の鋭い声が、しゃしゃり出た透緒子をいさめる。

 だが朔灯は手をあげて義母を止め、ふむふむとあごを撫でた。


「奥深いものだな。青さえ与えれば済むかと思ったが」

「……いえ。出過ぎたことを申しました。お抱えの組師さまならば、簡単におわかりのことでしょう」


 退妖師の四大家なら、透緒子よりずっと腕のいい組師を抱えている。その組師が青紐を付けさせたなら、きっとそのほうが正しい。

 饒舌に過ぎた。後悔して朔灯から目をそらす。だが、逃げる視線を先回りするように、彼は首をかたむけて透緒子と目を合わせた。にっと口角をあげると、彼はどこか少年じみた顔になる。


「ご店主。ものは相談だ。透緒子どのを志貴にいただけないか」

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