いつも何処かで

 桜上水さくらじょうすいの駅を出て、京王線の線路に沿って小道を歩く。しばらく進んで脇の小道を抜けると、松の木が生い茂る学生街に出る。

 夏になると、赤堤あかつつみの町になびく爽やかな風が、学生たちの青春を彩る。その中心に、寛星高校はある。

 翔吾は、早苗とともにその門をくぐった。

「しっかし暑いね~夏本番って感じ」

 高校総体インターハイの東京都予選、決勝リーグからちょうど二週間。

 今日は日曜日だけど、後輩へ引き継ぎのための書類、部室整理をする。

「何にしようかなー、暑いからやっぱサイダー?でもいい?」

「うん、なんでもいいよ」

 先に、試合でハンカチを借りたお礼にジュースを奢るというわけだ。

 ピッ、と早苗が自販機のボタンを押し、翔吾がお金を払う。

 サイダーを手にした早苗は満足そうに笑った。


「何一つ変わんないね、引退しても。部活ないって感じがしないよ」

「そうねー」

 早苗がペットボトルのふちに口をあてながら返す。

「あ、リュウ元気かな。今ごろどうしてるんだろう」

「泣いてるよ」

「えっ?」

 ふいに背中を突かれた感覚がした。

「本当?病室で?」

「いや、見たわけじゃないけどね、でも相当悔しいよ、あいつは」

「そう、か…早めにお見舞い行かなきゃな」

 リュウが泣いてるところなんて想像もできない。

「誰にも見せないように、きっとね」


─翔吾がボールをタケを回した時、試合終了のブザーが鳴り、トレイルオフィシャルがゲームを止める笛を吹いた。

 金立との試合は、負けた。

 まだ…いや、まだやりたかった。ほんの今まで全てをかけてしがみついてきたバスケットが、もっとやりたかった。俺たちなら勝てる、もう少しの時間があれば勝てる。ボールを欲しがる手を前に出した瞬間、全身の力がありったけの悔しさに変わった。伸ばした手を握りしめ、そのまま腿を叩いた。しかし翔吾の五感のどれもが、意味をなさなくなっていた。

 四クォーター最後まで力を振り絞ったし、全員で思いっきり走ったけど、どうしても追いつくことはできなかった。


 今思えば金立の監督は終始、足を組んで試合を見ていたし、終われば挨拶もせずお祭り騒ぎ。しまいにはベンチの所々にゴミが残されたままだった。

 でも、そんなチームに勝利の女神は味方し、寛星は熱鉄ねってつを飲むことになった。まったく、理不尽は大人だけにしてもらいたいものだ。

 しかしその後、勝ち進んだ金立高校の部内でいじめが発覚した。それは雑誌にも取り上げられた。

 その主犯格が熊澤含めたチームの主力メンバーだったこともあり、重大案件として、後に大会棄権することになった。

 このことを知った寛星のバスケ部員は、とりわけター坊は、肩を落としていた。彼は心の底から、熊澤の改心を願い、これ以上被害者がでないことを願っていた。

 実際にイジメにあった当事者にしかわからない、苦しみを背負いながら。

 熊澤はあくまでいじめた側で、人の痛みに気がつくはずなどなかった。人の痛みがわかる人間なら、最初からいじめなどしなかったであろう。


──────

 雑誌を閉じ、リュウは大学病院のガラス壁から庭園を見つめる。

 緑豊かな芝が光に照らされ、散歩をしてる老人患者の隣で、桔梗ききょうが風に揺れている。

 点滴投与の経過検査のために総合待合へ降りてきていた。

 最低でもあと、二週間は入院することになっている。周りの人や仲間たちに、大丈夫、とはっきり言えない自分が情けない。

 誌面には金立のイジメに関する話題とともに決勝リーグでコートを制し、喜びを爆発させた写真が載せられていた。その影には悔しさで涙を拭く寛星のメンバーも写っている。

 席を立ち、報道誌が置かれた場所に雑誌を戻す。

 すると例の少年が、かけ足でこちらに向かってきた。

「お兄ちゃん!」

「おーこらこら、病院は、走っちゃだめなんだぞ」

「あ、ごめんなさい…お兄ちゃんがいるって思って」

「ありがとな、来てくれて。NBAの話でもするか?」

「ううん、それがね、今日シュジュツの日なの」

 咄嗟に一拍、息が詰まった。

「そうなのか」

「うん…またバスケできるようになるためにはこれしかないって、病院の先生が言ってたの。だからね、だからね、がんばるよ」

 その目にはこみ上げるものがあった。

「そうか…じゃあ手術が終わって、元気になったら、俺とバスケしような。いろーんな技を教えてやるよ」

「お兄ちゃん、本当?」

「あぁ、約束な」

 精一杯の笑顔で少年の手を握った。


「あらもう、こんなところにいたの!」

 顔をあげると、少年のお母さんと思われる人物がこれまた、かけ足でこちらに向かってきていた。

「もう、すみません」

「あぁ…いえいえ」

「お母さん、このお兄ちゃんすごいプレイヤーなんだよ!」

「そう、お話してくださったの?よかったね」

「もうちょっとだけ…いいですか」

 低くしゃがんで、少年の手をもう一度掴む。思いがしっかり伝わるよう、まっすぐ目を見る。

「ありがとうな、俺はインターハイには出れなかったけど、君にたくさんの力をもらった。本当にありがとう。君は大丈夫、俺が保証する。だから、がんばれ」

そして頭に手をやり、ポンポン、と叩いた。

「僕…お兄ちゃんに力、あげたの?」

「うん、たくさんね」

「うーん…なんかよくわかんないけど、お兄ちゃんがいてくれるなら大丈夫な気がする」

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