4Q

 勝負は、最後の第四クォーターに。

「スタートのメンバーでいくぞ、他も準備しとけ」

 監督の最後の指示だ。

 翔吾は、ベンチにいる全員をなぞるように見ながら、このチームなら勝てる─そう確信していた。

「よし、いくか」


 ところが、開始の体制が整い、不穏な空気が走る。金立がメンバーを大幅に変えてきた。

「早苗、あの黒人のセンター、何年生だ?」

「ちょっとまって」

 ベンチの隣でスカウティングレポートを見る早苗の顔が、次第に険しくなっていった。

「信じられない…あれ一年生よ」

「嘘だろ?一九〇センチあるんじゃないの、あいつ」

「身長は一九五。それだけじゃない、四番≪キャプテン≫除いて全員一年生だわ」

 高さとスタミナのアドバンテージで試合を優位に進めるつもりなのか、それとも─


 ゲームクロックが動き出し、金立が仕掛ける。

 ガードの浮かせたパスを黒人センターが軽々と取り、疲れが見えるター坊を押しのけてダンクを決めた。

 続くディフェンスも、前線からプレスをかけスローインボールをカットし、点を重ねた。

 流れを切りたい─

 監督がたまらずタイムアウトをとった。

「やつら、とんでもないものを隠してやがった」

 ベンチへ戻ってきたリュウが膝に手を当て、吐き出すように言った。

「ここからだ、ここからが本当の勝負だ」

 手を叩きながら監督が喝をいれる。

「いいか、一本一本丁寧にだ。あのセンターにさえボールを入れさせなければあとは点は取れない。オフェンスは今まで通りやればいい」

「はいっ」

 しかし、五人の疲れは目に見えていた。

「リュウ、大丈夫?まだいける?」

「ああ、いける。いや、いかせてくれ」

「わかった、思いっきりやってきてよ」

「ありがとな、翔吾。俺が倒れたら、あとはお前に任せる」

 何を言ってんだ、リュウらしくない。

 ところがコートに戻るリュウの背中には、並々ならぬ思いが隠されているように見えた。ずっと隣でやってきた翔吾だからこそわかる、リュウの覚悟。

 本当に倒れるまで走るつもりなのか…


 試合再開。

 リュウの指示通り四人がフォーメーションを作る。次に、わずかなディフェンスのずれを読んだリュウが、晴人の進行方向へパスを出す。

 晴人が受け取り、そのままシュートに行くと見せかけ、ター坊にバウンズパス。ター坊がシュートを打つも、黒人センターに阻まれ、ボールは空中に投げ出される。

 しかし、これもリュウの指示で中に入りこんでいた洋介がボールをキャッチ。

 ディフェンスは─リュウがブロックしている。

 洋介の右手は素早いシュートフォームを形作ると、まるで軸の通ったオートマタのように一直線に身体を浮かせ、ボールを放った。

 だいだい色の球体は、正確な孤を描き、リングの真ん真ん中へ飛び込んでいった。

「うおっ、すげえ」

「なんだ今の」

 どうっと観客席が歓声で揺れた。


 この一連のボールの流れも、仲間の特性を理解したリュウの正確な判断、リーダーシップによるものだ。

「ナイッシュー洋介!もう一本!」

 声をかけると洋介は、わざわざベンチにピースサインを向けてきた。




 そのとき、ほろっと雫が、翔吾の握りしめた手に落ちた。

 ─あれ?なんだこれ─

 周りを見渡しても、ただ白熱した好ゲームの会場に変わりはない。あるとすれば、胸のあたりに広がっていく、このざわざわとした気持ち。

 また一つ、ユニフォームパンツへとこぼれ落ちる。

 ─俺…泣いてる、のか?─


 フォワードからボールを受けた金立の四番が、スリーポイントシュートを決めた。金立の観客席が湧く。


 ─そうだ、俺、悔しいんだ─


 続く寛星の攻め、タケの仕掛けからシュートを打つも、リングに嫌われる。跳ね返ったボールを金立がキャッチし、相手の攻撃が繰り返される。


 ─部長なのに、俺何やってんだよ─


 無慈悲むじひにも、また金立に点が入る。点差が四点、六点と広がってゆく。


 ─このままじゃ、負ける─

 刹那、栓を抜いた井戸から水が湧き出るように、涙の波が打ち寄せてきた。


──────

「何泣いてんだ、ほら、繰り返し繰り返し」

夕暮れ空の下、砂で汚れた手で必死にボールをついていた。

「だって、だって…」

「お前は球際が弱い、キャッチしてから身体に引き寄せるまでが遅いんだ。もっと力強くっ」

「はい…」

「もう一回、一対一だ、シュート決めるまで終わらないぞ」

 ──

 「そうだっ、ドライブ!」

「いいぞ今のだ、フェイントの一つ、上手く使えるだけで一対一は格段に強くなる」


 兄─直貴の背中は大きくて、それでいて強かった。自慢の兄は翔吾に、バスケの厳しさと、楽しさを教えてくれた。

 今から五年前、彼は毎日のように心血を注いで、インターハイのチケットを得た。自分が出場するわけでもないのに、やけに興奮していたのを覚えている。

 もちろん、今日のような試合を勝ち抜いて─

──────


 一度開いてしまった感情の扉は、なかなか閉まらない。溢れ来る思いが、どこかにぶつけたいこの思いが、嗚咽へと変わる。

 熱気に包まれた、思いとプライドが今もぶつかり合うコート。

 その上を飛び駆けるボールが霞んで見える。

 情けない。部長を任されておきながら何もできない自分が。泣いている自分が。

 本当に情けない─


 第四クォーター、残り五分。

 すると隣で氷嚢ひょうのうの準備をしていた紗苗が、そっとハンカチを差し出してきた。

 そして作業を終えた後、目線はコートに向けながら、何も言わず翔吾の背中に手をやった。

 伝えたい言葉とは裏腹に、そのハンカチは大粒の涙で濡れていった。


──────

「先日の部員投票の結果を発表する、いいかー、キャプテンがリュウで、部長が、翔吾だ。一年間よろしく頼んだ」

 ちょうど一年前の事が脳裏に浮かぶ。一年生から三年生までの部員、そして監督やマネージャーからの喝采な拍手を浴び、緊張と同時に胸が高鳴っていた。

 あれから今まで、自分はこのチームに、何を与えられただろうか。部のおさとして前に立ち、部員の闘志を搔き立て、時には導くことができただろうか─



「チームだよ」

 紗苗が呟いた。


─そうだ、リュウ達の背中を押さなければ─

 翔吾は必死に、叫ぶ言葉を考えた。


 だがやはり、声が出ない。

 喉に差し掛かった叫びが、なかなかうまく押し出せない。


 がんばれの一言が

 どうしても

 出ない─








 「がんばれー!!!」







 それは、まるで自分に向けられているような、翔吾の背中を押すような掛け声が、耳に響いた。


 この声は──そうだ─絶対──

 反射的に、観客席の中からその声の主を必死に探していた。

 どこ、どこなの──



「寛星、がんばれー!!」


 いた─見つけた─

 自陣ゴール裏、寛星の観客席。その左下隅で、兄の直貴は必死に声をあげていた。

 いつの間に──まだ、決勝じゃないのに─




「リュウ、どうしたの…」

 早苗の声で、ぐっと意識を引き戻された。

 ディフェンスの場面。コートに目をやると、戦場を離れたリュウが、よろよろと、こちらへ向かってくるところだった。

 金立に点が入り、試合が止まる。有沢監督がすかさずメンバーチェンジの申請をした。

「リュウ!大丈夫!?」

 慌てて駆け寄ると、彼はひどく息を切らせていた。

「ちょっと…走りすぎたみたいだ」

「そんな、それだけ?」

「大丈夫だ、心配すんな。すぐ戻ってくるよ」

「当たり前じゃん、しばらく休んでて」

 リュウの肩を持ち、ベンチに座らせた。

「あぁ、翔吾…あとは頼んだ」


「翔吾、いけるな」

 監督の指示を受け、手に持っていたハンカチを荷物にしまった。

「もちろんです」


「がんばって、部長」

 早苗に背中を叩かれた。


「翔吾!!ファイト!」

「がんばれっ!」

 兄の声だけでない、会場に来てくれている寛星のサポーターが、翔吾を応援してくれている。


 始まりから今まで、いつだって翔吾を、そしてバスケ部を支えてくれる人達がいた。それは何より、部長という立場を担ってきたからこそ身に沁みる。

 だから、それに応えるため、良い結果を残すため、翔吾はこのチームに身を捧げ、一員として汗を流してきた。


「うん」




 ─ここまでか─

 リュウは胸に手を当て、霞めた視界でなんとか試合を追っていた。

 完全に心臓がつかえはじめ、最後は動けなかった。

 点差は、八─

 いや、まだ勝てる─代わりに入った翔吾の立ち姿、目の色。見ただけでわかる、あいつは今、"ゾーン"に入っている。見事なまでに。

 全部、託すか─あいつなら─大丈…夫…


「ねぇ……ュウ……リュ……──」




 翔吾は、コートに立った瞬間、まるで全ての音が聞こえなくなった。

 見える。敵一人一人の進行方向、ディフェンスの寄せ方、連携…

 翔吾の持ち味は、速さ─

 タケほどの力強さはないし、晴人みたいなディフェンス能力もない。

 だけど、ボールをスピードに乗せ、ゴールまでコントロールしきる能力は兄譲りだ。

「負けねえ…!」

 晴人からボールを受けると、翔吾はスッと目をすがめた。

 一つ、二つ、三つ。

 眼差しとわずかな体重移動で、瞬時にかけたフェイントは三つ。

 それらに気を取られたディフェンダーの足を、その場に縫いとめる。

「……っ」

 短く吐いた息すらその場に置き去りにして、翔吾はディフェンダーの脇をドリブルですり抜けた。

 走りながらゴール下に切り込み、シュートを決める。

─まだだ─

 自陣に戻りながら、敵チームを見渡す。

 左サイドを走ってきた敵選手の手が動いた。

「…そこだっ」



 翔吾先輩が指をさした方向に、晴人は飛び込んだ。

 先輩の読み通りボールが投げ出され、晴人は左手でパスカットをした。

─先輩、頼みます─

 既に前を走る翔吾先輩の進行方向へ、パスを出す。そのまま寛星に点が入ると、会場がどよめいた。


 オフィシャルブザーが鳴り、金立がメンバーを入れ替えた。

─まずい、主力スタメンに戻りやがった─

 武之タケはユニフォームのえりで汗を拭った。

 寛星のベンチが慌ただしい。そのまま試合が一時中断された。

─おいおい、大丈夫かリュウ─


「みんな、ちょっと集まって」

 翔吾の声で、武之を含めたコートのプレイヤー、洋介、ター坊、晴人が一斉に寄り合った。

「リュウなら大丈夫だ。思いは俺たちに託されてる、俺たちは全力でやるだけだ」

「おうよ、翔吾。四点差ひっくり返すか」

「あぁ、司令塔ガードは俺でいいか?」


「OK」

「了解」

「それでいいと思います」

「ありがとう洋介、ター坊、晴人」

「残り二分、ちゃんと運べるんだろうなぁ」

「任せろタケ」


─こいつにもなんかあったか、ちゃんと部長じゃねえか─

「おう、任せる」




 「じゃあいこうか、最後の戦いへ──」

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