第1話「森の工房の看板娘」2




 その人間ヒュムニアの少年は、名前をフィン・エイフという。

 ミーネルたちの小隊パーティー平和な眠りパス・エスタ』の一員で、わたしとは古い顔馴染みといえる。


 ダウマが背負ってきたヤツは現在、店のイスに座らされてぼんやりと、どこを見るともなしに中空に視線をやっている。まるで怪しいクスリでもキメたかのように、どこか恍惚とした表情を浮かべていて、気味が悪かった。


 なんでも、モンスターの懐に飛び込んで行ってその攻撃を喰らったようで、それ以降ずっと何をやってもまともな反応を示さないでいるらしい。意識が朦朧としているのかぼんやりしていて、自分で歩けはするが足取りは定まらず、放っておくと何をしでかすか分からない状態だという。


 こんなバカ知るか、と放っておきたいところだが、いちおう情状酌量の余地はあるのかもしれない。敵の攻撃を喰らったのはあいつの不注意によるものだが……そのパーティーでの役割は先行偵察で、先制攻撃をして敵の不意をつき、毒物や短刀を用いた接近戦をするのが仕事だ。獣人ヒューニマルに比べて小柄で非力な人間、それもエイフのような少年に務められる、荷物持ち以外に唯一活躍出来る役割。稼ぎを得るためには仕方のないことだが、そのような職を選んだ時点で自業自得だと言えなくもないので、やっぱり自己責任として放っておくべきか。


 まあ、昔馴染みのよしみで、という話ではなく、常連客からの依頼となれば無視するわけにもいかないのだが。それがわたしの仕事である。暴力頼みのバカがいるから成り立ってる職業なのが悲しいところだ。


 見るからに嫌そうなわたしの様子に、ミーネルがやや申し訳なさそうに言う。


「『教会』に行けば一発かもしれないけどねぇ、また説教されるのもあれだしさぁ……」


 これだから冒険者というやつは、と説教したくなる気持ちも分からないでもないが、『教会』こと『神秘教会』のそれは話が違う。「教えを説く」という意味での説教であり、いわゆる勧誘である。それが嫌なら金を払えという話になるのだが、説教を受けるなら無償で治療してくれるという次第なので誰も文句が言えないわけだ。


 いずれにしても、勝手に怪我なり魔力汚染なりしてきた冒険者は何かを言える立場ではない。特に今回の場合、エイフのそれはあまり見ない症状だ。大方、夜間巡回だけでなくダンジョンにまで深入りしたのであろう。


「いやぁね、久々に『生魔物ナマもの』を見たもんだから、ついねぇ?」


 悪びれた様子もなく供述する冒険者だった。


 魔物というやつの活動は日の沈んだ後、夜間に活発化する。ねぐらであるダンジョンから外に出てくるようになるのだ。そのため各冒険者パーティーが持ち回りで夜間の巡回をしているのである。


 しかし、そうして夜に這い出して来る魔物というのはいわゆる『悪霊』の類いで、物質的な実体を持たない存在のため、倒したところでロクな稼ぎを得られないというのが実情だ。巡回自体にも給金は出るが、それも微々たるものらしい。そのため冒険者は「生」の魔物を深追いしがちなのである。


 危険だと分かってもそれをする、それが「冒険する」ということだ、などと――こういう連中相手には返す言葉もない。議論の余地というか、時間を割く価値もない。


 ともあれ、ここで問題になるのはわたしがいかに冒険者という連中を毛嫌いしているかでも、彼らの職業意識についてでもなく、ミーネルの言うその『生魔物』がなんなのか、ということだ。


 ネズミが宝石をため込んでいたであろう時代には、まだ生物的な実体を持つ魔物が数多く存在していたという。だがそれらは冒険者によって徹底的に駆除されてしまった。魔物も生物である以上はどこからともなく自然発生するものではない。姿を見なくなるのは必然だった。


 そこで、既に図鑑上でしか見られなくなった、生物的な……ネズミのような害獣を含むものを『脅威生物モンスター』と呼び、近代になって夜間に現れるようになった「悪霊のようなもの」を『魔物』と呼び分けるのが一般的になっている。


 そして、もう一つ。古くから『魔物』と呼ばれるものには、近代のそれとは別にもう一種あって、動物的な機能を有しながらも生物とするには抵抗を覚える外見、性質をした――『怪物クリーチャー』と表現されるべき種が存在する。


 一説によれば、近代の『魔物』はかつて存在したモンスターや『怪物』の成れの果て、残された怨念が具現化したものであるという。そのため暗闇を好み、倒しても倒しても絶滅することがないのだそうだ。実際、『魔物』を倒したときにドロップするアイテムは『怪物』のそれとよく似た金属片なのである。


 ――で。


 ミーネルの言う『生魔物』とやらは、これら三種のうちのどれに該当するのだろうか。聴取を続ける。


イッヌっぽい見た目をしてたのが数匹いてねぇ。これはラッキーと思って、逃げてくのを追ったのよぉ――エイフが」


「追わせたんじゃねぇか、姐さんらが」


「まぁそうだけども」


 見た感じ、エイフの状態異常は、ウチでつくっている『惚れ薬』や花街の女魔術師が使う『魅了呪文』のそれと似ている。いわゆる『魅了状態チャーム』というやつだ。


 問題は、この症状が何に由来するものなのか、という点。


 たとえばウチの商品の場合、それは身体機能に働きかけるものだ。結果的には精神にも作用するが、その実態は薬品等による生体反応である。


 一方で、魔術による魅了というものは、魔力を用いた精神への干渉である。精神の状態が肉体に影響を及ぼし、興奮や酩酊状態に陥ることで正常な思考を行えなくしたうえで、相手を自分の言いなりにしたり、動けなくなった隙を突いたりするわけだ。花街の女性たちが客引きのために利用したり、古の魔物が獲物の動きを封じたりするために使ったとされる。


 このように、心身両面に効果があるのはたしかだが、その原因が異なれば症状への対応も変わってくる。わたしの専門分野といえば言わずもがな前者で、肉体に由来して症状を起こすものへの対処である。『魔力汚染』と呼ばれる後者の方もいくらか症状を軽減させることは出来るだろうが、ともすれば悪化させかねないため、処置を施す前の問診は正確に行う必要がある、というわけ。


 で――わたしは遅ればせながら、ミーネルの言葉に反応する。


「……犬?」


 生の魔物、つまり悪霊の類いではない、実体をもった存在だとして――それがフェロモンなどの手段で生体反応を引き起こしたのか、あるいは魔術的な作用でこのバカを魅了状態にした……。


 いずれにしても――要するに、犬に発情したのか、こいつは。


 ……うわあ。


「ちょっと待てよ嬢ちゃん? いちおうな? こいつの名誉のために言っておくけどな? 犬じゃないんだよ」


「その追った先で、別に居たみたいなのよねぇ。たぶん群れのボスだわぁ、あれ。私も一瞬だけ見たけど、亜人ヒュムニアっぽかったようなぁ……」


 あぁ、そう。でも相手が魔物であることを考えると、やはり異常嗜好モンスターフィリアなんじゃないのかとも思うが――……まあ、もう少し話を聞いて、観察してから結論を出そう。別に、すぐに死ぬようなものでもあるまい。


「私はあれ、『厄災ヌース』なんじゃないかって思うのよねぇ……」


 ミーネルの何気ない発言に、わたしは眉をひそめ、ダウマは「またか」といったような呆れ顔を浮かべた。


 ――『ヌース』といえば、伝説を超えてもはや神話上の存在とされるものだ。


 いわく、ヒトのような知性を有した怪物――ヒトのように道具を使い、魔術を、失われた「魔法」すら操るという……。


 荒唐無稽な話である一方、迷信深い人々からは今なお恐れられている――不吉の象徴であり、その前兆。


「さっきのネズミ騒ぎもそうだしねぇ、このところ冒険者の失踪も相次いでるっていうしさぁ。街のなかで何かと起こってるのよねぇ。あの『ミラクル・ジョー』も……最近じゃ『タマなしアーナス』もどっかに消えたって言うじゃなぁい?」


 後者については知らないが、前者の方の噂は客としてやってくる花街の住人らからたまに聞く。

 そのほとんどが悪口だが、特別嫌われているというわけでもないようで、それが逆にその男がどのような人物かを如実に語っていると言える。花街の女たちに好まれているということはつまり、典型的なロクでなしの冒険者だということだ。タマなしなんとかもきっと同じ類いのクズ野郎に違いない。


 冒険者なんて、みんなそうだ。金と女、そしてスリルを求める、無責任なロクでなし――


 失踪や蒸発なんてなにも、珍しい話じゃない。実力を過信したバカがダンジョンに深入りして野垂れ死んだのか、借金を抱えきれずに夜逃げでもしたのだろう。


 ここは、法整自由都市ソクラテス・ポリス――『ダンジョン』と呼ばれる未開拓領域を近郊に擁するために、一獲千金を夢見る『冒険者ギャンブラー』が集う街なのだから。




                 ―――第1話「森の工房ひきこもり看板娘ひねくれもの」 了



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