第6話
翌朝。
ダレルの娘の服を譲り受けてアマラカ村を出たエリスは、馬車の向かいに座るマギウスをちらりと盗み見た。
頬杖をついて気だるそうに窓の外を眺めていた彼は、欠伸をかみ殺すとうとうとと船をこぎ始めた。
どうやら昨日一昨日とあまり眠れなかったらしい。
エリス自身も昨晩はほとんど眠れなかったが、敵を前に到底眠る気になれるはずもない。
眠っている今がチャンスなのでは? という卑怯な考えが首をもたげたが、マギウスが身に着けているローブや装飾品に防御やカウンターといった能力が付与されているのに気づいて、早々に手を出すことを諦めた。
隙だらけに見えてまったくもって隙が無い。
もしかしたら、昨日エリスが彼に向かって魔術を叩きこもうとしたのが裏目にでたのかもしれない。
失敗したなと思いながら、エリスはこれからのことを考えていた。
王都まで約半日。
マギウスが紹介してくれるという魔術医を紹介してもらったら、彼との接点がなくなってしまう。
なんとかしてそばにいる方法はないかと考えを巡らせる。
戸籍も、魔術師としての登録もない自分がマギウスと一緒にいて自然な理由。
(――――そうだ、弟子制度!)
この国で正式に魔術師を名乗るには魔術協会への登録が必要になる。登録条件が変わっていなければ、魔術学校の卒業か魔術師に弟子入りして実務経験が必要となる。
元いた時代では魔術学校を卒業して魔術師になったが、魔術師としての登録がない今、それを逆手に取ってマギウスに弟子入りするという手段があることに気づいた。
憎き魔術師に弟子入りするなんて屈辱でしかないが、全力で戦うことができない以上手段を選んではいられない。
それに弟子になら隙を見せるかもしれない。
(一番の問題はこの人が弟子を取るかどうかだけど……)
エリスは向かいに座るマギウスをじっと見つめた。
狼に襲われていた見ず知らずの人を助けてくれた上、治療費まで出してくれるような人だ。土下座して頼み込めば、案外弟子にしてくれるかもしれない。
そうして穴が開くのではないかというくらい凝視していたら、ふとマギウスが口を開いた。
「どうしました?」
穏やかな声で問われて、エリスはびくりと肩を震わせた。
このタイミングで声をかけられるなんて想定していなかった。というか、いつから起きていたのか。
ゆっくりと開いた紫色の目がエリスを見る。
人当たりがよさそうな表情なのに、どこか探られているような居心地の悪さを感じるのは、エリスに後ろめたい気持ちがあるからだろうか。
いずれにせよ迷っている暇なんかない。
エリスは今しがた考えていた計画を実行に移す覚悟を決めて、王都に着いてからのことについて考えていたと話を切り出した。
「実はわたし、魔術師になりたくて王都に行くつもりだったんです。でも魔術学校に通うだけのお金はないから、誰かに弟子入りして経験を積もうと思ってて……それであの、わたしの師匠になっていただけませんか?」
「はい!?」
よほど驚いたのか、マギウスの声が裏返った。
「ちょ、ちょっと待ってください。私が貴女の師匠に!?」
「はい! 魔術師になるために誰かに弟子入りしないといけないんです!」
「いやいやいや、だからってなんで私なんですか!?」
「だって王都に魔術師の知り合いなんていないですし」
「貴女に魔術を教えた者はどうしたんです!?」
「たまたま村に立ち寄った人だったので、今どこにいるかは……」
エリスは胸の前に手を組んで、祈るようなポーズで狼狽えるマギウスを見上げた。
決して嘘は言っていない。魔術師として登録するためには誰かに弟子入りする必要があるし、魔術師の知り合いだって百年前の世界にいるわけもない。孤児だったエリスに気まぐれに魔術を教えてくれた旅の魔術師も当然百年後の人である。
エリスはお願いしますとマギウスが断りにくいように言葉を重ねる。
「ここで出会ったのもきっと運命だと思うんです!」
運命なんて大げさなとマギウスは思ったが、エリスが必死に頼み込む姿を見たら何も言えなくなってしまう。
言い淀んだマギウスを見て、エリスは押し切れると思った。
「マギウス様――いいえ、先生! どうかお願いします! 他に頼れる人がいないんです! 弟子にしてもらえたら何でもします! ですからどうか! どうか人助けだと思って、わたしを貴方の弟子にしてください!」
エリスは座面から下りて床に手をつくと深く深ーく頭を下げた。
「ええええええ!?」
彼女の頭上で、マギウスが困り果てたような声を上げた。
どうしてこんなことに、とマギウスは内心頭をかかえながら考える。
そもそも急すぎる。
初めて弟子を取った時も急ではあったけれど、出会って三日で弟子にしてくれはさすがに急すぎやしないだろうか。
名の知れた魔術師ならともかく、自分は駆け出しの魔術師だ。
出会って三日の駆け出し魔術師に向かって師匠になってほしいだなんて言うだろうか。怪しい、怪しすぎる。その上名前を名乗った途端に攻撃魔術を仕掛けてこようとした相手だ。どうしても警戒せざるを得ない。
第一、自分はなぜ彼女から敵意を向けられたのだろう。
目の前で頭を下げる彼女は自分の名前を知っているようだが、駆け出しの魔術師であるマギウスは希代の魔術師なんて呼ばれたことは一度もない。
おそらく人違いだとは思うが、人違いで命を狙われるなんて勘弁である。
本来なら断るべきだろう。
しかし――――でも、と思う。
孤児だと言っていた。頼れる人がいないというのは本当なのかもしれない。
もしここで自分が断ったら、彼女は王都の真ん中で路頭に迷ってしまうかもしれない。
お金もない、おまけに魔術すらろくに使えない状態の子供が一人放り出されたらどうなってしまうか。
マギウスは想像しうる最悪の状況を想像してしまい、目の前の少女が気の毒になった。
こういう時に切り捨てることができないのだからしょうがない。
そういえば一人目の弟子を取ったのも似たような理由だった気がする。
それなのに彼女のことは見捨てるのかと、良心が訴えてくる。
希代の魔術師だと勘違いされている件については、工房に招けば嫌でも人違いだったとすぐに気づいてくれるだろう。
長考の末、マギウスはエリスを弟子にすることを決めた。
時かけ魔術師は失敗を許されない 風凪 @kazanagi
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