風を追いかけて

─人はみんな、弱みや悩みを抱えて生きている。だからこそ誰かを一人にさせないこと、自分は一人じゃないと知ること、それが"大人になる"ってことなんだろう─


「他にいないとしても、自分くらいは自分の味方でいないとね」

 すると、見慣れたそのファニーフェイスが驚いたように、翔吾をあおぎ見た。

「へぇ、大人になったじゃん。一人じゃろくに活動届も出せなかったくせに」

「やめてよ」

 二人の重なる笑い声の奥に、兄、直貴の背中が浮かぶ。まだ、遠かった。

 空はどこまでも青く、澄んでいる。

「私は、マネージャーやってよかったと思ってるよ」

「まじ、大変だったでしょ」

「それはまあ。でも楽しかったからね、プレイヤーを支えながら試合まで見届ける。翔吾の最後のスリーポイントだって、それまでに何百本と練習してきてること、応援席でキャーキャー言ってる女子にはわからないでしょ」

「あぁ…」

 心なしか少し恥ずかしかった。

 ラスト三十秒、翔吾のスリーポイントシュートで一点差まで詰めたときのことだ。

「ありがとう」

「はいはい」


 真っ白な校舎は照りつける陽射しのせいで熱を帯び、その横では油蝉あぶらぜみが鳴いている。

 ちらちらとさざめきたつ、繊細な緑。


「ねぇ、早苗。なんでリュウは病気のこと、誰にも言ってなかったんだろう」

「あー、なんでだろう…でも、辛いことを人に言えない理由って、一つや二つじゃないしね」

「うーん…言ってくれればもう少しできたことがあったのに」

 翔吾は試合前日の、あの日のリュウとの会話を思い出した。

 ──────

「リュウはもう決まった?」

「うん、スポーツ科学に関する学部にした」

「え、すごいじゃん」

「いってもテキトーに決めたんだけどな」

「いや、いいじゃんすごいよ、俺なんか…」

 まだ学部さえ決まっていない翔吾に、焦る気持ちが一層強くなっていた。それを察したようにリュウは、優しい笑顔を向けて言った。

「大丈夫、ゆっくり答えを出せばいいんじゃないかな。それに進路なんて深く考えなくてもいいと思うけどな」

「そう?」

「だって、誰がどの道を進んだって、結局は皆が、それぞれの場所で同じ空を見て、同じ風の音を聞くだけだ」

「そうか、な…」

「うん。それに一人一人だって、これからも同じ人間。進路が人や人生を決めるわけじゃない。だからいつ変えたっていい。焦る気持ちはわかるけど、人それぞれに違うハードルがあるように、誰も比べることなんてできないんだよ。」


 その言葉に、翔吾は少しだけ救われた気がした。リュウがこんなに優しくなかったら、

「本当に同い年か」

なんてツッこんでたはずだ。

 今思えば、病気を抱えた彼だからこその言葉だったのかもしれない。リュウはいつだって、人に勇気を与えていた。

 今度は、翔吾がリュウを勇気づける番なのかもしれない。

──────



「それに世の中は、人に言えない悩みで溢れかえってる。目に見えないだけで」

ペットボトルを片手に、早苗は呟くように言った。

「すごいなぁ、なんていうか、深い」

「バスケ部員を側で見てたらわかるよ、何も苦しまず何かに打ち込んでる人なんていない」

ボトルを閉め、振り向いた拍子に彼女の茶色髪が横になびいた。

「男子には、女子の悩みなんて想像もできないでしょ?」

 そして含んだ笑みで翔吾の顔をジロジロと覗き込んだ。

「あぁ…まぁ、ね」

ふふ、と笑って早苗は時計を見た。


「あ、わたし鍵とってくるから、この荷物、先に持ってっておいてくれない?」

「おっけー、わかった」

「じゃ、よろしくー」


 人の運命なのか、それとも単に自分が思春期だからだろうか。近頃考えることが多い。

 楽しいことと嫌なこと、後者のほうが多く顔をのぞかせる人生で、世の中で、何のために生きるのか。何に幸せを感じて、何を目指して生きるのか。もしかしたら、それが進路選択の一歩なのかもしれない。

 だとしたら相当な時間がかかるな。

─俺なんてまだ、自分にとっての幸せの意味すらよくわかっていないのに─

 あおい若葉が一つ、どこからか落ちてきて、翔吾の足元で止まった。

 かがんで見てみると、それは夏の陽光ようこうを反射させ、エメラルドのような輝きを放っていた。


 ─だけど、何も無い訳じゃない。それがこのバスケ部で得た、揺るぎない"魂"だ─


 チームで何か約束したわけでも、示しあわせたわけでもない。なのになぜかお互いが心を開いていて、なんとなく一緒にいる時間が多くて、わかりあえてた。

 引退が決まった日、多くのチームメイトから感謝の言葉をもらった。だけど今だからこそ感じる。

 このチームで、そしてこの仲間たちがいたからこそ、"感謝される部長"になれたのだ。


 手を伸ばしその新緑に触れた瞬間、強い風が吹いた。

 それはあまりに瑞々みずみずしく、夏らしい、冷たい風だった。葉は勢いよく舞い上がり、空へと消えていった。


 これから幾度となく直面するであろう人生のとりで。苦しくて、悲しくて、また言いようのない孤独にさいなまれるだろう。

 でも決してひとりじゃない。

 そんな時は、バスケ部での日々を、リュウや仲間たちとの確かな軌跡をきっと──


思い出すのだろう。








【FIN】


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冷たい夏 キリンノツバサ @kirinnotsubasa

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