第1話「森の工房の看板娘」1




 ――声がする。


「こいつ、まぁだぼんやりしてるんだが……?」


「ここでダメなら、教会に頼るしかないわぁ。はあ、どうしたもんかしらぁ……」


「説教……一時間程度で済めばいいな……」


 はぁ、と――男女の話し声と、気が滅入るようなため息が聞こえてきて、わたしは意識を取り戻した。


 どうやら気を失っていたらしい。太陽が久々に顔を出したのだろう、冬の空気が暖められたことで起こった生体反応である。別にヒマだったからと居眠りしていたわけではない。


 膝の上に置いていた大判の書籍から顔を上げる。半ば無意識に、直前まで開いていたページ――『触手形樹ローパー』というモンスターのイラスト――を撫でながら、本をわきに置いたその手を車イスのハンドルに伸ばし、腕に力を込めて車輪を回す。


 勢いをつけて前進し、工房と店舗とを仕切る両開きのドアを蹴破るようにして開いた。蹴破るといってもわたしの脚は動かないし、ドアの表面にはクッションがついているので痛みもないが、眠気覚ましにはちょうどよい衝撃だった。


 がらんとした店舗側に出ると、左手の方からベルの音が鳴った。そちらに顔を向けると、ちょうど扉が開き、二人の獣人ヒューニマルが姿を見せる。


 先に入ってきた女の方は軽く頭を下げて戸口をくぐってきたが、あとから来た男の方は身をかがめるどころか、地面に膝をついてほとんど四つん這いになって店の中に入ってきた。

 これではまるでウチの設計に問題があるかのように見えるが、標準的な人間ヒュムニアにはなんの不便もない。問題は彼ら獣人の方で、つまりは戸口につっかえるような背丈の主なのである。


 獣人――ふさふさだったりごわごわだったりする体毛に全身を覆われた、人間と獣の中間のような外見をした人々ヒュムノーだ。

 平均的な獣人女性はみな、標準的な人間の成人男性よりやや高い身長らしいので、今やってきた彼女はやはり「背が高い」部類に入るのだろう。男の方はといえば、さらに大柄。標準的な人間よりもさらに目線の低い車イスのわたしにとって、二人の獣人はその身長差だけで、ほとんどモンスターのように見える。


 加えて、彼らはそれぞれ武器を所持しているうえ、男の方なんて荷物と一緒に人間の少年を背負っているのだ。盗賊か人攫いの類いと思って、わたしが溶解促進剤アシッドボムをぶち撒けても彼らに反論は出来ない。口を開いても出るのは悲鳴くらいのもの。やはり反論の余地などないのである。


 しかし、わたしは笑顔で接客する。


「いらっしゃい、それで今日はなんの御用なのかな?」


 相手は、いわゆる『冒険者』――ウチの常連なのだ。


「おや、珍しいわぁ。お嬢ちゃんが店番なんて」


 女の方――おっとりとした口調に似合わず、見た目はしゅっと引き締まった細身で、姿勢良く立っている。両の側頭部から伸びた耳は細く長く、わずかに広がっていて、一方で尾の方は小さく丸みを帯びている。


 名前は、たしか……ねるねり――そうだ、コーネリィ・ミーネル。後ろのクマみたいな大男は……あーだこうだ……アルクーダ・ダウマだ。


 ミーネルはちらりと店内に目を向けてから、


「メルカはどうしたの?」


「仕事。花街はなまち宿街やどまち


 用があるならそこを探せという意を込めてぼそっとわたしが答えると、ダウマが「久々に顔出したと思ったら、ヌコかぶり一瞬かよ」とぼやく。それこそ花街にでも行けと思ったが、睨むの面倒だったので無視。いちおう、常連相手だから許される対応である。


 ……こっちは笑顔で接客するのも一苦労なのだ。わたしは左目に顔半分を覆うような眼帯をしているから、表情が分かりづらいらしい。そのため、顔面の筋肉を総動員して1スモルにもならないスマイルをつくらねばならない。


「昼間っから花街かあ、いいねえ」


 クマ男の台詞に、わたしは鼻で笑う。


 どうせ他に客もこないよ。しかし『冒険者』などという、手に職つけないその日暮らしなどに言われたくはない。モンスターから市民を守る自警団のような活動をしているとはいえ、冒険者が暴力を頼りにするロクでもない連中なのに変わりはないのだから。


「花街っていうと、あれかしらぁ」


 まだ続けるのかその話、と思いつつ、わたしは車イスを繰ってカウンターの内側に移動する。仮にも常連なので、雑談に付き合うのも仕事のうちだ。クマ男がどんな反応をするか期待しつつ、わたしは答える。


「ネズミ捕り。今、あそこ、衛生環境最悪」


「なん、ですと……?」


 大男が青ざめる。まあ体毛に覆われているため顔色なんて分からないのだが、その声は若干上ずっていた。こんな大きな獣人がネズミを恐がるとは滑稽な話である。耳でもかじられたのかもしれない。


「そうそう。今、歓楽街の方でネズミが湧いてるらしいのよねぇ」


 そのネズミを駆除してほしいという依頼があって、メルカ――ウチの店番は、歓楽街の実地調査フィールドワークに出ているのだ。


 ネズミを追い払ったり殺したりする薬なら比較的簡単につくれるのだが、依頼主である宿街の女将ときたら、やれ「追い払ってもまた戻ってくるかもだし大量に現れるところを見たくない」だの、「殺せばどこかで死体が腐ってエゲつないことになるから嫌」だのといろいろ注文をつけてくるものだから、メルカがネズミの『巣』を探すことになったのである。死体まで完全溶解するにしても、その棲み処を突き止める必要がある。


 ウチの経営としては「定期的に必要になる薬」の需要があれば都合がいいのだが……冒険者をまとめ都市の管理運営を担う組織『ギルド』から、ウチの「経営の立て直し」のために派遣されてきたメルカにとっても好都合のはずなのだが、そこは女将の方が一枚上手だった。


「ネズミっていえば、昔は『ラッキーマウス』、幸運の象徴って言われてたのにねぇ。地下ダンジョンに通じる入り口を教えてくれるとか、その巣には金銀財宝を蓄えているとか」


 ……それである。メルカもその巣にあるかもしれないお宝につられたクチだ。金銀財宝を見つけて一息に経営改善、などと……思考が冒険者のそれで、困った経営コンサルタントなのだった。


 ネズミの習性としてはたしかに、巣のなかに鉱石をはじめとした「硬いもの」をため込むというものがある。一生伸び続ける前歯を削ることに使っているそうだ。この都市――ソクラテス・ポリスが出来た大昔であれば、金銀財宝を蓄えていたという話もあながち眉唾ではないのだろうが……。


「ネズミは魔物だ、即刻退治すべき!」


 親でも殺されたのかという憎しみを感じた。恐怖は憎悪に転じるものらしい。


 それなら冒険者の仕事だな、と思いはしたが、口にしなくても自分で気づいたようだ。ダウマは苦々しい顔になり、ミーネルがにやにやする。


 ところで、ネズミといえばその多産性から「子宝に恵まれる」とか、商売繁盛の象徴とされるそうだ。宿を貸したり家を売る宿街からすれば『ラッキーマウス』と言えるのかもしれない。一方で、芸を見せたり体を売る花街の人々からすれば「子宝」というやつはご遠慮願いたいところだろう。


 宿街・花街両方を取り仕切る『歓楽街の女将』はといえば、「ネズミ無理、マジキモい」とのことなので、今回のネズミたちの運命は決したものと思われる。


 聞くところによれば、歓楽街は最近何かとトラブル続きらしいので、場合によってはヌコの手も借りたいと冒険者が駆り出されることもあるだろう。

 薬をつくりそれを売るウチとしては、それだけでは成り立たなくなっている現状、客を繋ぎとめるためにも常連には情報などを売っていくべきなのだろうと思う。


 そんなわけでミーネルに「仕事」の話を伝えてから、わたしはダウマが背負っている人間の少年に右目を向ける。


「それで今日は、なんの御用なのかな?」




                ―――第1話「森の工房アトリエ看板娘ヌコかぶり」 続く



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