第8話

ジーザスもち丸と名乗った白い長耳が伸ばした手を握ると、少しひんやりとしていて落ち着かない気持ちになった。

「自分はウータン。よろしく……」

傍でムサシがソワソワと洋服で手を拭い、ジーザスもち丸に視線を送っている。

「あの、ムサシはいつもここに来てるんじゃ?」

「彼はムサシというのか。最近食料品を届けに来てくれるようになったんだが、言葉が通じなくてね」

「モチマル!」

待ちきれないといった様子で、ムサシが念入りに拭いた片手を伸ばした。

「……言ってやってくれないか。半端な聞き取りで名前を切り取られるのは好きじゃない」

苛立ちとまではいかないが少しだけトーンを落としたその物言いに、彼らの間で既に一度コミュニケーションの失敗があったことが伺えた。

「ムサシ。彼は、ジーザスもち丸。ジーザスもち丸」

ゆっくりと繰り返しながら、復唱するよう合図を送る。

「ジーザスモチマル」

「それでいい。よろしく、ムサシ」

「よろしく!」

会話から単語を拾うのが早いムサシは、多分彼の名前を早合点して不興を買ってしまったのだろう。

オムカエの件でダダたちと話し合ったように、どうやら名前は相当重要な『ここにくる前』からの持ち物のようだ。

正確な名前で呼ばれ、ジーザスもち丸の雰囲気が和らいだ。

一度失敗したコミュニケーションを挽回できたのがよほど嬉しかったのか、ずっとニコニコと上機嫌なムサシが彼に食料品のダンボールを渡す。

彼は中身を軽く確認し、ちらりと背後の下駄箱の方に視線を送った。


「粟の穂がある。少し持って行くといい」

ジーザスもち丸の呼びかけに反応したように、下駄箱の間から小さなものが複数現れた。

先ほど岩場で見たのとよく似ているが、縦に細長い灰色の面を付けている。

「これは……?」

「あぁ、ウータンは彼らを見るのは初めてか。彼らに名前はないが、この世界の秩序を守るために立ち働いているから、私は勝手に秩序と呼んでいる」

「秩序……」

だとすれば、先ほどのぼろを纏った者は秩序を乱していたということか。


『カイジセイゲン』

『カイジセイゲン』

こちらの小さなものは、先ほど見た同族とは違うことを言っているようだった。

「大丈夫、わかっているよ。ほら、粟の穂だ。持っていきなさい」

ジーザスもち丸が粟の穂の小袋を開け、寄り集まった小さなものたちに分け与えた。

「秩序も粟の穂を食べるのか?」

「いや、秩序自体には口がない。食べるのは彼らの主人だ」

秩序の主人がどのような者なのか、全く想像がつかない。

しかし、尋ねてみようと上げた視線の先で、見越したようにジーザスもち丸が小さく首を振った。

「つい話し込んでしまった。まだ配達の途中なんだろう?またゆっくり話しに来るといい。ムサシもずっと放っておかれて退屈そうだ」

会話から取り残されていたムサシの方を見ると、しゃがみ込んで秩序たちを興味深げに観察していた。

何かをはぐらかされたような感触が拭えないが、今日はあまり長居をしていられないのも確かだ。

「ムサシ、行こう」

彼を立ち上がらせ、2人でジーザスもち丸に会釈をする。

「じゃあまた」

「じゃあまた!」

「ああ、配達ありがとう」


踵を返し、軽トラに戻ろうと歩き始めたとき、妙に温度の低い声を背中で聞いた。

「……ああ、また来るのは歓迎するけれど。くれぐれも三角耳は連れてこないように。君たちからはずっと三角耳のにおいがしていたよ」



ミント色の軽トラの車窓に、真昼の強い日差しを受けた住宅街が流れて行く。

窓枠で頬杖をつきながら、膝の上の相棒を無意識に片手で撫でていた。

柔らかいもの。優しいもの。

静かで、穏やかなもの。

そういうものを好んできたし、そうでないものからはそっと距離をとってきたので、先ほどジーザスもち丸から自分の背に放たれた低温の棘を、どう受け取るべきかわからず途方に暮れる。


軽トラは新しくて綺麗な戸建が並ぶ住宅地の一軒の前に停まった。

腰より少し高い鉄柵の上から、元気の良い銀梅花が道に向かって張り出している。

白くて丸い花の蕾がまるで炭酸水の気泡のようで、家主のムサシによく似合っていた。

彼がドアをあけ、急いで見てくると陽気なジェスチャーで伝えてくれたので、小さく笑って頷き返す。

確かにそろそろ急がねば、店に帰るときにもう道が変化してしまっているかもしれない。


ジェスチャー通りにほんの一瞬で戻ってきたムサシが、知らない道をスイスイと運転し、あっという間に銀杏屋敷の坂に着いた。

自分の住む住宅街とムサシの住む住宅街は思いのほか近かったらしい。

そこから先の道を指差しで伝え、1日ぶりの我が家に辿り着く。

急勾配の坂を何の苦もなく登っていく時、彼の相棒を心底羨ましくなったが、膝の上の大事な相棒にそんな言葉を聞かせてがっかりさせたいわけではないので、素知らぬ顔で口をつぐんでいた。

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