5月1日 清海

 国の方針でも変わったのか。

 清海が勾留されてからの7年間、外界の情報はほとんど入ってこなかった。

 死刑囚同士で殺し合いを行わせる。まるでディストピアだ。しかし、今も国が民主主義ならば、これが民意なのだろう。自身が勾留されている間に、大きな変革があった可能性もなくはないが。

 所詮、自身は多くの人間の命を奪った人殺しにすぎない。どれだけ非人道的な扱いを国から受けたとて、それを批難するような考えは毛頭ない。ましてや、要綱を読む限り、今自分が置かれているこの仮想現実空間とやらの中で死ぬと、刑が執行されたものと見做される、と記載されている。実質の釈放だ。こんなことがあり得るのだろうか。

 死刑制度の廃止については以前から多くの議論が交わされ、とりわけ先進国の中で数少ない死刑のある国として、世界からもいくらかの非難は受けていた。

 その、死刑制度の撤廃に代わる案としての、仮想現実空間内での死刑の執行。

 目が覚めてから自分が感じる五感のリアリティを考えれば、現実世界では死なずとも、仮想現実空間での大きな苦痛は死刑にも準ずるものになるかもしれない。いや、この法令を読む限り、より苦痛を伴う方法によって死ななければならない。生き延びる代わりに、絞首刑よりも大きな苦痛を伴う。命と苦痛のトレードオフ、自分のような死刑囚にはこれくらいのジレンマが与えられて当然かと、清海は軽く自嘲する。


 ここにきてから、どれだけ時間が経ったのだろうか。独房には時計がなく、今が一体何時なのかもわからない。

 ここが仮想現実空間ということも実感がない。しっかりと五感は機能している。目や耳だけならともかく、嗅覚や触覚まで、なんら違和感を感じない。手の甲を軽く舐めてみる。汗だろう、塩味も感じる。

 勾留される前には、いわゆるVRなどの装置はある程度発展していたが、自身は体験したことがなかった。独房にいる間にまた大きく技術の発展があったのだろうか。


 再度、死刑について書かれた紙束を熟読する。

 国の書く文書というのはどうしてこうも読みづらく回りくどいのだろうか、と清海は辟易した。


 仮想空間の中で、死刑囚10名で殺し合いをする。

 死んだ者はこの仮想空間から解放され、現実世界での死刑は免れる。

 ただし、苦痛値なるものを計測されており、仮想空間内で死んだ者の中で、この値が一番低かった者と、最終日に他の死刑囚に与えた苦痛値が低い者の2名が、現実世界で死刑を執行される。

 それに加えて、相手に与えた苦痛値と自分が受けた苦痛値の合計が基準値を満たさない場合も、同様に現実世界で死刑を執行される。この基準値は公開されない。

 仮装空間内で自殺をした場合も、リタイアとみなされて、こちらも同じく現実世界での死刑が執行される。

 1日の間に誰も死ななかった場合は、強制的に全員が現実世界で死刑を執行される。


 大まかにルールを噛み砕くとこんなところだろうか。

 現実世界で死刑を免れるためには、苦痛値というポイントを貯める必要がある。

 生き延びる方法は二つ。

 1 最終日まで生き残り、かつ、もう一方の生存者よりも、多くのポイントを保有する。

 2 仮想現実空間で殺され、かつ、基準値以上の苦痛を伴って死ぬ、及び、基準値を超える者の中でポイントが最下位でない。


 より多くの死刑囚をなぶり殺して最後まで生き残る。途中この仮想空間内で他の死刑囚よりも多くの苦痛を伴い死ぬとしても、苦痛値と呼ばれるポイントが他の死刑囚を上まっていれば問題ない。とにかく、まずは初日で誰かを一人でもなぶり殺すことができれば、このポイントレースから一旦は頭ひとつ抜けて有利になる。

 最後まで逃げ回り生き延びるだけでは、1の要件で必ず負けることになり、現実世界での死刑執行が確定する。

 安易に急所を突き刺して相手を刺殺した場合、おそらくその死刑囚は基準値を上回らない。基準値を上回らずに死んだ場合は、強制的に現実での死刑が執行され、ポイントレースからは除外される。この場合、繰り上がりで次にポイントが低い者に、現実世界での死刑が待ち構えている。

 このポイントの下限の規定値が明かされていない以上、いかに相手を苦しめて殺すかを考えなければならない。

 当然、他の死刑囚も同様のことを考えるはずだ。より苦痛を与えて相手を殺さすことを考えて動くだろう。仮想現実空間での死、それは拷問されることと等しい。どれほどの苦痛を伴うのだろうか?

 清海は、それを想像し、久々に感情が動くの感じた。


 ここに集められた他の死刑囚については、一切の情報がない。しかし、人を殺すことに躊躇があるような人間ばかり集めたところで、このルールは成立しない。無作為、とはあったがそれは建前で、それなりに人を殺すことに躊躇のない人選がされているのではないだろうか?

 逆に他人に苦痛を与えることに抵抗のあるような人間性の死刑囚を、あえて精神的に追い詰めるために選定している可能性もなくはないが、ただでさえ非人道的なこのルールに拍車をかけるような人選を行うだろうか。

 清海は今まで手にかけた国会議員や有力者たちの顔を思い浮かべる。

「なくはないか」


 清海は天涯孤独だった。

 汚職が露呈した政治家や、黒い噂などのある企業の重役、そういった連中を数多く殺して死刑囚となった。

 それは、決して正義感などではない。憎悪、悲しみ、無力感、羨望、嫉妬、負の感情全てを幼少期から煮詰め続けて、全ての水分を失った時にそれが頭からこびりついて離れなくなり、ただ壊したくなっただけだ。

 いくつかの殺人事件を起こし、連続性のあるものとわかってから、インターネット上では、多くの批難や怒りの中に混ざって、「自らを犠牲にして国を浄化しようとしたダークヒーロー」、「現代の革命家」、「100人殺せば英雄」などのように称賛する声も一部あった。

 それは本意ではない。国を良い方向に導くための革命家気取りになるつもりなど、初めからなかった。

 ただ、自分より地位の高い人間、成功している人間が、純粋に憎かった。その中でも自分の中で正当化できる人間を狙っていただけなのだ。

 しかし、清海は世間一般から、政治思想犯の象徴的な死刑囚として認知されていた。それは、清海にとっては不本意なものであった。



「明日、午前9時より、1時間ずつ、各死刑囚は刑場内の下見が可能である。名前を呼ばれたものから順に、独房のドアが開くので下見を行っても良い。ただし、各部屋のドア以外には一切手を触れないこと。違反した場合は直ちに本形場から退出し、刑を執行する。」

 耳障りなスピーカーから、声が響く。

 まずは、刑場内を可能な限り把握し、どこに使える凶器があるかを知る必要がある。

 勝負は、もう始まっている。

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死刑の仮想現実空間における執行及びその執行に伴う釈放の特例に関する法律 テレビ野_灯里 @tv_no_akari

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