第4話

「おお、戻ったか。で、どうだった?」

「残念ながら何も見つかりませんでした――彼女はどうですか?」


 男の人たちの話し声に、エリスの意識が浮上する。

 どうやら先ほどまで見てたものは夢だったようだ。

 住み慣れた町が跡形もなく燃えていく様はやけにリアルで、まるで過ぎ去ったあの日を繰り返しているような感覚だった。

 精神的にしんどかったせいか、悪夢から解放されても気怠さが残っていた。起きるのも億劫で、目を閉じたままもう一度まどろみの中に身を投じようとした時だった。

 ギィとドアが開くような音と共に、部屋に二つの足音が入ってきた。


「だいぶ熱も下がってきとる」


 先ほどよりもはっきりと聞こえた少ししわがれた声に、エリスはパチッと目を開いた。

 最初に目に入ったのは大きな梁のある天井だ。


(えっ、ここどこ!?)


 自分が置かれている状況がわからず、勢いよく上半身を起こした瞬間、背中にはしった痛みに体を丸めた。


「ッ……!」

「大丈夫ですか!?」

「これこれ、急に動いちゃいかん!」


 部屋に入ってきた人たちが焦った様子で駆け寄ってくる。エリスがゆっくりと顔を上げると、二人の男性が視界に入った。

 一人は七十代くらいで、ツンツンした白髪に白衣を身に着けた男性。もう一人は二十代くらいで長い深緑色の髪を後ろでゆるく三つ編みにしている魔術師用のローブを着た青年。


「ひ、ひとおおおおおぉぉ!!」


 やっと人に出会えたことで感極まったエリスは、ベッドの近くにいた青年の腕を掴んで、開口一番に最も聞きたかったことを尋ねた。


「いまっ! 今、いつですか!?」


 エリスの勢いに気圧されながら青年が答える。


「ええと……貴女が倒れられてからまだ一日ほどしか経っていませんが……」

「そうじゃなくて! わたしが聞きたいのは今ロジェナ歴何年かってことで――」


 ロジェナ歴というのはエインフィール王国が建国されて以来続いている年号で、エリスのいた時代はロジェナ歴五百五十四年だった。

 エリスは自分が過去に跳ぶことができたかどうかを知りたかったのだが、尋ねた二人が訝しげに顔を見合わせるのを見て、彼女は自分の失言に気づいた。

 普通目覚めてすぐに年号を尋ねる人なんていないだろう。

 どうにか誤魔化せないかと、ついでとばかりにここがどこかも付け加えると、青年はおかしな顔をしながらも今がロジェナ歴四百五十年で、ここがルーゼランの隣に位置するアマラカ村だと教えてくれた。

 アマラカという名前の村は知らないが、幸いなことにルーゼランという町は百年後にも存在している。確か王都から馬を飛ばして半日くらいの場所だったはずだ。

 見ず知らずの二人が自分に嘘をつく理由もないし、エリスは本当に時を遡ることに成功したのだと確信することができた。

 となれば、エリスが次にやるべきことは決まった。

 ――星降る魔術を生み出したと言われる魔術師を探し出して殺める。

 こうしてはいられないと痛みを堪えながらベッドから下りようとして、白衣の男性に止められた。


「無理はいかん! せっかく縫ったところが開いてしまうぞ」


 医者のような格好をしているし、『縫った』というくらいだ。この男性は医者なのだろう。

 いつの時代かが気になりすぎて、体の状態を把握するのが二の次になっていた。


(そうだ……わたし、狼に襲われて……)


 エリスは自分の体を見下ろして、今さらながらローブではなく白いガウンを着ていることに気づいた。

 指や手首に身に着けていた魔術具は外され、袖からのぞく手首には包帯が巻かれていた。豆が潰れて血が滲んでいた足も同様に手当てがされていた。

 よく見れば、青年のほうは狼に襲われた時に助けてくれた人だった。

 最後に見たのが目の前にいる青年ということは、おそらく彼が助けてここまで運んでくれたのだろう。エリスはそう結論づけて、二人に向かって深く頭を下げた。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

「お礼を言われるほどでは……私はただここに運んだだけですし」

「わしだって運ばれてきた患者を診ただけじゃし」


 二人とも息ぴったりに礼には及ばないと言うものだから、エリスは思わず笑ってしまった。

 それで一気に病室の中が和んだ空気になる。


(よかった、いい人そう……)

 

 エリスが内心ほっとしていると、医者と思われる男性が目尻にしわを刻んで人のよさそうな笑みを浮かべた。


「嬢ちゃん、名前は? わしはダレル・バーレル。見ての通りこの村で医者をしとるもんじゃ。どれ、ちょっと手を診せてみぃ」


 エリスは言われた通りに手を出して、脈を測られながら答える。


「エリスです。孤児なので姓はありません」

「そうか、お前さん孤児か。熱はもう心配なさそうじゃな。どこか他におかしなとこはないかの?」


 言われてから、エリスは自分の魔力がほとんど回復していないことに気づいた。

 倒れてから一日経っているならもっと回復していてもいいはずなのにと思いながら魔力のことを伝えると、ダレルの隣にいた青年が前に進み出た。

 

「いつもよりも魔力の回復が遅い、ですか?」


 エリスが小さく頷くと、青年は考えるようにこめかみに指を当ててトントンと叩いた。


「倒れる前、何か無茶なことをしませんでしたか?」


 思い当たる節がありすぎる。

 エリスはぎくりと体を強張らせて、探るような視線から逃れるようにすっと目をそらした。

 あえて何をしたかは言えないけれど、無茶なことをした事実だけは伝えておく。


「ええと、ちょっと無茶……というか無謀なことはしました」

「…………魔術具の魔石が砕けているのはそれが原因ですか?」

「ええと、そう、ですね……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………あの?」


 口元に手を当てたまま黙り込んでしまった青年に不安を覚えて、エリスが遠慮がちに声をかけてみると、彼ははっと我に返ったように視線を上げて、言葉を選ぶようにして推測を口にした。


「……もしかしたら、魔力を貯めておくための器官が損傷……しているのかもしれません」

「え!?」


 青年の推測に、エリスの背中に冷たいものが流れた。

 ドクドクと心臓が嫌な音を立てて早鐘を打ち始める。

 魔術師にとって、魔力の保有量は魔術師の階級にも影響するくらい重要度が高い。

 どんどん青ざめていくエリスを見て、青年が慌てて補足する。

 

「あくまで推測です――――ですが、なるべく早く魔術医に診せたほうがいいでしょう」

「魔術医……」


 所謂、魔術師専門の医者だ。

 魔力過多症や魔力欠乏症、魔力酔いなどを起こした際にお世話になることが多いのだが、町医者と違って魔術医は圧倒的に数が少ない。

 エリスは希望を込めてちらりとダレルを見たが、残念ながら村に魔術医はいないという回答だった。


「どうしよう……」


 思わず口をついて出た声は、情けないことに今にも消えてしまいそうなほどか細く震えていた。

 魔力が回復しないなんてこと初めてで、エリスの不安はどんどん膨れ上がった。俯いて絶望に打ちひしがれていると、頭上から優しい声が降ってきた。


「当てがないのでしたら、王都にいる私の知り合いを紹介しましょうか?」

「いいんですか!?」

「ええ。私もこれから王都に戻る途中でしてね。貴女さえよければお送りしますよ」


 願ってもない申し出に、エリスはパッと顔を輝かせた。

 しかも王都とは都合がいい。

 もともと例の魔術師が見つかるまでは王都を拠点に行動しようと思っていたエリスにとって、彼の申し出は渡りに船だった。

 青年の優しい気遣いが身に染みて、エリスは不覚にも涙ぐんでしまった。


「ありがとうございます……ええと、お名前を伺っても?」


 そういえばまだ名前を聞いていなかったと青年を見上げると、彼は穏やかに微笑んで名前を名乗った。


「ああ、申し遅れました。私はマギウス・レイン。王都で駆け出しの魔術師をしています」


 その名前を聞いた瞬間、エリスは目を見開いた。


 ――――マギウス・レイン。


 その名前は、あの星降る魔術を生み出した魔術師と同じ名前だった。

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