Ep.5 I love you

「どうしたの?」

 不安げなアリスの様子に、ステラは首を傾げた。

「あの人が、こない……」

 アリスはパーティー会場の中央にて、音楽に合わせて二人一組で舞うドレスとタキシードの人々を見て、気を沈めたように肩をおとす。

 

 ドレスの二人は会場の端で立ち尽くしていた。


「そんなに、あの人が大事?」

「それはそうだよ……」

 あの人——、というのはアリスの下に頻繁に訪れていた男のことを指していて、同時にアリスがその言葉を発しているのは、男の死を知らないことを意味している。

 ステラは心中で笑みを浮かべた。

(あと少し……)

 ステラは俯くアリスの顔を覗き込む。

「踊らない……?」

「私達で?」

 疑問を投げたアリスに、ステラは心中とは裏腹に同情かなしみの表情を浮かべて頷いた。

「うん。確かにその人が来ないのは、苦しいけど……、パーティーに来て踊らないのはまずいから」

 ステラのいう言葉は至極正しい。

 そう、この舞踏会交じりのパーティーに出席している以上、踊らないというのはマナー違反だ。だから本来、ここへ来る者は皆踊る相手を決めてからくる。

 約束相手が来ないというのであれば、形だけでも踊っておくべき。これがマナーに乗っ取ったやり方。

 そしてそう。

 ステラはそれを建前として、アリスの前に手を差し伸べる。

「踊ろう」

 ステラは光に満ちる微笑みを見せた。


 シャンデリアの光に照らされたその瞳、表情は、アリスの目には希望に映った。

 最愛の人は現れず、孤立状態といえたアリス。彼女は、その前の前の、絶望をも包み込むような微笑みに、思わずステラの右手を取った。

 ——彼女の裏に潜む、黒い炎には気が付かずに。


 あの時とは、砂浜の時とは逆転し、ステラがアリスの左手を引く。

 そして今度はステラがリードするように音楽で舞う。

 ステラにとって、それはまるで時が止まったような感覚だった。永遠と続きそうでいて、一瞬の時。

 その感覚は、時間を漂流するような感覚。

 踊りながらに、ステラの野心が動く。

 ——この時間を、アリスといる時を永遠にしたい。

 自分の居場所は、自分で作る……!

 ステラは踊る中で隙を見つけると、アリスの背に回していた右手を自身のドレスのバタフライスリーブへと動かすと、そこに忍ばせていた一枚の長方形の紙を取る。

 昨日、一日かけて作った紙。

 両面にびっしりと文字のようなものが記されていて、大量の魔力が込められている。

(これを張れば……!)

 これをアリスの体に張れば、アリスの魂は消え去る。

 アリスは、アリスの愛はわたしのものになる。この完璧な状態のままで永遠にわたしと一緒にいてくれる……!

 ステラは紙を持ったままアリスの背へと手を回し直す。

 そして言葉にならない程の幸せで、言葉にならずに叫ぶ。

(今までありがとう……、これからもよろしく)

 ステラは、アリスの背後にある右手で、紙を彼女の背にあてる。

 否。

 当てようとした。

 刹那、アリスはステラの胸部に両手を添えて彼女の体を押しのけた。

「……っ?!」

 ステラは、アリスの背に当て損ねた紙を手にしたまま、4歩ほど後方へたじろいだ。

「なに、を……?」

 動揺のあまり震え、かすれた声が喉を焼くよう。

 アリスは冷めた瞳でステラの右手の紙を見下ろして、それを指さす。

「それ、呪いの符でしょう?」

 違う、と言おうとしたその言葉は口からは出ず喉を逆流した。

 ……声が出ない。

 アリスは冷ややかな声で続けた。

「昨日それを作ってるときには、何かの誤解だと思ってた。でも、それ、私に使おうとしたよね? 確信したよ、あなた他国の暗殺者でしょう?」

「違う……!」

 今度は声が喉を通る。

「何が?」

「わたしは、暗殺者なんかじゃ……!」

「じゃあ何? 私、これでも魔女だから、魔力の色を見るだけで分かるよ。あなたが昨日ずっとそれを作ってたことくらい。暗殺じゃないなら何のために?」

 気づけば、周りの人間は皆2人の方へと視線を向けていた。

「でも……!」

 ステラの瞳が涙で埋まる。

 しかしもう、アリスに慈悲は残っていなかった。

「あの人が来ないのも、関係しているよね? まさか何か……?!」

 アリスは間を開けて落ち着いたように言葉を続けた。

「とりあえず、あなたはここで、さようなら」

 瞬間。

 ステラの右手に持った紙が、金の炎で燃え始め、それはステラが手を離すよりも早く彼女の右手に燃え移った。

「これは……?!」

 すぐに紙を捨て、自身の掌へ瞳をやる。

 すぐに左手で炎を振り払う。

 が、炎は消えることを知らず、彼女の手を伝う形でゆっくりと腕の浸食を始めた。

 なんとか払おうとするステラの様子に、アリスはまるで先程までの熱が冷めきったような冷淡な瞳を向ける。

「その炎は、魔法を使った私が解かない限り、溶けないよ」

 行動の一つで、人とはここまで変わってしまうものなのか。

 そんな考えがよぎるほど、アリスの表情は冷たく刺すような物であった。

 不意にステラの顔は青ざめる。

 ——死。

 それを直感した。

 じわじわと迫りくるそれがアリスの冷たい瞳と重なる。

 死、死、死……。

 体を這いずるような炎がアリスの冷淡な怒りをほうふつとさせる。

 血の気が引いた。

 ステラは素早く踵を返すと、会場の出口へと走った。

 途中つまずきそうになるが、それも関係なく、こちらへ目を向ける者達を、まるで路地裏の空き缶を蹴飛ばすように押しのけて、彼女はパーティー会場を走り去った。

 ステラはそのまま走って行く。

 行き先? そんな物はない。

 ただ、あの冷淡な瞳から、現実から逃げたかった。

 わたしは、アリスを愛していただけなのに……。

 瞳からこぼれた悲しさは、絶え間なく頬を伝い落ちる。

 

 彼女は森に入った。


 走る、走る。

 木々が月明かりを覆い隠し、縫い目から落ちる明りのみを頼りに彼女は森を走り抜ける。

 その時。

 勢いよく前に出した右足に樹木の根が引っかかり、彼女の体は前方へ倒れる形で転倒した。

 もう、起きる気力も、体力も残されていない。

 ただこうして絶望に浸る事のみが、彼女のできる精一杯だった。

 死が近づいてくる。

 右腕はもう、肩のあたりまで炎が埋めていて、手首から先は燃え尽き、灰となってほころびていた。

 ああ、なんでだろうなぁ。

 こうして体を炎で包まれたにも関わらず、ステラは未だにアリスに覚えた愛を少しも崩さず持ち続けている。未だ愛はある。

 そしてまだ思っている。

 アリスの愛を自分のものにしたいと。

 しかしまあ、もうわたしは死に体に近い。

 ステラは金に燃え盛る自身の腕を切なげに見て瞳を閉じた。

 ——これで、お終い……。


 いや

 ……まだ!

 ステラは再び目を見開く。

 彼女の目に映る金の炎は、アリスの赤がかった白銀の髪をどこかほうふつとさせる。

 アリスの愛は

 ——わたしだけのもの!


 見開かれた彼女の瞳の奥底で、轟と音を立てた黒炎がまるですべてを燃やし尽くすがごとく瞳を浸食した。

 ステラの瞳は黒く染まる。

 同時、彼女の体は黒い炎で包まれた。

 黒い炎は一瞬の時も置かずに金の炎をかき消して、彼女の体を包み込む。

 否。

 ステラは黒の炎を纏っていた。

 ドレスは焼け落ち、炎はマントのように全身を覆った。

 そして炎はフードのようにして彼女の頭部も覆う。

 ステラは体を起こした。

「もう一度……。今度は、わたしのものに……」

 呟きと共に、ステラはゆっくりと足を前へ出した。


 1日が経ち、翌日の夜。

 アリスの住む屋敷の扉がゆっくりと開かれた。

 ちょうど扉の中すぐにいたアリスは足を止める。

「ステラ——!」

 そこにいたのはステラだった。

 炎のマントに身を包み、口を裂くような笑みでアリスを見る。

「もう一度、踊ろうよ」

「何を……」

 アリスにはもう、目の前の人間がステラなのかわからなかった。

 ただ、黒い瞳に目の下のくまは、彼女の異様さを物語っている。

 ローブを纏い、三角の帽子をかぶったアリスはローブから杖を取り出してステラへ構えた。

 ステラはゆっくりと足を進める。

 アリスは金の火球を杖の先からいくつも放った。

 火球は直線的な軌道を描いてステラを捉える。

 が、その全ての火球が彼女の纏った黒い炎でかき消された。

 水、雷撃、風、その全てを黒炎はかき消した。

 そしてステラは、そのゆっくとした足でアリスとの距離を完全に詰めた。

「——っ」

 恐怖で声が出ず、アリスは逃げようと身構える。

 しかしそれよりも早く、ステラがアリスを抱いた。

 身にまとう黒炎がアリスの体を焼く。

 ステラはそのままにアリスの耳元に口をやった。

「わたしは、アリスを愛してるよ。本当に、本当に。いつまでも……」

 儚げに言葉を切ると、ステラは左手でアリスの左手を握り地面と垂直に横に出し、右手をアリスの背に回した。

 ——踊る体勢。

 ステラは、金の炎で失い、そして黒の炎でできた右手を、アリスの背に添える。

「……ッ!!」

 アリスは耐えるような声を出す。

「大丈夫」

 ステラはそう言って狂気の笑みを浮かべると、右手を彼女の背に突き立て、刺した。

 そしてステラはアリスの心臓を掴む。

 いや正確には、ステラの手の形をした黒の炎がアリスの心臓を鷲掴みにした。

「うあああぁあぁあっぁ……!」

 絶叫を上げるアリスに、ステラはただ一言、笑顔で言った。

「愛してる」

 

 

 響く悲鳴。

 そして生々しい、グシャリという音が、小さいながらに場を支配した。

 

 ——存在価値を、作る……。

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魔女の気まぐれとステラの真愛 作:さめ (Ⅳ) @Hk-4

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