─38─祈り

 周囲を一望できる、かつて城壁だったであろう石垣の上にシエルは立っていた。

 そう、敵の精鋭部隊に襲われているミレダ達と再会した場所だ。

 足元にはあの時彼やユノーが斬り伏せた敵の死体が、今なお転がっている。

 眼下の両軍が激しくぶつかっていた平原には、敵ばかりでなく味方の遺骸が手付かずのまま何体も放置されていた。

 それらに視線をめぐらせると、シエルは目を閉じ中空に両の手をかざし、静かに祈りの言葉を唱え始める。

 独特の旋律を持つ祈りを、唄うように。

 そして、最後の一句を唱え終えた時、そこかしこから無数の光の玉が生まれ、天に向かって昇っていく。

 それを見送ったシエルは、後方に倒れ込むように腰をつき、そのまま両膝に顔をうずめ、力無くうずくまっていた。

 しかし……。


「祈りを捧げる貴方の顔には、憐れみの表情は浮かんでいませんでしたよ」


 どこからか、皮肉混じりの声が聞こえてくる。

 いつの間にかシエルの背後には、黒衣の死神がたたずんでいた。

 けれど、シエルは顔も上げずに言い返す。


「……のぞき見か。本当に立派な趣味をお持ちだな」


 シエルの精一杯の反撃にも、だがロンドベルトは痛手を受けたようでもなく、いつもの斜に構えた笑みを浮かべる。

 そのまま歩を進めシエルの横に立ち、おもむろに口を開いた。


「私は見えざるものを信じていません。が、配下の者がそれにすがろうという気持ちは、今多少なりともわかったような気がします」


 もっとも私自身は未だ信じるには至りませんが、と笑うロンドベルト。

 その時、ようやくシエルは顔を上げた。


「それより、こんな所まで何の用で?」


 まさか無駄話をするためだけに来た訳ではないだろう。

 そう言うように向けられてくる藍色の瞳に、ロンドベルトは声を立てずに笑った。


「少々おうかがいしたいことがありまして」


「……どうしてあの時、あなた達を殺さなかったのか、だろ?」


「貴方にはそれが可能でしたし、それが目的だったはず。にも関わらず実行しなかったのは何故か、少々疑問に思いまして」


 常のごとく斜に構えた笑みを浮かべて問うロンドベルト。

 対してシエルは、そちらをちらとも見ずに言った。


「大方、想像はついているんだろ?」


 が、ロンドベルトは皆目見当がつかないとでも言うように、大袈裟に両手を広げて見せる。

 その様子に忌々しげに短く舌打ちをしつつも、シエルは真正面を見据えたまま言った。


「……あの時、あなたも副官殿も武器を持っていなかった。戦う意志のない人間を斬るわけにはいかない」


 言い終えて、シエルは居心地が悪そうにそっぽを向く。

 それを見たロンドベルトは、面白くて仕方がないとでも言うように、唇の端を上げた。

 が、すぐにそれを収めると鹿爪らしい表情を作り、再びシエルに問う。


「では、ついでにもう一つ。何故あの後、敵である私の副官を助けたのです?」


「……俺は、一応神官だ。神官としてその役目を果たしただけだ」


 一瞬の沈黙。

 それを破ったのは、ロンドベルトの笑う声だった。

 驚いたように見つめてくる藍色の瞳に、ロンドベルトは軽く片手を上げて答えた。


「いや、失礼。あまりにも想定外で興味深いお話だったものですから」


 だが、そう言いつつもロンドベルトの笑いは収まる気配がない。

 苦虫を噛み潰したような表情そのままの不機嫌な口調で、シエルは笑い続けるロンドベルトに言った。


「話は済んだんだろ? ……お迎えがお待ちのようだけど」


 その言葉を受けてロンドベルトが振り向くと、そこにはいつの間にか硬い表情を浮かべたヘラが立っている。

 ロンドベルトの『視線』に気づくと、彼女は二人に歩み寄り、ロンドベルトに向けて一礼した。


「お話中、失礼いたします。エドナからも使者が参りました。どうやら和議の話は本当のようです。閣下にご面会を、と……」


 わかった、と一つうなずくと、ロンドベルトは未だうずくまるシエルに向かい声をかける。


「……今後、貴方は神官として生きられるのですか?」


 その言葉に、シエルはわずかに頭を揺らす。


「さあ、どうだか。それは俺にもわからない」


「と、申しますと?」


「良くて修士に降格の上で無期限の謹慎処分、最悪破門、かな」


 予想外の返答に、図らずもロンドベルトとヘラは顔を見合わせる。

 絶望的な状況から一軍を救った、いわば英雄に対する処遇とは思えなかったからだ。

 それを察してか、シエルは他人事のような口調で続ける。

『殺すなかれ』を本分とする神官騎士団の甲冑を血で穢したんだから当然のことだ、と。

 その言葉を聞いたロンドベルトは、生真面目に問う。


「やれやれ、神官の世界は厄介ですね。いかがです? 以前にも申し上げましたが、こちら側にいらしては……」


「……あいにく、俺にも迎えが来たようだ」


 あわててロンドベルトはシエルの視線を追う。

 くすんだくせ毛の金髪の青年がやってくるのを認め、彼は嘆息をついた。


「なるほど。では、いずれまたお会いしましょう。できれば地の底以外の場所で」


 その言葉にシエルは苦笑を浮かべ、軽く片手を挙げて応じる。


「……師団長殿と主任司祭殿に、世話になった御礼をしそこなった。できれば言伝ことづてを……」


 賜りました、と言い残し踵を返すロンドベルト。

 ヘラはシエルに一礼してから、その後を追った。

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