第9話 カフェと看板娘
【カフェと看板娘】
「……よし、何も変わってない。何もなくなってないし、増えてもいない。だろう?」
正直何が減っていても増えていてもわからないような、ごちゃついた私室と生活感溢れる居間を見て周り、相棒に同意を求める。
いくつもあるクッションとこまごま飾られた雑貨は、全て最初からこの部屋にあったもので、目に馴染んだそれらにおかしなところは感じられなかった。
相棒も一応はキョロキョロと確認していたが、物の多さに呆れてか、フスと小さなため息をついただけだった。
さてあまり悠長にはしてはいられない。
窓辺に並んだ鉢植えのラディッシュに水をやり、密集した若葉を数本引っこ抜いて雑に洗いキッチンペーパーに挟む。
ムサシやコゲは食べないだろうが、自分とダダにはちょっとしたおやつになるものだ。
ほかに家でしておかなくてはいけないこともないので、すぐに玄関を出てムサシの待つ軽トラに乗り込む。
ムサシは運転席の窓から顔を出して、通りがかった角丸耳のご婦人と雑談していたが、自分が乗り込んだところで話を切り上げ、軽く手を振ってそのご婦人を見送った。
自宅からカフェに戻る道は、いつも自分が通っているルートだった。
見慣れた電柱、毎朝叫ぶ男の家、銀杏屋敷、小さな雑貨店、合歓の木、信号。
……車なんて全く通らないと思っていたのに、今軽トラに乗せてもらって、信号の色が変わるのを待っている。
なんだかそれが不思議で楽しくて、でもどう言い表して良いかわからず。膝の上で丸くなっている相棒の腹を、無意味にくすぐってみたりした。
カフェに戻ると、軽トラは慣れた様子で裏手の小さな駐車場に入り、やれやれと一息つくようにエンジンを切った。
「ありがとう」
ムサシと彼の相棒に伝わるよう、頭を下げて礼を言う。
「ありがとう!」
間髪入れず親指を立てそう言ったムサシに、返し方は「どういたしまして」だと教え、かわりに角丸耳の言葉ではなんと言うのかを教わりつつ助手席から降りると、勝手口の脇に置かれた細長い葉が密集して生えるプランターが目に止まった。
マスターが育てていたものなら枯らしてしまうのもなんとなく気が咎める。
ダダたちが出かけた後にでも水をやらなくてはと考えながら、荷台から荷物を下ろすムサシを待って、勝手口のドアノブを引いた。
ポーン……ポポ……ポッポッポ……
「え?」
この店で聞いたことのないピアノの音が聞こえ、思わず斜め後ろのムサシと顔を見合わせる。
あまり広くもない店内に、今朝までピアノがなかったのは確かだ。
店内にいつも流れていたのはゆったりした民族音楽だった。
「やぁやぁ、おかえり二人とも」
開いた勝手口に気付き、コゲが顔を出した。
「驚いたろ。ダダと表の道でこの店のことを何人かに伝えて戻ってきたら、見覚えのあるピアノがそこにあってさ」
彼が指差した先には古いレースのかかった四角いピアノと、その前に座りニコニコとこっちを見ているダダの姿があった。
「これはうちにあったピアノなんだよ。ならば、私たちが家に帰ったら、このピアノがあった場所はもぬけの空になってるのかな。変化の瞬間こそ見れなかったが何か変わりつつあるのは確かだね」
ピアノの側に寄り改めて店内を見渡すと、座席の配置などが微妙にずれて、元からピアノがそこにあったかのようにしっくりくる空間ができていた。
「二人はこれ弾けるのか?」
「いや、全く。蓋を開けたのも初めてだよ。押せば音が出るのは知ってたけど」
ダダが答える声に被せるように、コゲがポーンと鍵盤を押さえ、おどけた顔で笑う。
その音が妙に響くので、店内にはもう民族音楽がかかってはいないことに気が付いた。
「ダダたちの家も、早く見てきた方がいいんじゃないか」
変化の只中にある実感が急速に湧き、彼らの家の方も心配になってしまう。
「じゃあ君たちも帰ってきたし、そろそろ行こうか」
ダダは特に焦りもないのか悠長にそう言って腰を上げた。
「――?!―――――――――――!!」
二人を見送ろうと一歩動いた瞬間、カウンター内で魚を冷蔵庫に入れようとしていたムサシが突然大声をあげたので、慌ててカウンター内に駆け込む。
「これうちにあったやつだって!」
コゲが素早くムサシから事情を聞き取り、彼の指差している壁の上を見ると、見事な大きさの魚の魚拓が貼り付けられていた。
「あんまり気にしてないものだったからさっきは気付かなかったってさ」
こんな大きなものがなくなっていて見落とすだろうか。
そうは思ったが、案外普段意識していないものなんて素早く確認した程度では気付かないものなのかもしれないし、ムサシの家に寄ったときにはまだ家にあり、その後ここに現れたのかもしれない。
「私たちの家のピアノがここに来て、ムサシの家の魚拓も来たのなら、ウータンの家のものも何か来てるんじゃないかい?……なんとなく、さっきからこの店が私たちに店を続けさせたがってるような気がして」
実は自分もうっすらそんな気がしている。
しかし、店内には自宅で見たことのあるものは今のところ見当たらない。
「後でゆっくり探してみるけど、とりあえず二人は家を見てきなよ」
窓辺に差し込む日差しが黄色味を増している。
もうすっかり午後の色だった。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。わりと近いからすぐに戻るよ」
「ああ。いってらっしゃい」
カフェの玄関先で二人を見送る。
もう少し陽が傾いたら散歩の者も増えるだろうが、今はこの通りを歩く者の姿はなかった。
さて店内をもう一度調べるか、と踵を返した瞬間、とても見過ごせないものが視界の端に映った。
「看板娘先輩」
それは、鮮やかな水色の布でできた胴体と、すっくとのびた長い耳、夥しい花柄に覆われた頭部と、小さな手足を持つ獣の木彫人形だった。
昨日マスターがオムカエと共に消え、店内にいた客と話を済ませ帰した後、開いていることを示す表の看板を畳んだのは自分だ。
それを扉の開け閉めの邪魔にならない死角に立てかけたのも。
そのときには、もちろん看板の板以外何も付いて無かった。
しかし今、明らかに見知った姿がその看板を抱えるように引っかかっている。
「……店を、開けろと?」
相棒ではない。
だから動くことも、意思表示もしない。
どころかあの家で見た記憶もない。
しかし自分は確かにこれを知っている。
誰かが「ボッチャンの先輩だよー、うちのお店の看板娘先輩!」と言いながらこれを動かしておどけていた、そんな記憶がある。
「店を開けて、この看板に看板娘先輩が付いてたら……」
ちょっと不気味な見た目だ。気持ち悪がる常連客もいるかもしれない。
しかし、自分のオムカエが来たときには、きっと良い目印になる。
ダダが言っていた言葉はやはり当たっていたのだろう。
この店は、まるで変化を使って意志を伝えるように、カフェをカフェとして続けさせようと誘導しているように感じる。
しばらく逡巡し、結局看板に手を伸ばした。
ガコンと開いて表に設置し、看板娘先輩を落ちないようにそっとそこにぶら下げる。
カフェの外観をじっくり眺めてみても、何も変わっていなかった。
ただ看板に人形がぶら下がっただけで、まるでもう一つ居場所が増えたような、責任が増えたような、妙な高揚感とこそばゆさを感じた。
「―――、―――――――――?」
扉を開けて出てきたムサシが、看板を指差して何か尋ねる。
笑んだ表情から、カフェを開けるのかと否定する気はなく聞いているようだった。
「やってみてもいいかな、と思って」
頷きそう答えると、彼も親指を立てて頷く。
ダダとコゲが帰ってきたら、改めて相談してみようと思う。
見よう見まねでも四人でなんとかここを続けられたら、街並みも変わらないかもしれないし、何よりもう、それぞれの物が呼ばれてしまっている。
ここで色々な種族の言葉を学んだりしながら、世界の輪郭を追えるような話を集めたりしながら、それぞれに合う飲食物を提供し、そうして待つのも良いんじゃないか。
マスターのときのようにオムカエが、自分たちを迎えにくるその時を。
変容街のカフェで待つ イビヲ @ivy0
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