ヘルズ・スクエアの子供たち・パートⅢ・サイクロン編
ふれあいママ
第1話
パートⅢ
1・
俺の名前は、サイクロン。十六歳。ホープ島に暮らしている。もうしばらく、ここにいるだろ。
本当はさ、十五歳でこの島を出ていくつもりだったんだ。マッシュと二人で。生まれてからずっと一緒だった。あいつと離れる日がくるなんて、思ってもみなかった。
それなのに、マッシュは一人で島を出た。俺を置き去りにしてさ。自分一人の力で生きていけるかやってみたいって、そう言ってた。自立するんだそうだ。エッグの様にな。
エッグなんてヤツ、俺は大嫌いだ。
頭はいい。確かにそれは認める。俺と同じ年だとは思えないくらい大人びてて、何でもできてさ。だけど、あの澄ましかえった口調、落ち着き払ってばっかりで、謎かけみたいなことばっかり喋るんだ。もうちょっと普通に話せばいいのに、気取ってさ。他の奴も、自分と同じくらい賢いとでも、普通に思ってるみたいでさ。
一年前、あいつが島を出て行って、ヤレヤレ思ったもんだ。これで、マッシュの親友は、やっと俺一人になるんだって。やっと邪魔なヤツがいなくなって、マッシュと二人で、色々と楽しめるかと思ったのにさ。
今度は、マッシュが出ていくなんて、あんまりじゃないか。そんなのありかよ?
俺は大泣きして止めたよ。独力でってとこに、そんなにこだわらなくたっていいじゃないか。一人だろうと二人だろうと、自立は出来るさ。大した違いじゃない。飢え死にすることなく生きていければ、それでいいんだろう?
一緒に連れていってくれって、しがみついてマッシュに頼んだ。どうしても別れたくなかった。出来る事なら、お互いの体を鎖でグルグル巻きにしたかったよ。ただ鎖がなかったんだ。
マッシュは優しいヤツだ。泣いてた。でも、強いヤツだ。だから譲らなかった。
俺の事は大好きだけど、べったり一緒にいちゃいけない、だとさ。やるべき事はやり遂げたから、島の暮らしを卒業する。どこか他所の土地で、自分の足で立って、立派な大人になるんだって。あげく、
「いつか再会した時に・・・エッグが認める俺になりたい」
ときた。
腹立つよな。エッグがそんなにエライのかよ。頭が良すぎて頭がオカシクなっちまったみたいな、変人じゃないか。
でも・・・どれだけ悔しくても認めなきゃいけないよな。
エッグとマッシュ。あの二人の間には、誰も入りこめない。離れていても、心が溶け合ったみたいな、特別な絆がある。俺が泣こうが喚こうが、それは変えられない。どうすることも出来ない。辛いよ。
だから、ピーチやワイルド・キャットの気持ちがわかるんだ。そう、今回はこの二人の事を話そうかな。ヘルズ・スクエアで共に暮らし、共に育ってきた。普通の女の子達だと思っていたのに。
女の子の話だからといって、ホワホワした感じじゃないぜ。バラの花やらキラキラの飾りに彩られてやしない。ハートマークがアチコチに転がってたり、ピンクの雲が浮かんでたり、そんなムードが漂うこともない。
むしろ、その、何て言ったらいいのか、女の子ってスゲエなあ・・・みたいな。なんかちょっと怖いかも・・・てな話だ。
女の子と男の子って、ずいぶん違うんだよな。どっちが良い悪いじゃなくて、ただ違う。不思議だよな
2・
マッシュが島を出て、三日目の事だった。朝イチで、俺の涙も吹っ飛ぶ様な、とんでもない巨大台風が、ホープ島を襲った。滅多にない事だ。
島の天気ときたら、一年三百六十五日、てんで全く変わらない。いつもメソメソ、グズグズ泣いてる感じ?呆れるほどジメジメで、取り柄と言えば、あまり寒くないって事ぐらい。島中まるごと湿地帯で、泥道、沼地、コケにカビ。ボロボロの建物が数軒、他には何もない所だと言えば、まあ、一番わかりやすいかもな。
台風と言えば、大昔に一度、つむじ曲がりのヤツが来ただけなんだ。そいつがまた、ご機嫌うかがいに現れたのかな。久しぶり、調子はどう?ってか。
大人達はパニックになってたけど、正直、俺は大歓迎だ。
ああ、わかってるよ。災害を嬉しがるなんて、変だよな。不謹慎だって怒る人もいるかもしれないけど、知ったことか。
現在の生活にある程度、満足してるから、台風とかが怖いんだろう?幸せな暮らし、落ち着いた日々、それを壊されたくない。だから、災害が嫌いなんだろう?
俺は違う。不幸だった。
マッシュがいない。大好きだったのに、もういない。朝、目が覚めるたび、傍にヤツがいる気がして、振り向いてみても、その姿はどこにもない。
何一つ出来ないし、そもそも何もしたくない。お腹は減るのに食べたくないし、ウトウトするのに眠れないし、誰にも彼にも腹が立つ。みんな、いなくなっちまえ。どうでもいいヤツばっかり、周りをウロチョロしやがって。イライラが止まらない。バカッ。
この最悪最低の気分を、紛わしてくれるモノなら、何だって有難い。ほんの一時でもいい。淋しさを忘れさせてくれるなら、風でも雨でも雷でも槍でもナイフでも、どれでも何でも降ってくるがいいさ。ホープ島なんて、丸ごと海に沈んじまえ。
風が唸り叫ぶのを聞いていると、どうにもこうにも堪らなくなって、俺は悲しみ団地を飛び出した。誰も止めなかった。気づいてもいないに違いないんだ。
ああ、マッシュ・・・。お前がいれば、きっとついて来てくれるのにな。土砂降りの雨なんか気にもせず、泥の投げ合いをして遊ぶだろう。思いっきり笑って、それで・・・。
いや、これ以上は考えるな、俺!気が狂う。
団地の入口を飛び出し、ロトン・アレー(腐敗路地)に降り立ったその瞬間、ものすごい風に吹きつけられて、俺はよろめき、倒れそうになった。
目を開けてもいられない。雨だか海水だか、ミザリー・リバー(みじめ川)の汚いヘドロ水なんだか、正体不明の水しぶきが、強風に巻き上げられ、狙ったかのように俺の顔めがけて叩きつけられる。
息が出来ない・・・って、本当に呼吸してなかったら、俺はとっくに死んでるはずだから、空気は吸い込んでるんだろうけど、どう考えてみても、酸素より水の方が肺に多く入ってる。溺れそうだ。
もともと、グチャグチャネトネトの汚い通り、ロトン・アレーは、今や、こげ茶色の濁流が渦巻く川と化していた。深さも太ももまであって、二秒ごとくらいに力一杯ふんばらないと、足を掬われて流されそうだ。上半身は風にぶん殴られ、下半身は水に押しまくられ、体がバラバラになりかねない。一旦、水中に引きずりこまれたら、アッという間に意識を失い、次に目覚めるのは天国だろう。
髪が狂ったかのように吹き乱される。全身を雨が乱打する。目も口も鼻も機能を果たしてないけど、耳は何とか働いている。が、拾える音はとんでもなく不気味で、聞かなければよかったと思ってしまう。
雷だ。ものすごい轟き。俺はもう、地球がまっ二つに割れたって驚かないぜ。風もますます唸りまくる。ゴオオッーなんて生易しい音なもんか。成分の半分が水なんだから。ドシャーンってな音さ。
なんとまあ、有難い。ここでなら、俺の叫びは誰にも聞かれない。俺の涙も見られない。全身で泣き、遠慮もなく喚きまくった。なんで一人ぼっちなんだ!恋しい、お前が恋しいんだ、マッシュ。
ピカピカと、鋭く光る青い稲妻が、棘の様に暗い空を切り裂く。
悪意もなく、ただそこに存在するだけの、自然の巨大パワー。その中に身をさらし、ただ立って豪雨に打たれていると、少しずつ少しずつ、体が暖かくなり、心が落ち着いてくるのを感じた。自分の心の中よりもっと、外の世界が荒れ狂っているからだろう。
頭がボーッとなり、意識がモウロウとし始めた。今、気絶してないなら、もうすぐ気絶しちまいそうだ。頭は空っぽ。何も無い。
なんて言ってたら、本当に頭がなくなるところだった。
いきなり、何か固くて尖った物が、俺の頭をヒュッとかすめて飛んでいったんだ。ピッと皮膚が切れた感触があって、チリッと痛みが走る。
どこかに出かけていた意識がパッと戻り、俺はハッと目を上げたけど、狂ったように舞い踊る雨風以外は、何も見えない。
慌てて髪を掻き回し、調べてみた。大丈夫。頭はちゃんとついている。首もチョン切れてはいない。何が当たったにせよ、それは、どこかに飛び去ったし、俺は生きてるらしい。この状況下では、出血の有無は判断できないけど、もし激しく出血してたら、心配する暇もなく死ぬんだろうから、心配しなくていい道理なわけで。
ガラガラガラ・・・雷が耳をつんざき、ついにドッカーンと腹にパンチの大音響。雷が落ちたんだ。俺に直撃してないといいんだけど。こう次々にヤバい事態が起こってちゃ、自分が生きてるのかどうかすら、あやふやになる。
バン、バン、バン、なにかリズミカルな音が耳に届いた。お次は何だよ?
雨のカーテンをすかして見ると、ロトン・アレーを挟んで向かい側、暗やみ団地の玄関ドアの音だとわかった。
観音開きタイプで、二枚あるドアの内の、一枚が壊れたんだ.。上の蝶番だけで、危なっかしくドア枠にぶら下がってる。頑丈な鉄製なのに、まるで布きれ一枚で出来てるみたいに、風に揺さぶられ煽られて、上へ下への大騒ぎ、その度にバタンバタンと、気が違いそうな音を立ててる。
これはヤバいだろう。数秒後には、千切れて吹っ飛びそうだ。そして俺にぶち当たる。
そうなるとは限らないけど、もしかしたら、そうなるかもしれない訳で、つまり、ここにいたらマズイってことだ。
踵を返そうとした丁度その時、誰か小さな人影が、悲しみ団地から飛び出してきた。姿はよく見えないが、あのドアをかいくぐって外に飛び出すんだから、命知らずなヤツであることは間違いない。
そいつは、真っ直ぐこっちに走ってきたかったらしいけど、実際には雨風激流にブロックされて、フラフラよろめき歩くのが精一杯。
いや、どんな進み方をしようが、どうでもいい。問題はそこじゃない。ここにいたら危ないんだって。こんな時、外に出てくるなんて、とんでもなくバカなヤツだ。俺もか。
団地に連れ戻さないと。
俺は、雨を掻き分けるようにして必死で前進し、何度も押し戻されながらもようやく、そいつと数メートルまで距離を詰める事ができた。
顔が見える。ワイルド・キャットだ。先週、十二歳になったばかりのやせっぽちなチビ。
確かに、ヘルズ・スクエアの子供達の中ではお転婆な方だけど、だからといってこんな狂気のお散歩に出ることはないと、俺は思う。
「ワイルド・キャット、危ない、戻れ!」
「サイクロンなの?手伝って!」
はあ?何を手伝うって?ワケがわからない。でも、悠長に話を聞きだしてる場合でもない。早くこいつをとっ捕まえて、団地に連れ戻さないと。あともうちょっとで手が届くのに。
ありとあらゆる法則を無視して、好き放題に暴れ回る雨風は、俺とワイルド・キャットを小突き回す。手を伸ばしても、互いの体は指先をかすめてすりぬけ、捕まえられない。
これほど危険が迫っていなけりゃあ、面白い眺めだったのかもな.
でも、今は笑うどころじゃない。
なぜなら、今しも暗やみ団地の玄関ドアが、千切れて吹っ飛びそうだから。そのすぐ前にワイルド・キャットがいるから。当たれば死ぬからだ。
冗談じゃない。そんな事させるか。死なせないぜ、絶対。
思い一つで事が為されるなら、俺は水の上だって歩けたろうよ。気持ちは焦れど、体が進まない。風の抵抗が強すぎる。
俺は、流れの中に膝をついた。肩まで水に浸かり、四つん這いで進んでみる。体を押し流そうとする泥水の力は、思った通り、風の力よりはまだ弱い。進める、さっきよりは進めてる。
ワイルド・キャットは、もう立ってるだけで精一杯な状態だ。片手で顔を覆い、もう片方の手をやたら振り回して、雨風を払いのけようとしてる。無理にきまってるだろ。常識で考えろよ。
ギュリュリュリュリュ・・・。不吉極まる音がした。何かがねじ切れるような音。
案の定だ。目を凝らしたその瞬間、イマイマシイあのドアが、ついにドア枠から千切れ飛んだ。強風に煽られて上空に舞い上がったけれど、鳥の様にそのまま飛んでいくのには、あまりにも重い。重すぎる。グライダーみたいに、宙返りをして向きを変え、今度はものすごいスピードのまま落下してくる。ワイルド・キャット目がけて。
どうしてあんな事ができたのか、わからない。彼女を救いたい一心で、火事場じゃないけど、火事場の馬鹿力がでたんだろう。
ジャンプなんておよそ出来そうにない状況だったのに、気が付いたら、俺は思いっきり飛び上がっていた。ワイルド・キャットに体当たりして、そのまま押し倒す。
間一髪だった。飛来したドアの鉄板は、俺の背中から五センチと離れていない場所をかすめて、その先に落ち、派手な水しぶきを上げた。半分沈み、半分浮いた格好でしばらく漂った後、どっかに流れ去った。
助かった・・・。ドッと力が抜けると同時に、背中がチリチリして、ガタガタ震えがきた。ギョエエエ。怖かったよう。
俺の体の下で、ワイルド・キャットがジタバタと暴れ出した。まだ水に沈んだままで、このままじゃ溺れちまう。決死の救出劇がおじゃんになる。
俺はすぐさま、ワイルド・キャットを引っ張り起こし、両腕に抱えて息継ぎさせてやった。相手がこいつじゃ、イマイチ盛り上がらんのだけど、それでも俺、ヒーローみたいでカッコイイ。
ワイルド・キャットは気道に酸素が通るなり、俺を突きのけ、うろたえた目で、あたりをキョロキョロ見回し始めた。
「無くなっちゃった・・・」
そう呟くと、俺を突飛ばして跳ね起き、その勢いでよろめいて倒れそうになる。差し伸べた俺の手は、ピシャッとはたかれて、俺自身の喉を直撃。
「ウゲゲゲーッ」
俺はゲホゲホ咳き込み、空気を吸い込もうとして雨を吸い込み、またむせた。
ワイルド・キャットはフラフラそこらを彷徨いながら手で髪をかきむしり、
「無い、無い、無い!無くなっちゃったよう!」
と叫び続けている。だから、なにが無くなったってんだよ?
ザアアアアー!雨が激しくなり、まるで上下左右から滝が吹き出しているかのようだ。
その、ものすごい騒音の中でも、ワイルド・キャットの次のセリフは、はっきりと聞こえてきた。
「なんてことすんのよ、このトンマ!」
エエーッ?いのちを救ったヒーローに、その言い草?何で?どうして?意味わかんねえ。お前こそトンマだ!
出来ることならケンカを吹っかけたいところだけど、出来なかった。
どこからか、ガッシリとした大きな手が伸びてきて、俺の襟首を引っ掴み、ワイルド・キャットの襟首も引っ掴み、俺達がすっ転ぶのも構わず、ロトン・アレーを引きずりだしたんだ。
暗やみ団地のホールに放り込まれて初めて、手の主が誰だかわかった。ワイルド・キャットの親父さんだ。
外ではまたズドーンと雷が落ち、俺とワイルド・キャットの頭にはゲンコツが落ちた。
やっぱり俺は、ヒーロー向きじゃないんだな。
3・
結局その日、俺は暗やみ団地に泊められた。危ないからってことだったけど、海のかなたに吹っ飛ばされた方がマシだったよ。
おかげ様で、俺は一晩中ずっと、ワイルド・キャットに、なじられ続けるハメになった。
そのワケ、教えてやろうか。
暗やみ団地でも悲しみ団地でも、子供達はそれぞれ一つずつ、宝物箱を持っている。
昔は集合ポストとして使われていたヤツ。見たことあるだろ?玄関ホールの壁にズラーリと取り付けられてる、銀色の箱さ。
俺達は、どれだけ見栄を張ったところで金持ちには程遠いから、大した物は入ってないけど、自分にとって大切な物をしまってあるんだ。
この日、巨大台風の巻き起こした強風が、暗やみ団地の壁穴(自慢じゃないが、ハンパな数じゃない)から舞い込み、渦を巻いて、そのままワイルド・キャットの箱を直撃した。
あいつの箱は壁から引き剥がされて外に吸いだされ、蓋が壊れていたもんだから、その中味をまき散らしながら飛んでいっちまったんだ。俺の頭をかすめていったのは、この箱だったんだな。
ワイルド・キャットは、みんなの制止を振り切って箱の後を追いかけ、宝物を取り戻そうとしたんだけど、俺に邪魔されてそれが出来ず、宝物を失ってしまった・・・
と、これだけの話をするのに、ワイルド・キャットはなんとタップリ二時間半も使い、その間、俺は十七回「あんたが悪い」というフレーズを聞かされた。
なんか納得できねえな。台風は、俺がご招待したんじゃねえし、団地がボロボロに崩れかけてるのも、俺のせいじゃない。
しごく常識的な意見だろう。それなのに、ワイルド・キャットときたら、耳を貸すどころか、こんな命令を俺に下しやがった。
<ワイルド・キャット>
私の宝物を探し出してきなさい。
<俺>
はあ?何を命令してんだよ。ヤダよ。
<ワイルド・キャット>
あんたのせいでなくしたんだから、あんたが探すの。何か文句ある?
<俺>
あるよ。フツーにおかしいだろ。自分でさがせよ、自分で。
<ワイルド・キャット>
あんたに突き飛ばされて足を痛めたのよ。見てよ、この腫れ。痛いっ。歩けないの。
<俺>
骨、折れたのか?
<ワイルド・キャット>
私の心配は私がするわ。
あんたはね、宝物を探し出して持って来れば、それでいいのよ。
<俺>
足が治ってから、自分で探せよ。
<ワイルド・キャット>
今すぐ探し始めなきゃ、どこかにいっちゃうわ。
<俺>
何年かかったって、どの道、見つからないと思うぜ。この嵐の中じゃ、どこに吹っ飛んだかわかりゃしねえもんな。海に落ちたかも。
<ワイルド・キャット>
ひどい事、平気な顔で言って何よ!
あんたが余計な事したから、宝物を捕まえ損なったっていうのに。
<俺>
助けてやったんじゃないかよ。命と宝と、どっちが大切なんだ?
<ワイルド・キャット>
今は宝物の方が大事よ。私は死ななかったんだから。
<俺>
いや、だから!それは俺のお陰だろ。
<ワイルド・キャット>
そんな事はどうでもいいの。
<俺>
どうでもよくねえだろ。
死んじまったら、宝物があったって、何にもならないじゃねえかよ。
<ワイルド・キャット>
私、今この場で死にたいくらいだわ。
本当に大切な宝物だったのに。二度と手に入らない、大事な大事な宝物。
それなのに・・・それなのに!それなのに!あんたのせいで、こんな事に!
<俺>
わあーっ!もういい、もういい、わかったよ、わかったってば!降参だ!
探せばいいんだろ、探せば!
<ワイルド・キャット。
まったく常識が通じないんだから。こんな簡単なことがわかるまで、何時間かかってんのよ。
ホラ、これが失くした物のリストよ。手を抜かないで、きっちーりと探しなさいよ。
<俺>
いつリストなんか作ったんだ?早っ。手回しよすぎだろ。
<ワイルド・キャット>
なんか文句でも?
それなら言わせてもらうけど、あんたが邪魔しなければ・・・。
<俺>
ストップ、ストップ、待て待て、勘弁してくれ、もうよしてくれ。
俺、何にもいってないだろ。文句ないよ、文句なんか、もう全然、ない!
これだけのトラブルをまき散らしたあげく、張本人の台風は、次の日にはもう、アッサリと消え去った。
翌朝は、ホープ島としては奇跡的にさわやかな天気で、まあ、太陽は輝いちゃいないし、青い空も白い雲も見えちゃいないが、それでも、おだやかで気持ちのいい風が吹いていた。
出来もしない団地の修理にいそしんでいる大人達。ヘル・マーケット(ゴミ捨て場ともいう)に、食い物漁りに出ていく子供達。みんな、意味もなく忙しそうにしているが、俺は一人、その輪からはずれ、悲しみ団地の玄関前に座り込んでいる。
台風が来る前からボロボロで、来た後には半分崩れた外階段で、ワイルド・キャットのリストを前に頭を抱えてる。
リストは、グズグズになったシリアルの箱に、薄いエンピツ書きだったんだが、読みにくいのは、その為ばかりじゃない。
字が・・・汚すぎて読めない。
最初の字は、多分「エ」だよな。次の字が、どうしても読み取れない。地球上に、こんな字はない。想像力を働かせて推測するしかない。
ワイルド・キャットに聞けば早いんだろうが、あいつは今、痛めたおみ足を休ませる為にお昼寝中だ。起こしに行くなんて、死地に赴くようなものだ。
エ・・・エ・・・エンジン?そんなバカな。エ・・・エントツ?なワケないだろ。エンドウ?エリマキ?エリマキトカゲ?
解読不能じゃねえか!
俺は、リストをあっちに曲げ、こっちに傾け、グルリと回して逆さにしてはまた戻し、自分の頭も右にひねり左にひねり、それでもやっぱり、全然わからん。
スパイの使う暗号が読めないってんならともかく・・・、バカバカしいぜ。ただ汚いって理由で読めないなんて。
どうしよう・・・。
その時、俺の隣に誰かがストンと腰を下ろし、俺はびっくりして飛び上がった。慌てて顔を上げたら、大きなアーモンド型の目が、ばっちり俺を見つめていた。
暗やみ団地のピーチだ。
<ピーチ>
サイクロン先生、お悩み?
助けてあげましょうか?
<俺>
断る。
助けるかわりに何かしてくれって、そう言うんだろ。ヘルズ・スクエアのガキどもときたら・・・まあ、俺もそのガキなワケだけど・・・本当にチャッカリしてやがるんだ。
そうやって力を借りてさ、また借りを返して・・・なんてやってたら、俺は一生、このろくでもない島にカンヅメになっちまうよ。
<ピーチ>
あなたも島を出たいの?
<俺>
いつかはな。でも、今はそれどころじゃねえんだ。ワイルド・キャットの宝物を探しださなきゃ。
だけど、何を捜したらいいのかわかんねえ。
十回眺めても、百回眺めても、同じだぜ。それで解るくらいなら、最初から解るもんな。
<ピーチ>
エンピツって書いてあるのよ。
<俺>
なんとエンピツかよ。なるほど・・・って、オイオイ、待てよ、待ってくれ。
ヘルズ・スクエアの中から、エンピツ一本探し出せってか?台風の後で?冗談じゃないぜ。困るよ、そんなの。できるか!
なあ、他にエンピツが無いわけじゃないだろ。ヘル・マーケットにだって落ちてるだろうし、本土から買ってもいい。「エッグの花」の観光収入のお陰で、ヘルズ・スクエアには、僅かながら収入もあるんだしよ。
<ピーチ>
他のエンピツじゃダメなのよ。ワイルド・キャットのエンピツは特別な物だから。
<俺>
どんなヤツなんだ?
<ピーチ>
長さは中指くらいかな。ヘル・マーケットで拾ったの。けっこう使い込んであったから、芯はグラグラ。緑色なんだけど、その塗りも剥げてたし。
<俺>
ボロ屑じゃねえか。
それにしても、お前、ずいぶんと詳しいな。
<ピーチ>
ワイルド・キャットは、そのエンピツに、特別な思い出があるのよ。
<俺>
どんな?
<ピーチ>
秘密。
<俺>
事情を聞いてもいけないのかよ。
<ピーチ>
リストの次は?
<俺>
まだそこまでいってねえよ。トロくて悪かったな。
<ピーチ>
大丈夫よ。私には全部わかるから。
<俺>
助けはいらねえ・・・って。やっぱ必要か。
<ピーチ>
私も島を出たいな。
<俺>
あ?ああ・・・お前はまだ十四歳だろ。焦る必要ねえさ。
それよりリストの続きを読んでくれ。全く、どうやったら、こんなにヒドイ字が書けるんだ?お前、よく読めんな。
<ピーチ>
彼女の気持ちを知ってるから、読めるのよ。
<俺>
お前とワイルド・キャットって、そんなに仲が良かったっけ?
ピーチは俺を無視してリストを取り上げると、スイスイ解読し始めた。
①エンピツ②サメの歯③ハンカチ④片袖が千切れたチェックのシャツ
<俺>
お前、これは間違ってるだろ!
<ピーチ>
何も間違ってないわよ。何でよ?
<俺>
こんなの、みんなゴミじゃねえか。もっとマシな宝物があるだろ、フツー。
ハンカチなんか、申請書出して、本土から買ってきてもらえばいいだろうが。「エッグの花」を見に来る観光客、結構な金を落してるんだぜ。
今月の会計係は、サンシャインだよなあ。エンピツの予算ぐらい組んでくれるさ。 なんなら、俺から頼んで・・・。
<ピーチ>
見当違いな方向に突っ走らないでよ。
これはワイルド・キャットの宝物なんだから、あなたがツベコベ言うことないの。
頼まれた物を見つけてあげれば、それでいいのよ。早く探しに行きましょ。
<俺>
お前、探すのも手伝ってくれるのか?メチャメチャ大変な作業になるの、わかってんだろ?なんか・・・アヤシイな。
<ピーチ>
何が?
<俺>
親切すぎだ。何か企んでね?
<ピーチ>
別に。信じなさいよね。
誰が信じるかよ。でも、正直な所、手助けがあるのはものすごく助かる。俺一人じゃ、とても出来そうじゃない。
でも・・・どうにも何だか気にかかるんだよなあ。エッグみたいに頭キレキレのヤツなら、すぐにピンとくるのかもしれないけど、俺ときたらモヤモヤするばかりで、何が気になってるのかすら、よくわからない。
なんで、ワイルド・キャットは、あんな冴えないシロモノを宝物箱に入れといたのか?どうしても取り戻したがっているみたいだけど、そうまでする程の価値、あるかなあ。
金が全く無いってのなら別だぜ。失くした物の代わりが、どうしても買えないなら、見つかるまで、しつっこく探し回るしかないし、事実、少し前までのヘルズ・スクエアはそうだった。どんな物だって、途轍もなく大事にしてた。
でも、今は違う。僅かだけれど、ヘルズ・スクエアには収入があるんだ。それも、観光収入だぜ。信じられないだろ?このゴミ溜めを見に来るなんてさ。認めたくはないんだけれど・・・それもこれもエッグのお陰なんだから、ホトホト嫌になる。
島を出る直前、エッグは新種の花を発見したんだ。地面の下で花を咲かせる、とても珍しい種類の。ヤツは、俺とマッシュにその花を託していなくなった。俺とマッシュは、その新種の花を増やしていき、暗い地中の中の花畑を作り上げ、その光景が花マニアにウケた。
花マニアなんて、キャンディマニアや金塊マニアに比べりゃ数は少ないし、しょっちゅうホープ島に来るわけじゃないから、俺達ヘルズ・スクエアの連中は、もちろんお金持ちにはなれなかった。相変わらず、スラムはスラムさ。でも、以前よりは少し、ほんの少しは金を持っている。島から本土に船で渡り、そこの店で買い物なんて出来ちゃったりする。ハンカチだの、チビた鉛筆だのと・・・ワイルド・キャットは、なぜ買い替えないんだろ。なんで、見つかるかもわからないものを、探さなきゃいけないんだよ?
ああ・・・マッシュがいればなあ。一緒に考えてくれるのに。
でも、マッシュはもういない。自分でやるしかないんだよな
4・
とは言っても、これほど気が滅入る作業もない。もともと俺は、チマチマ細かい仕事が嫌いなのにさ。
ああ、確かにホープ島はチッポケな島だし、ヘルズ・スクエアは狭い地域だよ。
だからって、エンピツ一本を探し出すなんて。どこから手をつけたらいいのかわからないし、例えやり始めた所で、最初に探した場所には絶対になくて、最後に見た所から出てきそうな気がするのは、俺だけか?
ピーチが、やたら張り切ってんのも、なんか変な気がしてしょうがない。
俺達は取りあえず、北側のスワンプ(沼)から始めることにした。
島には幸い、木も岩も草もない。あるのは泥とコケばかり。建物も三つしかない。探すのに、時間も、そうは掛からなそうに思えるだろ?ところが、計算違いが一つ。
ピーチだ。こいつのやり方ときたら、俺を苛める為に、わざわざ考え出したとしか思えないんだよな。
まず、二人並んできちんと立つ。一歩進んで、自分の足の間を見る。エンピツは・・・無い。また一歩進んで、足の間を確認する。エンピツは無い。また一歩、エンピツを探す。そして、また一歩・・・って、こんな探し方、嫌だよ、嫌だ。やめてくれ!
百万年もかかっちまう。ジイサンになっちまう。そのあげく、エンピツは見つからなかったら、どうするよ。人生、やり直しはきかないんだぜ。
なるほど、ピーチの主張もわからなくはないよ。このやり方だったら、確かにエンピツを見逃す事はありえないかもしれないけど、だからと言って、正気を失っていいわけじゃない。
捜索はまだ始まってもいないのに、俺はたちまち挫けた。
ところが、ピーチの方はグチ一つ言わない。目を皿のようにして、ゆっくり丁寧に探していく。
時々、ズボッと音を立てて、足が泥の中に沈み込む。スワンプ(沼地)の表面は不安定そのものだ。浅い所もあれば、深い底無しもあるし、粘土みたくネッチョネチョしてたかと思うと、いきなり池になったり、巨大な水たまり状態になったり、色々だ。特にフワフワした泥がこんもりと積もっている箇所や、コケがビッシリ覆っている場所では、ピーチのヤツはわざわざ立ち止まり、ドロをこねくり回したり、コケを取り除いたりして、何十分も無駄にした。
こいつって、こんなに忍耐強い性格だったっけ?俺って意外に、ヘルズ・スクエアの女の子のこと、よく知らないんだな。
それにしても、よく動くピーチの指先は、灰色の乾いた泥に覆われている時でさえ、いかにも柔らかそうで、ほっそりとキレイだ。
それを見れるのは心地良かったけど、それ以外は、てんでもうダメ。
<俺>
なあ、あのさあ・・・。
<ピーチ>
まさか、もう飽きたわけ?
<俺>
ズバリ、そうなんだ。
<ピーチ>
始めたばっかりじゃない。
<俺>
エンピツ、海に落っこちたって事にしちゃ、ダメかな。
<ピーチ>
してもいいわよ。島中探して、どうしても見つからなかったらね。
<俺>
じゃあ、もう島中、探し終わったってことにしようぜ。
<ピーチ>
それはボツ・・・ちょっと、ストップ!そこの、何?
<俺>
ああ?おっと、こりゃ、エンピツかな・・・
ゲエエッ!違うよ、違う。ヒルだ、群れてやがるぜ、どでかいヒルの大群だ、やっべえ、あっち行け、あっち行け!
うっへえ、気持ち悪っ。ここから離れよう。
<ピーチ>
いきなり動かないでよ。探し物してるの、忘れた?
間違いなくヒルなの?エンピツっぽく見えるけど・・・。
<俺>
エンピツがウネウネ動くかってんだ。さっさと進めよな、お前。
<ピーチ>
あんたの言うことは、全部、却下よ。一歩一歩、ゆっくり。エンピツを見逃したら、どうすんのよ。
<俺>
はあ?グズグズしてたら、全身に吸い付かれちまうぜ!
<ピーチ>
丁度いいじゃない。あんたは血の気が多過ぎよ。
俺はそれ以上、何も言えなかった。デブっと太ったヒルが二十三匹、一斉に足に這い上がってきやがったんだ。ジャンプして飛びつき、ブチュッと吸い付いて、血を飲み始めてるやつまでいる。最悪な感触だ。助けてくれ。
俺は悲鳴を上げて助けを求め、逃げ出そうとして、ピーチに頭をはたかれた。痛い・・・
ピーチの方は落ち着き払い、足や腕、顔からまでも、ヒルを一匹一匹ひきはがしながら、こいつ救いがたいと言わんばかりの目で、俺を睨む。
確かに、実害はあまりなかった。ヒルは赤い跡を残しただけだ。すぐに逃げ出せたし、貧血になることだって、そりゃあ、なかったさ。
でも、ヘコんだ。
結局、その日は、エンピツも見つからず、予想していたとはいえ、気分は最悪。
次の日も、次の日も、そのまた次の日も、見つからない。
「絶対に見つからないに決まってるんだから、驚かないですむよなあ」
とか何とかブツブツ言って、ピーチに当たりつけていた五日目の夜、ひょんな事で、ひょんな所から、嫌味なエンピツ野郎は姿を現した。
しかも、見つけたのは俺達じゃない。そんなのってアリ?な展開だけど、現実は、そんなもんなんだろうな。
その日は、朝からホープ島特有のシトシト雨が降り続き、ヘルズ・スクエアはいつもにも増して泥だらけ。俺達は、夕方にはすっかりバテバテで、捜索を打ち切った。丁度、夕飯の時間だったし、キリもよかったんだ。
「エッグの花」が、ムラはあるものの、観光客を呼び込んでくれるようになってから、その収入のお陰で、ヘルズ・スクエアの住人達は、一日一食から一日二食へと変わった。量も増えた。これは素直に嬉しい。以前は飢え死に寸前だったもんだ。
悲しみ団地に戻ると、ジャストのタイミングで、夕飯の大鍋が登場した所。
ヘルズ・スクエアの団地は、正確に言えば団地ではない。でかい部屋が一つしかなくて、住人全員がみんな一緒に暮らしてる。昔は、普通の団地らしく、小さな部屋に分かれてたんだけど、廃墟同然にオンボロくなってから、部屋と部屋の仕切りがなくなっちまった。壁が崩れたり、燃料にする為に崩したりしたからだ。
一つ屋根の下、ではなく、一つ部屋のもと、で暮らしてると、何もかも一緒にやるのが手早いし、楽だし、金も掛からない。
食事もそうで、みんな一緒。一年三百六十五日、メニューも変わらずいつもゴッタ煮。他の物を食べたくとも、燃料が限られてるからな。ホープ島には、資源と名の付く物は、さっぱりと何も無い。で、燃やす物があまりないワケ。
鍋の中身には、本土で買った食材も少しは入ってる。イモとか小麦粉で作った団子とか。でも、それ以外は、ヘル・マーケットで拾った物や、スワンプで狩った獲物(汚らしいカニやカタツムリ、蛇、ネズミ)、親父連中が釣り上げた魚が少々、その他、あまり深くは考えたくないモロモロ・・・これ食えるんじゃね?と思えるシロモノを、なんでもかんでもブチ込んで煮る。水は濁ったウェル(ため池)から汲むしかなくて、そのせいで、いつも泥味だ。
新鮮とも清潔ともいえないけど、あればあるだけ食べちゃうから、あればあるだけの食材を使うしかない、えり好みなんて、ヘルズ・スクエアの連中は、贅沢だって考えてる。
さぞマズイだろうって?うーん、何とも言えないな、微妙。じっくり味わったら、多分マズイんだろ。でも、大抵は空腹のあまり、よく噛みもしないでガツガツ丸呑みするから、幸い、味なんかわからないんだ。とにかく、満腹すれば満ち足りた気分になれるし、そしたらウマい物を食べたような気になる。だから、それで結果オーライじゃないか。食中毒になったヤツも、そう多くないし。
でも、この日は、ヘビみたいな丸呑みのせいで、チェリーがあやうく死ぬところだった。
いつも通り、俺達が、まるで早食い選手権に出場しているがごとくガツガツ、食ってる時、チェリーが突然、片手で口を押え、片手で近くのヤツを叩きながら、バタバタ体を揺すり出したんだ。
「ホロニ、ホゲハ、ワハッハア!」
こういう事はしょっちゅうあるから、みんなすぐ意味がわかったよ。翻訳すれば、
「喉に骨が刺さったあ!」
マネーマネ―が、素早さをいかしてチェリーに飛び掛かって、押さえつけ、ブーブーが、その馬鹿力で口をこじ開ける。将来は、本土で看護師の勉強をしたいレインが、いい練習台だとばかりに、チェリーの口を覗き込んだ。喉に指を突っ込み、それはさすがにマズイんじゃないか、と思うような雑な手つきで、何かを引き抜く。
骨とは似ても似つかない。チェリーの口の奥で、つっかえ棒状態になってたのは、ちびたエンピツ。ワイルド・キャットのエンピツそのもの。
誰も特に驚かなかった。ヘルズ・スクエア流グルメ料理の中には、消化に良くない物やら、正気を疑うものが、よく混じりこむ。
「これ、誰のエンピツ?」
という質問があって、
「私の」
ワイルド・キャットが答え、それでお終い。みんな、すぐまた鍋を掻き回し始めた。
ワイルド・キャットのヤツ、あいつだけは、食事に戻る前、たっぷり四十秒ほども、俺とピーチに、皮肉な視線を投げてよこしたけど。
俺は思わず赤面し、そんな自分に腹がたった。五日間、ひたすら探し回ってた宝物が、チェリーの喉から出てくるなんて、それほどマヌケな展開、俺のせいじゃない。
なんとなくむしゃくしゃして団地を飛び出し、玄関ステップに座る。気温は高めみたいだけど、いつもの霧雨が、顔にひんやりと冷たい。どうして、この島は、いつもいつもビショビショしてるんだ。
そっと肩に手が置かれた。見上げると、暗い夜空を背景に、ピーチの顔が真っ白に浮き出ていた。優しい微笑を浮かべている。
ピーチは俺の横に座った。彼女の頬には、クリームがそっとへこんだみたいな、いかにも柔らかそうなえくぼが出来る。ちょっと触りたくなるような感じで。
<ピーチ>
どうしたの?
<俺>
落ち込んでんだよ、見りゃわかるだろ。
ワイルド・キャットのヤツ、腹立つなあ。
何もかも、面白くねえ。どうして俺が、こんな事やらされなきゃなんねえんだよ・・・
<ピーチ>
しょうがないわね。
だったら話してあげるわ。なんでエンピツなんかが宝物なのか。
<俺>
秘密なんだろ。いいよ、話さなくても。
<ピーチ>
ワイルド・キャットは、ずっと読み書きが出来なかった。字っていう物が掴めなかったのよ。
<俺>
字は字だろ。なんで解んねえのかな。
<ピーチ>
みんなと一緒にルインズ(廃墟)でしっかり教わったのに、一人だけ出来ない。字がわからない。
ワイルド・キャットは、ものすごく恥ずかしがってたわ。みんなに知られるのを怖がってた。隠れてこっそり練習してたの。紙を手に入れる度に、あのエンピツを握って、字を書こうとしてた。でも、字っていうものが、どうしても理解できないらしくて。
<俺>
全然、知らなかったよ。ちょっと可哀想だよな。
<ピーチ>
ワイルド・キャットは、元気いっぱいのお転婆だけどね。その裏じゃ、いつも怯えてた。読み書きが出来ないのが、みんなにバレたらどうしようって。それで、必死になって隠そうとして、ごまかしたりウソついたり。
でも一人だけ、気がついていた人がいたの。
<俺>
お前だろ?
<ピーチ>
私じゃないわ。エッグよ。
<俺>
え?でも・・・。
<ピーチ>
黙っててよ。口挟まないでちょうだい!
<俺>
はあ?
<ピーチ>
あれから、もう何年も経ったのね・・・信じられない。
霧がいっぱい出ている朝だったわ。まだみんなが寝ている時間。
エッグは、ワイルド・キャットをそっと起こしてね。二人きりで、島の北端、海を見下ろす先端まで行ったの。
それで、ワイルド・キャットに言ったのよ。
「そのエンピツをお寄越し。僕が預かる。それがいけないんだよ。他のやり方でやろう。大丈夫、秘密は絶対に守るから」って。
<俺>
どういう意味だ?
<ピーチ>
うるさいわね。静かにしてて。
それから毎日一時間、エッグとワイルド・キャットの、秘密の勉強が始まったの。ちょっと面白いやり方でね。
泥をこね回して字の形を描いたり。ミミズを並べて単語を綴ったり。コケを積み上げて、立体的に字を作ってみたり。
工作みたいに、手で感じを掴んでいく所から始めたのよ。
<俺>
めんどくさ!かなり根気がいるよな。
<ピーチ>
ワイルド・キャットは、何度も投げ出そうとしたわ。怒ったり泣いたり、叫び続けたりした事もあるわ。どうせ自分は大バカだ。こんなの無駄だ。絶対、出来っこないって。
でも、その度にエッグが言うの。
「君は絶望してないよ。君は諦めてないんだよ。まだだ。まだだよ、ワイルド・キャット。君は、まだ頑張れるよ」
それで、少しずつ、本当に少しずつ、彼女は字がわかるようになってきたの。書き方はメチャメチャ汚いけどね。読み書きっていうものが掴めるようになった。それまでには、二年もかかったのよ。
<俺>
おい、お前・・なんだって、そんなに詳しく知ってるんだ?まるで、その場にいたみたいじゃないか。セリフの一つ一つまでさ、どうしてわかってるんだよ?
<ピーチ>
見てたから。ずっと見てたわ。
ワイルド・キャットが、初めて文章を書いて、それを読めた時、エッグは、本当に嬉しそうに笑ったわ。全身から、喜びがはじけるように溢れ出して、彼は輝いてた。
それで、ワイルド・キャットにエンピツを返して、エッグはこう言ったのよ。
「こんな物、もう怖がらなくていいんだよ」
それで・・・。
<俺>
いやいや、俺が聞きたいのはそこじゃねえんだよ。
見てたって言ったよな。どういう事なんだよ、それ?
<ピーチ>
私、ずっと隠れて二人を見てたの。
<俺>
二人に気付かれずに、こっそり?毎日?二年間も?
怖いぞ。お前、怖すぎだろうよ。何で、そんな事したんだ?
<ピーチ>
見ていたかったからよ・・・。変じゃないわ。ただ、見つめていたかっただけ・・・。
ピーチの話は、よくわかるようで、全然、意味不明だ。なんか妙にゾクゾクするって感じでさ。オバケの話とかじゃないのに、背中がチリチリすんだよ。
でも・・・ワイルド・キャットの宝物には、大きな意味がこもってるってことは、確かにわかった。
ゴミみたいなシロモノでも、大切な物なんだってこと、本当によくわかった。
捜索リスト②は、ハンカチだったよな。よし。文句言わずに探してやるよ。
5・
<俺>
で?
<ピーチ>
何よ?
<俺>
リストの二番目、ハンカチだよ。それには、どんなエピソードがあるんだ?
どうせお前、それも盗み見して、盗み聞きしてさ、全部の事情を知ってんだろ?
<ピーチ>
人聞きが悪い事、言わないでよね。
まるで私がヘンな人みたいじゃない。
<俺>
変人を通り越して、どんどん進化しちまった様な感じだけどな。
<ピーチ>
そんなこと言うなら、話してあげない。
大体、どうして、あんたなんかに、打ち明けたりしたのかしら。
<俺>
二人っきりで過ごしてるからだろ。
まさか、一日中、ダンマリで歩き続けるわけにもいかないもんな。
<ピーチ>
単純な理由・・・。でも、そうかもね。
グリーンタンが、ワイルド・キャットを泣かした事件、知ってる?
<俺>
それも知らない。
俺、本当にダメだなあ。
<ピーチ>
あんたが、昔、エッグやマッシュと芋畑を作ろうとしていた、丁度その時の話よ。夢中になると、他の事は目に入らないんだから。
スワンプの浮島に畑を作ろうなんて、バカみたい。あの、しょうもない畑、その後、どうよ?少しでも、お芋取れた?
<俺>
全然、ダメだよ、悪かったな
でも、いいか。世の中には、浮島での作物栽培に成功している民族だっているんだ。
俺達だって、いつかは出来るさ。
<ピーチ>
こんな沼底みたいな地質の島で?無理無理。
<俺>
お前なあ・・・。
でも、確かに、あの頃は、畑の事しか考えてなかったよ。ルインズにも、しばらく通ってなかったしな。でも、学校があって、先生がいてくれる事には感謝してるんだぜ。まあ、気を取られる事があると、通うの忘れる時もあるけどさ・・・それでもいいもんだもんな、学校は。呼び名はひどいけどさ。ルインズ(廃墟)なんて、誰が付けたんだか。
<ピーチ>
勉強に関しては、ワイルド・キャットは落ち込むことが多いの。
読み書きは出来る様になってきたけど、ほら、あの子、他の教科も、あんまり得意とは言えないから。
その日は、スパンキーが算数のテストをしたんだけど、ワイルド・キャットは、引き算が散々な出来だったみたいでね・・・。
授業が終わった後、あの子、みんなから離れて、ルインズの裏手に向かってトボトボ歩いていったのよ。一人になりたかったんじゃない?
それなのに、グリーンタンが後ろから走ってきてね。ワイルド・キャットの頭をポンと叩いて
「へこみっ子だけに、へこんでんのか?」
なんて、からかったの。
<俺>
え?
<ピーチ>
ワイルド・キャットは生まれつき、胸の中央が少しへこんで、えぐれたみたいになってるじゃない。でも、ほんの僅かだし、服を着てたら全然わかんないから、普段はみんな忘れてる。少なくともワイルド・キャットが、コンプレックスを持ってるとか知らなかったし、あの子が、そんなに気にしてるとは思ってなかったわ。
<俺>
俺も、すっかり忘れてたよ。そうだったな。
グリーンタンは、そいつをからかったのか。どうしようもねえな、あいつ
<ピーチ>
ワイルド・キャットは・・・もう本当に信じられない。ヒイィーッて悲鳴を上げて、棒立ちのまま、顔も覆わずに号泣しちゃったの。
ワアワアなんてもんじゃないわ。ギャアアッてな感じの、尋常じゃない声あげて、震えて泣いて。みんな、驚いて駆けつけたわよ。
グリーンタンも、まさか、そんな事になるとは思わなかったんでしょ。呆然としてたわ。慌てて謝ろうとしたんだろうけど、その暇がなかった。
<俺>
なんで?
<ピーチ>
エッグが、ものすごい勢いで飛び掛かったからよ。どこかで、グリーンタンの言葉を聞いてたのね。エッグは、何でもキャッチする人だから。
それで、グリーンタンの襟首を締め上げて、ぐーんと持ち上げたから、十センチは宙に浮いたわね。エッグの目線より高かったもの。
エッグの顔は、燃えてるみたいに真っ赤で、
「このバカガキがっ。ふざけるなっ」
そう叫び続けだった。
ものすごい勢いで、グリーンタンの体を揺さぶるもんだから、前後左右に首がガクガク振られて、脳震盪でも起こしやしないかと、心配だったわ。
<俺>
へええ!エッグが?信じられねえな。
<ピーチ>
みんなだってそうよ。凍りついちゃって。誰も止められなかった。
エッグは、グリーンタンの体を、地面に叩き付けたの。もっとも、ルインズの裏手は、泥が厚く積もってるから、大して痛くはなかったでしょうけど、そういう問題じゃないわ。
グリーンタンは、恐怖で歯をガチガチ鳴らしてて、逃げる事はもちろん、声すら出せないでいたの。
私も正直、縮み上がっちゃって。
<俺>
エッグのヤツは、自制心の固まりかと思ってたけどな。あいつは何だって出来るし、いつだって冷静でさ。クールってのか、血管に血が流れてないみたいな感じ?冷たいヤツかと思ってたのに。
<ピーチ>
それは違うわ。あんた、エッグの事も何にもわかってないのよ。エッグはものすごく熱い人なのよ。
<俺>
暑苦しいヤツじゃないだろう。お前だってエッグの事、大してわかってないはずさ。
理解するのが難しいヤツだからな。
<ピーチ>
うるさい、バカッ!あんたなんか大嫌い!
<俺>
はあ?ちょっ・・・ちょっと待ってくれよ。
何をいきなりキレてんだ?おい、お・・・。
<ピーチ>
黙っててよ、黙って!あんたなんかと、もう二度と口きかない!
<俺>
はい?なんでそうなるんだよ。俺、なんか変なこと言ったか?
<ピーチ>
エッグの事、一番、わかってるのは私なのよ、このバカッ。
ずっと一緒に暮してきて、いつも傍にいて、ずっとずっと、いつでもエッグの事を見てきたんだから!
エッグは、私が危険な伝染病にやられた時、何週間も付き添ってくれた。命の恩人でもあるのよ!だからエッグの事、一番よく解ってるのは私なのよ!
エッグ・・・エッグ・・・エッグ・・・。
<俺>
今度は泣くのかよ。まいったなあ。勘弁してくれよ、どうしていいか、わからなくなっちまう。それに、お前の話は、だいぶオカシイと思うぞ。
<ピーチ>
エッグが恋しい。とっても淋しい。一人で島を出て行っちゃって、今どこで何してるのかも、わかんない。ものすごく辛いの。
エッグに会いたい。会いたいのよ!
<俺>
そうか・・・そういう事だったんだな。
気持ちはよくわかる。俺も同じなんだ。
マッシュが恋しい。すごく会いたい。
どんな事してても、いつもマッシュのことが心にあるんだ。
<ピーチ>
私もそう。私も同じ。エッグが恋しいけど、怒ってもいるの。私を置いていって、二度と会えないかもしれないのよ。そんなヒドイこと、私にしたから。
<俺>
だよな・・・
俺達はしばしダンマリになった。スワンプからヘルキャット・ロウ(地獄猫横丁)に入り、目はあいかわらず、ワイルド・キャットのハンカチを捜していても、心は別の場所にある。
ピーチと話し続けたかった。話す事で、辛さが紛れるような気がした。
きっと、ピーチも同じだったんだろうな。
「二度と口をきかない」と宣言したわりには、やけに早く、俺と話し始めたんだから。
<俺>
グリーンタンの事件、それから、どうなったんだ?
<ピーチ>
マッシュが、エッグとグリーンタンの間に割り込んだのよ。
「もう十分だ、エッグ」
静かにそう言って、二人を引き離した。
エッグは素直に従ったけど、グリーンタンを許したわけじゃなくて、親友のマッシュを傷つけるのが、嫌だったんだと思うな。
マッシュは、グリーンタンと他の野次馬も引き連れて、すぐそこを立ち去ったわ。だから、その場には、エッグとワイルド・キャットだけが残ったの。
<俺>
「だけ」じゃないだろ。
お前も残ってたんだろ。
<ピーチ>
ルインズの東側の壁に、石屑の山が積まれてるでしょ。あそこに隠れてたの。二人には見つからなかったわ。
<俺>
どうして、そういう事するかな。
<ピーチ>
見ていたかったんだもの。仕方ないでしょ。
<俺>
ゴチャゴチャ文句言う気は、さすがにもうないさ。
それで?
<ピーチ>
エッグは、しばらくジッと立ち尽くしてたんだけど、その内、急に力が抜けたみたいにグッタリして、ワイルド・キャットの隣に座り込んだわ。
それで、ワッと泣き出したの。
<俺>
泣いた?ワイルド・キャットが?
<ピーチ>
あの子は、もう泣き止んでいたわ。
エッグが泣いたのよ。
<俺>
怒ったり泣いたり、忙しいヤツだよな。
<ピーチ>
「辛かったね、ワイルド・キャット。可哀想に・・・」
そう言いながら、エッグは歯を喰いしばって、声を殺して泣いてたわ。
ワイルド・キャットは、最初びっくりしてたけど、次第にフンワリと優しい顔になっていって。
エッグに寄り添って、ハンカチで涙を拭ってあげたの。
<俺>
立場、逆じゃね?
<ピーチ>
そうでもないわ。自分の為に泣いてくれる人がいるって、落ち着けるものよ。
「支えてあげなくちゃ」そう思うと、強くなれる。
<俺>
グリーンタンはどうした?
<ピーチ>
その後すぐ、ワイルド・キャットに正式に謝って、ワイルド・キャットが許して、それでお終い。無事解決。
<俺>
どうして、ただのハンカチが宝物になったのか、よく解ったよ。
<ピーチ>
ハンカチと呼んでるだけで、ただのボロ布よ。でも、エッグの涙がしみ込んでるの。
俺はすっかり真面目になってしまった。もう文句はいわず、一生懸命にハンカチを捜したよ。
見つかった時は、本当にホッとしたし、心から嬉しかった。
ウェル(ため池)の中に沈んでたんだ。濁りがひどすぎて、最初は気が付かなかったけど、他の場所はくまなく探したんだから、もうここしかないだろうっていう、いわば消去法的発見。
ピーチの話を聞いてなかったら、とてもここまで頑張れなかっただろう。
6・
さあ、次に行ってみよう。
リストの三番目はサメの歯か。
うーん。なんで、こうチマチマした物ばっかりなんだ。
俺とピーチは、通算三十七回目の、ヘルズ・スクエア巡りを始めた。歩けば歩くほど、見逃しは少なくなるはずだ。
それに、ピーチと一緒にいるのは、なかなか面白いし、興味深い。
<俺>
ワイルド・キャットは、サメの歯なんか、どこで手にいれたんだ?
<ピーチ>
海で泳いだ時。
<俺>
信じらんねえ。
潮の流れは複雑だし、波は荒いし、サメはウヨウヨいるし、海で泳ぐのは厳禁だぜ。ワイルド・キャットのヤツ、何を考えてんだ?
<ピーチ>
泳いだのは、ワイルド・キャットじゃなくエッグよ。海に落ちたの。
<俺>
やっぱり、エッグの話になるか。それにしても、あの極めつきの万能男が、そんなドジ踏むなんて、そりゃ…イヤイヤ、取り消し!取り消しだ!ごめん。
<ピーチ>
なんで、謝るのよ?
<俺>
あー、なんか怒られそうかなって・・・。先回りして謝っといた方がいいかと思って。
<ピーチ>
ストップ!そこにある、それ。サメの歯なんじゃない?
<俺>
あ?これか。これはただのナメクジだよ。
<ピーチ>
しっかり探してよ。ちゃんと集中してんでしょうね。
<俺>
今はあんまり。だからって、ナメクジと宝物の、区別くらいつくさ。
話、続けろよ。
どうせさ、ワイルド・キャットが海に転落しそうになって、それでエッグが助けたとかなんとか、ヒーロー物のストーリーだろ。
<ピーチ>
全然、違うわ。
あの日、私達は、鬼ごっこして遊んでたの。
<俺>
あの日って?
<ピーチ>
サメの歯を手に入れた日よ。
ワイルド・キャットに私。他はチェリーにエンジェル、ブーブー、マネーマネー、サンダーキッド・・・まあそのへんのメンバーが集まってたんだけど。ワイルド・キャットが、エッグにも「一緒に遊んで」て甘えてね。
エッグはものすごく忙しそうだったんだけど。ほら、エッグって、ありとあらゆる雑用も、重要な仕事も、みんな丸ごと引き受けていたもんね。それでも鬼の役をやってくれた。いつもの・・・あの笑顔で・・・ちょっと困ったような・・・優しい笑顔で・・・「一回だけだよ」そう言って・・・。
<俺>
ま、まだ泣くシーンじゃねえだろ。早いよ。
少し我慢してさ、続けてくれよ、頼むから。
<ピーチ>
泣いてなんかないわ!うるさいわね。
・・・。
で?何の話をしろって?
<俺。
そこからかよ!
鬼ごっこの話だよ。
<ピーチ>
エッグは足が早かったから、みんな、どんどん捕まっちゃって。残っていたのは、私とワイルド・キャットだけ。
私、スワンプまで駆けてって、深いぬかるみの中に潜り込んだから、見つからなかったの。ほら、海との境目の沼地。あそこよ。
<俺>
かくれんぼじゃねえんだぜ。
お前、ズルいぞ。
<ピーチ>
そんなことはどうでもいいの。
私が隠れてたら、ワイルド・キャットがそばを駆け抜けていってね。そのすぐ後ろを、エッグが追いかけてた。
二人とも、私には全然、気がついてなかったわ。
エッグがワイルド・キャットの肩を叩いて「捕まえた」って言ったその時、ワイルド・キャットのヤツ・・・パッと振り返るなり、エッグの首に両手を巻きつけて飛びついて。
身を投げかける様にして、必死の激しさで、しがみついたの。
<俺>
え・・・ええっ?
ピーチ
「好き・・・好きなの、エッグ!好き・・・好き・・・」
なんて、告白までしたのよ。
あいつ、絶対に前から計画してたんだわ。
<俺>
へ・・・へえ。
<ピーチ>
エッグは、ものすごく慌てちゃってね。
「ちょっとダメだよ・・・頼むから・・・やめなさい、ワイルド・キャット・・・」
なんてモゴモゴ言って、いつもの彼とは、まるで違ってた。
エッグは体をのけ反らせて、やっとのことでワイルド・キャットの手を振り切ったんだけど、何歩か先は深い海だってこと、頭からフッ飛んでたのね。
バランス崩して倒れ込んで、派手に水しぶきが上がったと思ったら、エッグ、海に落ちちゃったの。
<俺>
さすがのあいつも、パニック起こしたか。
まあ、ムリもねえよな。
<ピーチ>
ステキだったな、エッグ。
<俺>
俺には、マヌケな姿に思えるけど?
<ピーチ>
あんなエッグ、初めて見た。可愛かった。
<俺>
可愛いって、それ褒め言葉なのか?
<ピーチ>
エッグはたちまち潮に流されて、深い所に引きずり込まれちゃってね。おまけに、サメに足を噛まれたの。
<俺>
あっさり言うけど、お前さあ。怖くなかったのか?
エッグが死んじゃう・・・とか、慌てるだろ、フツー。
あいつのこととなると、すーぐメソメソするクセにさ。そういうトコ、なんか平然としてね?
<ピーチ>
心配いらないわ。だってエッグだもの。
<俺>
なんだ、その根拠の無い自信。
<ピーチ>
エッグはサメを蹴り飛ばして、すぐに戻ってきたわ。
どこで泳ぎを覚えたのかしら。とっても上手だった。
<俺>
知るか。どうせ、あいつは何でもできちゃうヤツなんだ。
<ピーチ>
岸に泳ぎ着いて、泥土の上に這い上がった時は、さすがにヘトヘトって感じだったわよ。
ワイルド・キャットは泣き出して「ごめんなさい、ごめんなさい」って、バカみたい。泣きたいのは、エッグの方よ。
足には、大きなサメの歯が刺さったままで、血が出てた。慰めてもらいたいのは、エッグの方じゃない。ワイルド・キャットったら、勝手なもんよね。
<俺>
そこまで言わんでも。
でも、俺だったら「殺す気かよっ」なんて、怒鳴っちゃうかもな。
<ピーチ>
エッグは違う。
彼はね、サメの歯を抜き取って、しげしげと見てから、フッと苦笑いしてポイッと傍らに捨てた。
それで、立ち上がろうとしたんだけど、足がもつれて、泥の上に片ヒザついてしまったわ。手を地面について体を支えてないと、そのまま倒れてしまいそうだった。
それを見て、ワイルド・キャットは泣くのをやめたの。
エッグの髪を優しく撫でて「もういいの、もういいのよ」って言って。なんでかな、あの子の方が年上みたいに見えた・・・。
エッグは、ワイルド・キャットを見上げて、
「僕を助けて、ワイルド・キャット。どうしていいのか、わからないんだ」
まるで小さな子供みたいに、すがりつく様にそう言って・・・。
<俺>
おい、お前、大丈夫か?どこか、よその世界に行っちまってるみたいだけど。
<ピーチ>
ワイルド・キャットはエッグに教えたの。
「恋人にはなれないと、私にはっきり、そう言えばいいんだよ」って。辛かっただろうし、泣きたかったかもしれないけど、ワイルド・キャットの目には、もう涙はなかったわ。
強くなろうとしたのね。エッグの為に。
<俺>
お前さ、やっぱり盗み聞きって良くないと思うぞ。二人っきりにしておいてやれよ。
<ピーチ>
あの子、フラれたのよ。
<俺>
いや、だから!
そういう事、知られたくないだろ。言いふらしたりしてないだろうな?
<ピーチ>
盗み聞きしたのは、ゴシップばら撒く為じゃないわ。
<俺>
じゃあ、何の為だよ?
<ピーチ>
学んだの。
ワイルド・キャット、あの子はバカよ。
<俺>
バカはないだろう。言い過ぎだぞ。
<ピーチ>
エッグは、手に入らない人なのよ。
普通のやり方では、絶対に。
それを学んだ。
<俺>
・・・。
この日、結局、サメの歯は見つからなかった。俺もピーチも、捜索には向かない心境になってたし、そもそも、こればっかりは発見されない方がいいのでは・・・そんな気もしたりして。
<俺>
あのさあ。なんで、サメの歯が宝物なんだ?嫌な思い出がある品だろ?
<ピーチ>
失恋の思い出。
<俺>
そうハッキリ言うなよ。
たださあ、サメの歯を見る度に、辛いことを思い出すだろ。
宝物にするどころか、捨てちまいたいんじゃないかな、フツー。
<ピーチ>
さあ?知らないわね。色々な宝物があるのよ。
あの子には、あの子なりの事情があるんでしょ。
<俺>
・・・?
サメの歯を発見するのに、一週間かかった。あっちこっち掘り返して、目を皿の様にして探しまくり、ようやく、浮島の一つにひっかかってるのを見つけたんだ。
「失恋」のサメの歯なのか、別のサメの歯なのか、そこまでわからんけど、それ以上はどうにもできない。ここらで勘弁してくれってな感じだ。
ワイルド・キャットときたら、いい気なもんだよ。足はもうすっかり良くなってんのに、捜索は俺達に任せきり。宝物を届ける度、まるで女王様みたいな態度で、当然の様に受け取る。「ありがとう」とか一切なし。
なぜか知らんが、俺達に任せるのが当然だ、みたいな心境になってるらしい。変な話だけど、俺は腹が立たない。どうしてなんだろう。
宝物は残り一つ。シャツだ。誰のシャツなのか・・・それは言うまでもないだろう。
7・
シャツは絶対に見つからない・・・と思う。
だってさ、もう一か月以上も、宝物探しをしてて、ヘルズ・スクエア中を歩き回ったんだぜ。間違いない。シャツはなかった。
それなのに、なぜだろう。朝が来れば、やっぱりピーチと二人、見つかるはずのない物を探してる。
<俺>
どうして、シャツが宝物なんだ?
<ピーチ>
あれはエッグのシャツなのよ。彼が島を出ていく時、ワイルド・キャットが無理やりもらったの。エッグの肌に触れてたシャツなんだから。
<俺>
記念品ってヤツか。そんな調子でエッグのヤツ、よく裸にされなかったな。お前は何か貰わなかったのか?
<ピーチ>
私が何で貰うのよ!必要ないわ、私には。本当にあんた、何もわかってないのね!
<俺>
へ?何だよ、またいきなり。軽い気持ちで質問しただけで、深い意味なんかねえよ。そう興奮するなよ。
理由は謎だけど、ピーチはまた怒り出しそうなムードだ。ここは、シャツの捜索に集中した方が安全だろう。
常識で考えたら、可能性は二つしかない。
①海に吹っ飛んだ。
②俺達が立ち入れない場所にある。
①だと決めつけて、終わりにできたら楽なんだろうけど、そうはいかない。②の可能性を無視したら、いつまで経っても気分が悪い。自分の心にウソはつけないからさ。
じゃあ、②はどうだろう。俺達がまだ見てない場所、立ち入り禁止の場所は二つだけしかない。ヘブン・スクエア(天国地区)とドライ・ボーンズ・アレー(やせっぽちの路地)だ。
ヘブン・スクエアの場合は、これ、どうしようもない。あそこは別世界の人間が住んでる謎の場所なんだ。エッグのシャツが、ヘブン・スクエアに飛んでったなら、諦めるしかない。
ホープ島は、ヘルズ・スクエアとヘブン・スクエア、二つの地区に分かれてる。あっちは金持ちのキレイな土地。俺達の土地は、最低も最低の、汚れ切ったスラム。ヘブン・スクエアにはヘルズ・スクエアの人間は立ち入れない・・・というより、立ち入りたくないのさ。わざわざ、その差を目の当たりにして、憂鬱病にかかることはない。
そういえば・・・昔、エッグが、何とか言ってたな。見たままを真実だと、思い込んだらいけないよ、サイクロン。金持ちに見えるだけで、豊かではない場合もあるんだよっとか・・・。それを聞いてたマッシュも、クスリと笑ってたっけ。どういう意味だったんだろ。マッシュとエッグ、また二人だけの言葉で喋りやがってさ。頭にくる。
とにかく、シャツがヘブン・スクエアにあったら探せないってのは、そんなワケだ。
なら、ドライ・ボーンズ・アレーは?
ドライ・ボーンズ・アレーを歩くのは、今は禁止だ。
昔、あそこの地中深くに、危険な化学物質を、大量に埋めたイカレポンチがいたんだ。それが今になって漏れ出したらしく、しょっちゅう、地面が吹っ飛ぶ爆発事故が起こってる。
今までは、一切の危険を無視して、ほったらかしにしてたんだけど「エッグの花」が観光客を呼び込むようになってから、その対処として、黄色いナイロンのロープを買い込んだ。俺達の財政じゃあ、それも大きな出費にはなるけど、化学物質を撤去するよりはずっと安上がりだし、ヘルズ・スクエアにあるロープは、どれもボロボロになってっから仕方がない。目にも鮮やかな新品のロープを、ドライ・ボーンズ・アレーの入口出口に張り渡し、通行止めにした。
最近は、特に頻繁な爆発が起こってるから、ドライ・ボーンズ・アレーに入るのは自殺行為だ。それに地面も穴だらけ。中にはかなり深い穴もあって、どれにエッグのシャツが落ちているかわかりゃしない。
さて、どうしたもんかな。
ピーチに相談したかったけど、実は相談するのが怖かった。
ピーチが、ピーチだけの理由で、ピーチだけの為に考え出したような、そんな答えが返ってくる気がして。早い話、信用できない。
それなのに、俺はやっぱりピーチに話した。
ピーチは碌に考えもせずに、即答した。
「仕方ないわね。シャツは諦めましょ」
ホラ嘘だ。俺にはちゃんとわかる。でも、理由はわからない。エッグなら・・・ヤツなら、わかってあげられたんだろうか。
ワイルド・キャットも、変だった。
シャツを諦めろ、なんて言ったら、さぞ大荒れに荒れて、罵詈雑言を浴びせてくると思ったんだけどな。
「仕方がないよね、諦める」
ホラ、これも嘘だ。しかも、ピーチとまるで同じ言葉だぜ。オカシイだろ。おまけにピーチとこっそり目配せしてもいた。気に入らないな。二人は何を考えてる?
何時間、眠ったんだろう。悲しみ団地の、一つしかない大部屋で、俺はハッと目を覚ました。
夜中は過ぎたけど、夜明けにはまだ数時間はある、そう体内時計は告げていた。
団地の住人は、全員、この部屋で雑魚寝してる。皆の寝息、寝言、イビキ、寝返りを打つバタバタという音に包まれながら、俺は、大きく目を見開いた。
バカだ、バカだ、それが俺だよ、大バカだ。
簡単な事じゃないか。
ピーチと、ワイルド・キャットがウソをついているなら、本当は何を企んでいるのか。
「仕方がない」という言葉がウソならば・・・「諦める」という言葉がウソならば・・・本心は「諦めない」だ。そこに「絶対」という言葉もくっつく。ピーチとワイルド・キャットは、エッグのシャツを「絶対に諦めない」
みんなが、グッスリ夢の中に入るのを待って、トンマな俺が、グーグーいいだすのを待って、二人は捜索に出て行った。
どこへ?
立ち入り禁止の場所に決まってる。他のどこかなら、秘密にすることはない。昼間、堂々と探しに行けるんだから。
ドライ・ボーンズ・アレーだ。
8・
俺は、悲しみ団地を飛び出した。
ロトン・アレー(腐敗路地)に降り立つと、外はホープ島特有の霧雨。地面はネチョネチョにぬかるんで、汚い泥に足首まで埋まる。
空は濃い藍色。夜明けはそう遠くない。
二対の小さな足跡が、真っ直ぐにドライ・ボーンズ・アレーへと続いているのが、薄暗い中でもはっきりと見えた。
前方、遠くに鋭い悲鳴。俺は駆けだした。
ドライ・ボーンズ・アレーの入口に張られたロープが、無くなっている。
さては・・・。あのロープを使って深い穴の底に降り、エッグのシャツを捜しているんだろう。あいつら・・・なんて危ない事を。
また、悲鳴だ。今度はもっと近く、もっと恐怖に怯えている。
頼む、ピーチ!無事でいてくれ。
俺は、ドライ・ボーンズ・アレーに走り込んだ。深いぬかるみに足を取られ、うまく走れないのがもどかしい。
空が明るさを増し、あたりの様子が見えやすくなった。
ここは、まるで「モグラ叩き通り」だ。大小様々な穴だらけ。
地面のあちこちから、シュウシュウ嫌な音を立てて、薄い煙が立ち上っている。「もうすぐ爆発するから、離れててくんない?」的な焦げ臭さが漂い、どうみても健康に良さそうな場所じゃない。
深呼吸なんかしたくなかったけれど、そうも言ってられない時と場所もある。
俺はグッと息を吸い込んで気合いを入れると、通りのど真ん中にドーンと空いた、いちばん深そうな穴へと走っていった。
というのも、腰にグルグルとロープを巻き付けたピーチが、穴のフチに跪いて身を乗り出し、手を差し伸べて、
「ワイルド・キャット!大丈夫よ、私につかまって!なんとか上がってくるのよ!」
金切声で叫んでいたからだ。
「何してる?」
怒鳴りつけたつもりだったのに、俺の口から出た声は低くてしゃがれ、自分でも驚くくらい静かだった。
ピーチがハッと顔を上げる。泥に汚れ、青ざめた頬。薄暗い中でも、大きな目がキラキラと輝いて、それがとってもキレイで、俺の胸がドキンと音を立てた。
俺達は一瞬、無言でただただ見つめ合っていた。
何をしているかなんて、一目瞭然だ。
ピーチとワイルド・キャットは、穴の底にエッグのシャツを見つけたんだ。
そこで、ピーチが体にロープを巻きつけて支え、ワイルド・キャットがそれを伝って穴に降りていき・・・そこでロープが切れた。ワイルド・キャットは転落し、上に戻れなくなっちまったんだ。すくなくとも、パッと見には、そうとしか思えない状況だった。
でも・・・。
買ってまだ一年も経たない、ナイロン製のロープが、こんなにあっさりと切れるものだろうか?ここまで最悪なタイミングで?いくらなんでも偶然が過ぎる。不自然じゃね?
いや。今は考え込んでる場合じゃない。
なぜって、ピーチのすぐ右横の地面から、シューッと不吉な音を経てて、乳白色の煙が勢いよく吹き上がってきたから。ツンと鼻を刺す異臭がして、胸が苦しい。目が痛い。
それだけじゃない。俺の足元も、いきなりぐらついてきたと思ったら、ズシンと腹に堪える響きがして、ボシュ―ッ。後ろ髪をかすめて、ここにも煙が吹き上がり、俺は思わず首をすくめた。
爆発するんだ、ここも。それも間もなく。
ワイルド・キャットが穴の底にいるのに!
どうすればいいんだ?どうすれば・・・。
俺はパッと地面に腹這いになり、穴のフチから中を覗きこんだ。
穴の底に、ワイルド・キャットの顔が、白くぼやけて見えた。泣きながら、必死で上に手を伸ばしてる。そんな状態でも、やっとのことで発見した、あのいまいましいシャツを、しっかりと羽織って。
俺も腹這いの姿勢のまま、精一杯、腕を伸ばす。
ダメだ!なんて嫌な深さなんだ!ほんのわずか、あと二十センチくらいで、二人の手は届くのに。いくら危機的な状態であったって、人間の腕はいきなり伸びてはくれない。
穴の内部はひどく熱く、息がつまりそうな刺激臭に満ちている。俺は吐きそうになって、ゲエエッと空えずきした。涙で視界がぼやけ、頭がくらくらする。
ワイルド・キャットもひどく咳き込み、フラフラし始めてるようだ。意識がモウロウとしているのか、穴の壁に寄りかかり、今にも倒れてしまいそうだ。一刻の猶予もない。はやく穴から引きずり出し、キレイな空気を吸わせなければ、命が危ない。
その時、俺の横で、何かがヒュウッと風を切った。
ピーチが穴に飛び込んだんだ!
なんて事だ!ピーチが死んじまう!どうして、どうしてそんな事を!
俺の胸の奥、今まである事も知らなかった暗い場所から、フッと冷たい声が響いた。
「命を掛けるってハンパじゃないぞ。ピーチとワイルド・キャットは、そんなにも仲が良かったか?よく考えろ」
考えてるヒマなんかねえよ!
煙はますますひどくなり、熱くなり、気持ち悪くなって、俺は唾を吐いた。足元はグラグラ激しく揺れてるけど、俺の頭の中が、揺れてるだけなのかもしれない。ブシュ―ッ、ブシューッ、そこらじゅうから、乳白色の水蒸気がもうもうと上がる。怖い。冷たい汗が、おでこからボトボトと落ちた。
ガクガク震える俺の目に、およそ信じられない光景が映った。
ピーチは穴の底で、すっくと力強く立っている。ふらつきも咳き込みもせず、堂々とした姿で、落ち着き払って。その姿は、なんか古代の英雄の彫像を思わせた。
ワイルド・キャットの方は壁に寄り掛かり、かろうじて立っているような状態だった。ピーチは彼女の前に膝をついて、背中から下に潜り込み・・・なんと、ワイルド・キャットを肩車して持ち上げたんだ。
ガックリと首をうなだれたまま、ワイルド・キャットの体がせり上がってくる。
チャンスは一度しかない。ピーチには、もう、そんなに力が残ってないはずだ。
俺は、しゃがみこんだ姿勢でバランスを取り、両腕を伸ばした。近くまで持ち上がってきたワイルド・キャットの両脇の下に両手を差し込み、彼女の体をがっちりと掴む。それと同時に両膝を伸ばし、その勢いで一気にワイルド・キャットを穴から引きずり出した。
俺は、後ろへ飛びさする様にして、背中から地面に倒れ込んだ。ワイルド・キャットの体が上から降ってくる。救出は成功だ。
ワイルド・キャットの襟首を引きずって走り、まだシュウシュウいってない地面を見つけて、そこに投げ落とした。すぐに、踵を返して、穴まで駆け戻る。今度はピーチだ。ピーチを助けなくちゃ。
その時。俺の右横で、強烈な光がきらめいた。続いて、ズウンッと腹に響く音。
あたりの泥土が吹き飛ぶのが、細かい所まで、スローモーションではっきり見えた。俺の体も宙を舞い、熱風が吹きつけるのを感じ、一瞬、背中がひりつくような恐怖に包まれた。
とんでもない力が俺を跳ね飛ばし・・・そして暗やみ。
意識を失う最後の最後まで、俺は謝り続けた。
ごめんな、ピーチ。俺は、何もわかってなかったんだ。ごめんな・・・。
その先は憶えていない。
意識を取り戻した時、俺は、泥の中から掘り出されている最中だった。
頭と肩は外に出ているけど、脇下からつま先は地面の下に埋まってて、ゼリーの中の果物みたいに、身動きできない。
いつの間にやら夜は明けていて、ドライ・ボーンズ・アレーには、ヘルズ・スクエア中の人間が勢ぞろいだ。みんな口々に、役にも立たない事を喚きちらしながら、素手で泥を取り除けている。俺は、何回も引っ掻かれた。
家族同然の連中のはずなのに、今は妙に現実感がない。誰の顔もぼやけて見える。
膝まで掘り出されてやっと、俺は脱出できた。泥なんてフワフワしているイメージだけど、爆風で吹っ飛ばされた時には、常識が常識でなくなるんだな。
とにかく、生きていられて、なんともめでたい・・・って、ピーチ!ピーチは?彼女はどこなんだ?無事なのか?彼女を見つけてくれ、掘り出してくれ!
泥を吐き出し吐き出し、カエルみたいな声で話す俺の言葉が、周囲に理解されるまで、数分を要した。
それから、前にもましての大騒ぎが始まった。
ヨレヨレの俺は、地面に放り出され、そこいら中でうごめく人影が、ピーチの名を叫びながら、地面を掘りまくる。
俺は動けなかった。目がくるりくるりと回り出し、ひどい吐き気がこみ上げる。
「見つけたぞ、ここだ!生きてる!」
そう聞いたのを最後に、俺は再び意識を失った。
数分のことだったに違いない。次に目を開けた時には、ピーチはすでに掘り出され、見よう見まねにアヤシイ人工呼吸を施され、毛布に包まれて、悲しみ団地に連れて行かれるところだった。
彼女は、みんなに支えられながらも、なんとか自分の足で歩いていた。他の連中はその後をゾロゾロついていく。運が良かったんだろう。ピーチは、俺より、はるかに元気そうに見えた。
「ワイルド・キャットの命を救ったんだって」
聞こえてくる。興奮しきった人々の声が。勇敢なピーチ。立派なピーチ。英雄ピーチ。
むろん後になったら、俺達みんな、大目玉をくらうんだろうけど、今は取りあえず無事を喜び、ピーチを褒める声しかない。
俺は座り込んだまま、それを聞き、そして目の前にある物を見つめている。
ロープ。ピーチの腰からほどかれ、投げ捨てられ、今は誰の関心からも離れている、あのロープ。とぐろをまくソレから、俺は目が離せない。これは・・・。
俺は躊躇った。知らない方がいい事だってある。手を伸ばすな、やめろ。触るな。
それでも、俺はロープを手に取った。クニャクニャした、頼りない手触り。凄まじいもつれをゆっくりほどき、切れた先端部分を見つける。きつく編み上げられた繊維がほつれ、引きちぎられている。
ワイルド・キャットの体重はどれくらいだ?ナイロンのロープが切れるかよ?
手を見ると、黄色の細かい粉が、いっぱいついていた。乾いた塗料の屑。ペンキか。
誰かが、このロープに色を塗った。
なぜ?
新しいロープに見せかける為。
なぜ、見せかける必要がある?
新しいロープではないからだ。
誰がした?
俺は目を上げ、ソイツの後ろ姿をじっと見つめた。ソイツも何かを感じ取ったのだろう。首をめぐらせ、振り返る。
俺は顔を背けた。
なんで、俺はこうなんだろう。全てから顔を背けていたいのに、現実なんか見たくないのに。俺にはそれが出来ない。どんなに辛くても、真実を求めずにはいられない。
何より、それが悲しかった。
9・
数日後。
俺は、海を見下ろす、島の北端に立っていた。ボワーッとかすむ夕焼けの光の中、一人きり。
「私と話したい?」
後ろから、静かな声がした。誰だかわかってる。予想通りの相手だ。
立っていたのは、ピーチだ。ヘルズ・スクエアのヒロイン、友達の命を救った勇敢な少女。
長い髪を風になびかせ、あちこちほつれたボロ布みたいなワンピース姿。素足は細くて、抜けるように白い。
俺は、ピーチをまじまじと見つめた。
いつの間に、こんなにキレイになったんだ、ピーチ。お前が、こんなに美しいなんて、なんで今、この時まで気がつかなかった?
多分、俺自身の心に問題があったんだろうな。本当の姿を、認めたくなかった。いつも傍にいる相手が、あんまり美人だと落ち着かない。特に、そいつを信用できない場合には。
俺は泥土の小山に座り、黙って手の中のものを見つめた。「あの」ロープを。
ピーチも俺のすぐ横に座った。肩と肩がそっと触れ合う。
風が吹き、ピーチの髪が俺の頬を撫ぜた。ヘルズ・スクエアの住人の髪さ。泥で汚れ、ギシギシ固まった髪。でも、ひんやりと冷たくて、長く豊かだ。
<ピーチ>
どうして、あなたは、いつでもそうなのよ。
誰も気にしない事を気にかけて、誰も関心を持たない事に注意を向ける。変な人。
<俺>
お前に言われたくねえな。
どうして、こんな事をした?
<ピーチ>
こんな事って?
<俺>
お前は、ワイルド・キャットに、新品のロープと見せかけて、オンボロの古いロープを手渡した。わざとそうしたんだ。夜明け間近とはいえ暗かったし、ワイルド・キャットは、シャツの事で頭が一杯だったから、バレなかったんだ。
<ピーチ>
私がしたって、何でわかるのよ?
<俺>
お前がここに来たからさ。犯人だからだ。
ズタボロのロープを渡したってことはだ。ワイルド・キャットを、穴に落としたかったってことだ。ロープが切れる事も、転落する事も、計算済み。なんてことしやがる。
<ピーチ>
大丈夫。それがわかったのは、あなただけだから。
<俺>
理由はわかんねえよ。
何度も同じこと言わせんな。きちんと説明しろよ。ワイルド・キャットは、大けがしたかもしれないんだぞ。
<ピーチ>
しなかったじゃない。
<俺>
そりゃ、たまたまだろうが。お前のおかげじゃない。開き直るなよ。
<ピーチ>
どうでもいいことだわ。
<俺>
ワイルド・キャットが、死のうが生きようが、どうでもよかったって言うのか?
<ピーチ>
私は、命がけで彼女を助けたのよ。
<俺>
そうだよ!だから混乱するんだ。
自分で落しといて、自分で助ける?
お前だって死ぬ所だったんだぞ。俺もだけど。どうしてなのか知りたいんだ。本当の事を話せよ。
<ピーチ>
話したくない。
さあ、そのロープを渡しなさいよ。唯一の証拠だわ。寄越さないなら、海に突き落とすわよ。
<俺>
安っぽい推理ドラマみたいなセリフ吐くなよ、みっともない!
俺の考えを言ってやろうか。
お前、ヒロインになりたかったんだろう!勇敢な英雄。友達を救出したスーパースターかよ?
それで、ワイルド・キャットを利用したんだろうが。
お前のした事は、いい事じゃねえよ。インチキ・ヒロインなんて、俺は嫌だ!
そうまでして・・・そうまでして何が欲しいんだ、このどアホ!
ピーチは、大きく見開いた目で俺をじっと見つめた。怒ってるんじゃない。静かな、底冷えのする眼差し。
ちきしょう、やけにキレイな目だな。
ピーチは立ち上がり、二、三歩、前に進んだ。海に落ちるギリギリの所で立ち止まる。波しぶきがピーチを押し包んだ。
俺は座ったまま、ただ待っていた。彼女が心を決めて話し出すのを。
<ピーチ>
何が欲しいって?欲しいものは一つだけ。ただ一つだけよ。
エッグ・・・それはエッグ。ずっとずっと好きだった人。愛してた。今もこれからも、ずっと大好き。
エッグが欲しいの、どうしても。私だけのエッグでいて欲しい。そうするって決めたんだから。
<俺>
・・・。
<ピーチ>
エッグの恋人になる為なら、なんだってするわ。どんな事でも。エッグは私のものにするの。いつかきっと・・・絶対に。
<俺>
だったら!
エッグを追いかけて、さっさと島をおん出ていきゃあ、いいじゃねえかよ!何が何でもエッグを探し出して、気持ちを伝えればいいじゃねえか!そうだろう?それを、さんざん振り回しやがって・・・。
<ピーチ>
好きです、付き合って下さい、そう言うの?
それで、エッグが私を好きになるとでも?
私を見てよ、この私を!
ただの普通の女の子。泥まみれで汚い。ヘルズ・スクエアに暮してたら、誰だってこうなるわ。
今のエッグのまわりには、もっとカワイイ女の子がいるかもしれない。
このままの私じゃ、ダメなのよ!特別な子にならなくちゃ。エッグの認める私になりたい。どうしても。ならなくちゃいけないのよ!
私を見て・・・か。
見てるよ、ピーチ。今この瞬間に、お前がどれほど美しいか、俺はちゃんと見てるよ。
だけど、ピーチはそれを認めない。自分がキレイだと思えないんだ。手に入らない遠い存在を夢見て、手を伸ばしても届かなくて、それを自分のせいだと思い込んでる。そんなことをしている限り、永遠に自分に満足することはないだろう。だから、ありのままの自分で、勝負に出られない。
<俺>
それで、お前は幸せになれんのか?
お前は確かに、ワイルド・キャットの命を救った。でも、狙ってやったことだ。お前はそれを知ってるし、忘れる事もないだろうさ。
例え、エッグの恋人になれたとしても、なんかモヤモヤしたものが残るんじゃねえか?
<ピーチ>
幸せになりたいなんて、誰が言った?
私はエッグが欲しいだけ。彼に認められ、愛されたいだけ。
それさえ叶えば、一生、不幸だっていい。
こんな話を聞かされて、俺はどう思えばいいんだ?
俺は・・・俺は、ピーチがエライと思うよ。スゴイと思うよ。
なんでかって?そりゃ、ピーチが、エッグへの愛の為に、叶うかもわからない愛の為に、全てを捨てたからさ。
島の暮らしも友達も、今までの過去を全部、投げ捨てた。
もし、ピーチが正しい道を選んでいれば、ずっとこのまま、平和に暮らせたろ?
でも、悪い道を選べば、そうはいかない。
バレるバレないの問題じゃない。自分の心にウソはつけないんだ。
気がとがめ、だんだん島に居づらくなって、遠からず出ていくことになる。全てを捨て去り、逃げ出しても、記憶は捨てられるもんじゃない。大人になってからも、島や友達を懐かしんだり、思い出に浸ったり、そんな事が出来なくなるんだ。苦々しい思いが付いて回るから。良くない事をした思い出があるから。帰る場所を失う。
悪い子になるって、そういう事さ。
ピーチはそれがわかってて、あえてその道を選んだ。
エッグの為に。ただ、エッグの為に。
ピーチには親も兄弟もいない。彼女は、愛する相手を、自分で見つけなきゃならなかったんだ。エッグを手に入れる為に、自分の全てを賭けるだろう。
ピーチの背中が震えだした。泣くのを必死でこらえている。こぶしをきつく握りしめ、立っているだけで精一杯で。
頑張れ、ピーチ。強くなるんだ。それしかない。自分で選んだ道だろ。
<俺>
仕方なかったんだよな、ピーチ。どうしても手に入れたいものがあって、何がなんでも欲しいものがあってさ、一生かけてでも求めるものがあるなら、どんな事でもしなくちゃいけない。そうだよな。
<ピーチ>
それでも失敗するかもしれない。
全てを失うかもしれない。
<俺>
かもな。それは仕方がねえよ。
でも、挑戦してみるんだ、ピーチ。
何でもして、エッグを探し出せよ。それで、キラキラ輝くヒロインとして、堂々とアイツの前に立ってやれ。命懸けで友達を救った、素晴らしい英雄としてな。まあ・・・半分は本当なんだし。
<ピーチ>
そうね。わかってる。
いつかきっと・・・そう信じる以外に、私には道がないから。
そして、ピーチは立ち去った。
10・
乳白色の朝靄が、海も空も覆い尽している。俺はスワンプの北端に立ち、足首まで泥に埋め、波しぶきを浴びながら、遠ざかる船影を見送っている。本土に向かうオンボロ船を。
あの中にピーチがいる。
出発を誰にも知らせず、逃げるように一人、ピーチは消える。島を出ていく。
その為に、ピーチはいかにもピーチらしく、「エッグの花」が稼いだ、今月の観光収入の約半分を、こっそりネコババしていきやがった。昨日の夜中、金をしまってある、錆びたクッキー缶から盗んでた。
知ってるのは俺だけだと思うけど・・・そうじゃないかもしれない。みんな知ってんのかもしれないな。けど、とがめるような事じゃないさ。
エッグやマッシュとは違うんだ。ピーチが無一文で出て行ったりしたら、こちとら心配で、おちおち眠れもしなくなる。
俺は、何も気が付かないフリをした。ピーチは、俺がここで見送ってる事も知らない。その方がいいと思ったんだ。例え、どんなに胸が痛んでも。
がんばれ、ピーチ。お前の夢は、叶っても叶わなくても、どっちに転んでもツライだろう。それに耐えられるくらいに、強くなってみせるんだ。がんばれ、ピーチ。がんばれ。
「とうとう出ていくのね、ピーチ」
後ろで細い声がして、俺は驚いて振り返った。見送り人が、もう一人いたらしい。ワイルド・キャットだ。彼女も最近、急速に背が伸び、大人っぽくなってきた。
ワイルド・キャットは俺の横に立ち、水しぶきに目を細めながら、遠ざかる船をじっと見つめた。
<ワイルド・キャット>
かわいそうなピーチ。あの子はバカよ。
<俺>
ああ・バカかもな。
<ワイルド・キャット>
エッグは手に入らない人なのよ。
それをあの子はわかってない。
私にはわかってる。
時々・・・どうしても胸が苦しくて、夢を見たい時もあるわ。そういう時はサメの歯を眺めるの。「あの」サメの歯を。それで現実に戻れる。
辛いわ。でも必要な事なのよ。
<俺>
お前も、エッグが好きだったんだろ?
<ワイルド・キャット>
ええ、好きだったわ。今も、これからも、ずっと大好き。こんなに人を好きになるなんて、想像もできなかったくらい、大好き。エッグ・・・エッグ・・・。
でも、恋人になりたいとか、そんな事は思わない。なれないから、思わないの。ボケーとした夢なんか、私はいらない。
エッグの思い出だけを大事に大事にして、私はそれだけでいい。
俺達は、もうそれ以上、何も喋らなかった。ピーチの船が視界から消えると、ワイルド・キャットも立ち去った。
色々な「卒業」があるんだな。
いいとか悪いとか、そんなのどうでもいい。みんな一生懸命なんだ。辛く苦しくても、それでも自分の思い一つで、頑張ってる。
俺の卒業は、どうなるんだろう?
ヘルズ・スクエアの子供たち・パートⅢ・サイクロン編 ふれあいママ @Fureaimamamasami
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