第5話
『マギウス・レイン』
書物にはエインフィール出身の魔術師で、ロジェナ歴六百五十年頃の人物だと記されていた。
彼に関する記述は少なく、六百五十年の建国祭で流れ星を降らせるという魔術を披露したことや、魔術学校を次席で卒業したということ、それから魔石学というマイナーな分野を専攻していたというわずかな情報しか得ることはできなかった。
ランバルド帝国によって改良された星降る魔術が行使されるまでは別段有名な魔術師ではなかったが、あの事件以降は国を脅かす魔術を生み出した人物として悪名を轟かせていた。
没年月日が不明とされていることから、その後は帝国に渡ったと考えられている。
肖像画は残されていなかったが、きっと生み出した魔術と同じように凶悪な人相をしていて、根暗で陰険で、血も涙もないような髭もじゃの男だろう。エリスは幼い頃に読んだ童話に出てくる悪者の魔術師を勝手に想像して、見つけ出した時には強力な魔法をお見舞いしてやろうと思っていた。
その悪名高い魔術師と同じ名前をした魔術師が目の前にいる。
エリスは自分が勝手に想像していた極悪魔術師と目の前にいる穏やかで優しげな面差しの魔術師をすぐにイコールで結ぶことができなくて、まばたきも忘れて凝視することしかできなかった。
ややあって、自分の使命を思い出したエリスは持てる力すべてをつぎ込んで火球の魔術を展開させた。
何の前触れもなくいきなり殺気立って魔術を展開しはじめたエリスに、魔術の心得のないダレルは驚いて数歩後ずさる。
マギウスもとっさのことで身動きが取れずにいるようだ。
(やれる!!)
そう思った瞬間だった。
エリスの展開していた魔術が発動する前に空中分解した。
「!?」
エリスは信じられないといった表情で、自分の手のひらを見た。
どうしてと思うと同時に、魔力がほとんど回復していなかったことを思い出してサァッと青ざめる。
前に突き出したままだった手をマギウスに掴まれ、ビクリと体を震わせる。
(殺される――!)
初手で失敗してしまった上、相手は悪名高い魔術師だ。見逃してくれるとは思えない。エリスは死を覚悟してぎゅっと目をつぶった。
しかし来ると思った衝撃はこず、代わりに窘めるような言葉がかけられた。
「こんな室内で火球なんか出したら危ないですよ。いきなりどうしたっていうんですか」
怒るでも、焦るでもなく、落ち着き払った余裕のある声だった。
まるで敵として認識されていないその余裕ある態度が、エリスの心をさらに打ちのめした。
(そんな……どうしてこんな大事な時に魔術が使えないのよ……)
一発叩き込むどころか不発に終わってしまうという現状があまりにも情けなくて、視界が涙が滲んだ。
俯いて目を閉じれば、瞼の裏にあの日町を滅ぼした光景が浮かんだ。
町に降り注ぐ星に、別れ際の親友の顔――死んでいった人たちが脳裏をかすめる。彼らのことを思えばこそ、ここで諦めるわけにはいかなかった。
エリスは生き残った。生き残ることができてしまった。だから、できることをやらなければ。
エリスはそれが生き残った自分に課せられた使命だと思っていた。
自分がここで諦めたら、あの悪夢のような未来は変わらない。
布団を強く握りしめて奥歯を噛みしめる。
(……今はだめでも、魔力が元に戻ったらどうにかできるはず)
涙を瞼の奥に追いやって、落ち着けと自分に言い聞かせる。
焦るな。
焦って目的に気づかれたら逃げられてしまう。
せっかく何の因果か早々に出会うことができたのだ。これを利用しない手はない。
エリスは今すぐにも飛びかかりたい衝動を抑えつけながら、とりあえず困った顔を作って謝罪の言葉を口にした。
「ご、ごめんなさい……ごくあ……じゃなかった。希代の魔術師様だと思ったら、つい自分が抑えられなくなってしまって……」
「ええ……新手の道場破りか何かですか……」
極悪と言いかけたのを慌てて希代の魔術師に言い換えたが、苦しすぎる言い訳に、マギウスは呆れたように半眼になった。
「それに希代のって、どなたかと間違われていませんか?」
「え? だってマギウス・レイン……様、なんですよね?」
「ええ」
「魔術学校を次席で卒業していて」
「よ、よくご存知で」
「魔石学を専門にされていて」
「確かに私のことのようですが……」
「建国記念日にみんなが驚くような魔術を披露したっていう」
「いやいやいや、やっぱりそれ私じゃないですよ!?」
最後の一言を聞いて、マギウスは勢いよく手を左右に振って否定した。
そんなマギウスの様子に、エリスはこっそりと確信を深めた。
(やっぱり。まだ建国記念日前なんだわ)
今が六百五十年で建国記念日を迎えていないとすれば、流れ星を降らせるという魔術はまだお披露目されていないことになる。
つまり、建国記念日に開催される魔術コンテストまでにマギウスを亡き者にできれば未来を変えられるはず。
エリスは希望を見出して俄然やる気になった。これは一刻も早く王都に行って魔力を回復させなければ。
目標が定まったところで、エリスはふとマギウスの奥でこちらの様子をうかがっているダレルに気づいた。
我を忘れていたとはいえ、人様の家で魔法を発動させようとしていたなんて非常識もいいところだ。きっと怖がらせてしまっただろう。
手当をしてくれた人に悪いことをしてしまった。
エリスはばつの悪い顔をして、謝罪の言葉を口にした。
「あの……ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
エリスは勘違いだったことにして何とかその場を収めると、チェストの上に置いてあった魔術具を手に取った。
過去に跳んだあとに換金しようと魔石を詰めていたバックはすでに紛失してしまっている。実質無一文の状態で、お金になりそうなものは魔術具くらいしか持ち合わせていない。しかしそれすらも魔石が砕けて見るも無残なことになってしまっている。売ったところで大したお金にはならないかもしれない。
それでも何もしないよりはと、エリスはお金を持ち合わせていないことを告げて、迷惑料と治療費の代わりにできないかと魔術具を差し出した。
「大したお金にはならないかもしれないですけど、これじゃ治療費の足しにならないでしょうか?」
マギウスからエリスの荷物を回収できなかったことを知らされていたダレルは、彼女が無一文だったことを知っていた。
いきなり魔法をぶっ放そうとしたことには驚いたが、そのあとちゃんと謝罪もされたし、反省してこうしてなけなしのものでも治療費の足しにならないかと提案する良識も持ち合わせている。きっと根は悪い子ではないのだろう。
ダレルはエリスの謝罪を受け入れた上で、治療費はマギウスが支払ってくれたので必要ないことを伝えた。
「お前さんの治療費なら、魔術師の兄ちゃんが払ってくれたから心配いらんよ。それにこれから王都でお金が必要になるんじゃ、その魔術具は嬢ちゃんが持っていなさい」
治療費はマギウスが払ったことを聞いて、エリスは「え!?」と彼を見上げた。目が合うと、マギウスは頬をかきながら、「ここへは私が勝手に連れてきてしまいましたからね」とどこか照れくさそうに微笑んだ。
魔力のことを考えると移動は早いほうがいいだろうということで、翌日馬車を借りて移動することになった。
***
その夜。
すっかり熱も下がったエリスは、病室のベッドに寝転がって薄暗い天井をぼんやり眺めていた。
治療費を出さなくて済んだのは助かったけれど、見ず知らずの人にこうも親切にするものだろうか。
(治療費まで出してくれるなんて、どういうつもりかしら?)
あの人がマギウス・レインだと知る前だったなら、素直に好意を受け取ることができたのかもしれない。
けれど、あの人は『マギウス・レイン』だ。あの凶悪な魔術を開発した張本人なのだ。どうしても優しさの裏に何かがあるのではないかと勘繰ってしまう。
そこまで考えて、エリスはゆるりと首を左右に振った。
彼がどんな人物かなんて考えるだけ無意味だ。
彼を殺す――未来を変えるために自分が取るべき行動は一つしかないのだから。
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