第2話「錬精術士のお仕事」1




 法整自由都市ほうせいじゆうとしソクラテス・ポリス――


 この土地にはもともと、前時代の遺跡群が存在しており、それを利用しようとする人々が集まってつくった街が、この都市ソクラテス・ポリスの前身となる『旧都』である。


 利用……つまりは遺跡を破壊して建築資材としたり、隠された先人の墳墓から副葬品を盗掘していたわけだ。


 起源からしてロクでもないこの街だが、それを咎めるようにして現れたのが第一の厄災――『ヌース』と呼ばれる存在だった。


 地下……後に『ダンジョン』と呼ばれる未開拓領域から、数多の魔物・怪物を引き連れ現れたそれは都市住人を攻撃、生活や身の安全を脅かされた人々は次々と街を離れていき、この都市は一時、無人の廃墟と化した。旧都時代、あるいは廃都時代と呼ばれる数十年も前の出来事だ。


 そして、その無人都市に目を付けたのが、今現在『冒険者』と自ら名乗る連中の先駆者始まり。彼らは……まあ、中には故郷を取り戻そうという殊勝な者もいたかもしれないが、その大半の目的が廃墟に残された住人たちの金品や物資であった。魔物退治はことのついで、あるいは褒賞でもあったのだろう。


 ともあれ、そうした暴力だのみの冒険者らによって旧都は人々の手に取り戻されるに至り、『ヌース』の現れた入り口からダンジョンの存在を嗅ぎ付け、そこに一獲千金を求める者たちが集い始め、現在に至る都市のかたちを形成していったという次第である。


 ただし、歴史はそう単純ではない。

 冒険者のような野蛮人が集まれば、当然そこが無法地帯となるのは避けられないからである。


 しかしそうはならなかったのには、二つの大きな要因があった。


 一つはより強い者が生き残るという弱肉強食の論理。強い実力を兼ね備えた集団クランの台頭である。彼らが荒くれ者たちをまとめ上げていき、後の『ギルド』を設立した。


 そしてもう一つ、ギルド設立と前後してこの都市全体に起こった一つの概念事象ホロファクトル――良心に背けば罰を食らうという、いわゆる『天罰事象』の存在である。


 たとえば、悪意をもって他人を殴ったとする。そうすると、殴った反動で悪意をもった者の腕が折れるといった具合だ。盗みを働けば何かを失い、人を殺そうとすれば最悪自分が死に至る。

 それはまるで呪いのようで、当時の人々がどのような混乱に陥ったかは想像するに余りあるが――冷静になれば、これは当然のことだ。というより、人々が願っていることそのものなのだ。


 悪いことをすれば、それに応じた報いを受ける――清く正しく生活している人間は報われるべきである、と。


 そして、そうした悪事を働こうとする前に、心に強く「これはやってはいけないことだ」と働きかける「何か」が生まれるようになったのである。


 それはさながら、高いところから物体が下へ落ちるように、時間が決して過去には戻ることがないように、当然のようにそこにある、一つの概念事象であり、物理法則。


 ――つまり、『魔法』だった。


 個人がその才を磨いて会得する、体系化された秘術である『魔術』とは次元の異なる、今や失われてしまった唯一一点ものの「何か」だ。


 都市全域どころか、「都市住人である」という自覚がある者ならどこにいようとお構いなく影響し、ギルド設立から数十年経った今なお続いているこの強力な魔法がなんなのか、その正体を知る者はいない。

 こうした都市圏内に働く概念事象を「都市を守る神によるもの」と考える向きもあり、そうした神を祀った神殿を有する都市もあるそうだが、この街には『教会』はあっても神殿の類いは存在しない。


 ギルドを設立した者たち内のの誰かが『魔法使い』であったのか、はたまた都市の遺構の中にそのような効力を有したものがあったのか……真相は神のみぞ知る――いや、ギルド上層部のみぞ知る、といったところだろうか。


 ともあれ――法のもとに自由が約束され、人々が正しく在るよう努めた結果としての平和が保たれているのがこの都市の現在、というわけである。


 どの国家にも属さず自由を謳い、比較的平和でありつつ一獲千金の夢もある――冒険者を名乗る荒くれ者のほかにも、国を追われた罪人や故郷をなくした難民たちが希望を求めて流れ着く終着点、あるいは掃きだめという混沌とした側面を持ちながら、魔法という「加護」があるがゆえに秩序を保っている――


 わたしのような身寄りのない小娘が、都市郊外にある人の寄りつかないような森の中でひとり安穏と暮らしていけているのはそういうわけなのである。




 さて――ミーネルらが他のツテを当たっているあいだ、わたしが魅了状態チャームになっているバカの面倒を見ることになった。


 というより、可能な限りの処置を施す時間である。


 しかしまあわたしの見解だと、こいつが異常嗜好の持ち主でなければ、『魔力汚染』――魔力を媒介とした精神干渉だと思われる。


 ……そも、モンスター等の「魅了」というやつは、同族もしくは同じモンスター類に対してつかわれるものだ。鳴き声であったり、花における花粉のようなものを放出したりする。基本的には交配目的であり、たまに戦闘、つまり「狩り」に用いられる。生物的な肉体に影響を及ぼすものである。

 古い魔物が人間に対して使ったという話はあるものの、実際の効果のほどは不明だ。化け物に興奮するなんて、そもそもが異常なのだから。


 仮にそうした異常を引き起こせるとしたら、それは精神に干渉する方の魅了、つまり魔術の領分になる……というわけだ。古い魔物のそれも魔術によるものと見て間違いないだろうが――


「ヌース……」


 ちょっとだけ、引っかかる。


 亜人ヒュムニアのような魔物……久しく確認されていない存在だ。


 そうしたモンスター自体は数多く存在している。半獣半人だったり、ヒトに擬態するという特殊なものまで様々だ。


 エイフが異常嗜好の持ち主でなくても――相手がわたしたち人間ヒュムニアに近い外見をしていたら、どうだろう。


 半人半蛇のモンスターはその視線で見たものを石にするというし、半人半魚のモンスターはその声を聞いたものを錯乱させるという。それらが生体反応によるものか、それとも魔力汚染なのかは定かではないが……。


 しかし、いずれもこの近辺にはもう生息していないし、発見された当時にそれらの生態を記録しようとした識者もいなかったので正確な情報は伝わっていない。わたしの手元にある文献も、近代になって編纂された、各地に残る伝聞等を集めたものでしかない。圧倒的資料不足。こういう時、わたしは「冒険者この野郎」と強く思うのだった。まあ手元の文献も、いちおう冒険者を名乗る者によって記されたものであるのだが、それとこれとはまた別の話。


 ともあれ――どうしてくれようか、このバカ野郎。

 貴重なサンプルと見れば、多少は可愛らしくも思えるのだが――


「ぽわぽわ~」


 といった感じに虚ろな目をして口も半開き、涎が垂れていないのがやや不思議なくらいの間抜け面だ。顔はこちらに向いているのに、焦点が定まっておらず視線も合わない。ただしちゃんと瞬きもしているし、口内から唾液が溢れる前にわずかに口を閉じ嚥下している。


 ……魅了の症状はその由来がどうあれ、反応は肉体に現れるもので、大まかに二種に分けられる。


 一つは激しい興奮状態になるもの。この場合は明らかに「ヤバい」と分かるし、今回の場合には当てはまらない。目も充血するし、呼吸も荒くなって発汗もするのだが、エイフにそれは見られないからだ。


 もう一つが今のエイフのように、ぼんやりと茫然自失に陥るもの。全身が脱力し、目を閉じているか、瞳が乾燥して生理反応として瞬きをする。手足も投げ出され口も開きっぱなしで、今頃ウチの床はいろいろな体液で汚れていることだろうが――それも、ない。


 魅了の異常深度にもよるだろうが……おかしな症例である。


 そも、ダンジョンからここまでのあいだに症状が治まっていないというのも不思議な話だ。例の「生魔物」とやらとの接触もほとんど一瞬だったようだし、それでここまで異常が長引くものだろうか。


 一瞬で、且つ長時間の影響をもたらす――やはり魔術の類いなんだろうが、いちおう、ウチの薬も飲ませるのは一瞬で、場合によっては丸一日のあいだ効果を発揮するものがある。


 いわゆる『惚れ薬』だ。媚薬という場合もあるが、そちらは興奮状態をもたらすことに重きが置かれている。


 しかし最近そうしたものをつくった覚えはないし、仮に依頼されてつくったとしても、それを売るかどうかは相手の立場による。依頼主が独身で、恋する相手の心を射止めようと用いるつもりなら、販売はしない。売っていいのは婚姻関係にある相手に用いる場合だけと、先代から固く言われている。職業倫理というやつだ。


 そもそも『惚れ薬』というやつは完全なオーダーメイドで、その材料として、依頼人とそれを飲ませる相手の身体の一部を必要とする。


 つまり、赤の他人用につくられた『惚れ薬』をエイフに飲ませても、期待するほどの効果は得られない、という話である。だからこの線はなし、と言いたいのだが、仮にこのバカを狙って、事前に『惚れ薬』を用意していたとしたら、どうだろう。そうした薬物は知識と設備さえあれば、ウチでなくても製造は出来る。


 薬物でなくても、最初から特定の個人を狙っていたとしたら、「一瞬で長時間」も魔術的に可能かもしれない。むしろ魔術とはそうしたものだ。


 ……可能性としては無きにしも非ずだが、だとすればそれはもう「犯罪」である。


 この街の「加護」がそれを許すはずがない――もちろん精神に異常をきたしている者が時に「抜け穴」を通ることもあるわけだが――別にエイフの身にこれといった実害が出ているわけでもない――それなら罪に問われないか?


 話を聞けば、「犬」を深追いした先に問題の魔物がいたというし――犬を「釣り」に使って――しかしそれはもうヒトの「狩り」で、モンスターの類いがとる行動では――ヒトがモンスターを操って……?


「……ヌース」


 知性を持つ魔物、モンスターがいる――


 しかし、だとしても、それはなんのために?


 ……疑問や興味は尽きないが、それを考えるのはもう趣味の領域で、今わたしがすべき仕事ではない。いちおう原因の究明にも繋がるのだから、仕事の範疇ではあるのかもしれないが――


 今わたしがするべきは、このバカをどうやって「元気」にするか、その方法を考えることだ。




               ―――第2話「錬精術士少女趣味お仕事」 続く



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