─36─対決

 戦況は一向に変わらない。

 蒼の隊はまったく動く気配はなく、こちらも攻めあぐねている。

 変わりばえのしない前線からの報告を受けるたび、ロンドベルトはいら立ちを募らせる。

 不安げにその様子をうかがうヘラを気にかける余裕も無いようだった。

 卓の上に広げられた地図に手をかざし、幾度となくその場を『見よう』とするのだが、千里眼と称されたその視界は開けることは無かった。

 不意にロンドベルトは卓に両手を付き立ち上がる。

 その顔には、珍しく怒りの表情が浮かんでいた。


「閣下、いかがなさいました?」


 表情そのままの不安げな声で尋ねるヘラに、ロンドベルトは光を映さぬ瞳を向ける。

 そして、内心の怒りをかみ殺すように言った。


「……馬を。本隊全てを投入して、敵を殲滅する」


「何をおっしゃられるんですか、閣下? それでは……」


「私が受けた命令は、敵を討ち果たし勝利することだ。いかにあの御仁が罠を張ろうとも、それは言い訳にならない」


「いけません! それでは……」


 ヘラの言葉は、突然の叫び声で遮られた。

 何事かと両者は顔を見合わせる。

 程なくして、負傷した兵士が一人、転がるように駆け込んできた。


「何事だ⁉」


 ロンドベルトの怒号に、兵士はその場に思わずひれ伏す。

 そして、顔を上げることなく震える声で告げた。


「て……敵襲! すでに最終防衛線まで突破されています!」


 色を失うヘラ。

 ロンドベルトはそんな副官を守るようにその前に立ち、更に兵士に問う。


「敵は何人だ? どこから攻めてきた?」


「部隊後方から突如攻撃してきました! その数は……」


 その時だった。

 ごく至近から鬨の声が上がる。

 剣のぶつかる音が響く。

 やがて、断末魔の悲鳴と共に、人間が大地に崩れ落ちる音が聞こえてくる。

 遂に来たか。

 ロンドベルトは自らの剣に手をかける。

 ほぼ同時に彼らの前に現れたのは、白銀の甲冑を返り血で染めたシエルの姿だった。


「……やはり、単独で切り込んで来られましたか」


 皮肉な笑みを浮かべながら言うロンドベルト。

 ただ無言で標的を睨みつけ、剣を構えるシエル。

 その時、異変を感じた漆黒の部隊が数名、その間に割って入った。

 だが、シエルは眉一つ動かすことなく一歩踏み出す。

 ただそれだけにも関わらず、放たれる殺意に圧倒され、隊列がわずかに乱れた。

 一瞬の隙を、シエルは見逃さなかった。

 大地を蹴ると同時に、剣を振り下ろす。

 と、深紅の飛沫が木々や下草を染める。

 均衡を失い倒れる敵には目もくれず、すぐさま二人目へと躍りかかる。

 剣を振るうと見せかけて、素早く足払いをかける。

 予想外の攻撃に対処できず倒れた敵の喉元に剣を突き立てつつ、シエルは次の獲物を狙う。

 新たな生き血を吸った剣はその不気味さを増し、藍色の瞳は言い難い光を放っている。

 その、人ならざる物のような迫力に、漆黒の部隊はすっかり戦意を喪失していた。

 そんな配下の様子に苦笑を浮かべつつ、ロンドベルトは剣を抜く。


「情けないものをお見せして失礼。再戦の折はもう少し鍛え直すとしましょう。次回があればの話ですが」


 だが、そんなロンドベルトの軽口に、シエルはにこりともしない。


「あなたには、あの時も言ったように恨みはない。けれど……」


「理解しています。それがいくさという物ですから」


 言いながら、ロンドベルトも剣を構える。

 その顔には、いつもの斜に構えた笑みが浮かんでいる。


「私の目を封じなくともよろしいのですか?」


 間合いを取りながら、シエルは答える。


「一騎打ちでそれは不公平だ」


 その言葉を聞いて、ロンドベルトはさもおかしくて仕方がない、とでも言うように笑った。


「やれやれ、妙な御仁だ。確実に勝てる方法を自ら放棄するとは」


 けれど、シエルはその挑発には乗ってこない。

 無言のままロンドベルトを睨みつけ今にも斬りかかろうとする、まさにその時だった。

 それまで恐怖のあまり動けずにいたヘラが、突如としてシエルの前に立ちふさがる。

 見えない壁にはばまれて、シエルはその動きを止めた。


「どうしたんです? 私を斬らないんですか?」


 両の腕を真横に広げ叫ぶヘラ。

 そんな彼女を、ロンドベルトは怒鳴りつける。


「何をしている副官! どかないか!」


「嫌です! どきません! 私は閣下を……!」


 そして再び、ヘラはシエルに向き直る。


「私を斬らなければ、閣下に届きませんよ! さあ、どうしました?」


 シエルは剣を握り直し、真正面に構える。

 しかし、次の一歩が踏み出せない。

 常ならば感情を写さぬその瞳には、明らかに動揺の色があった。


「副官! 命令だ! 退け!」


 ロンドベルトの怒声が響く。

 が、ヘラは涙をこぼしながら激しく首を左右に振る。


「お断りします! 私は閣下のお役に立つと決めたんです! ですから……」


「ならば、生きろ。無為に命を散らすな」


 諭すようなロンドベルトの言葉に、ヘラは振り向いた。

 涙にぬれたその顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。


「閣下のために死ねるのでしたら、この上ない本望です」


 その言葉を受けて、ロンドベルトは手にしていた剣を取り落とす。

 そして、驚きの表情を浮かべるシエルの前で、背後からヘラを抱きしめていた。


「……閣下?」


「貴官を戦の道具にはしない。そうお父上と約束した。今ここで貴官を盾にしたら、私はお父上に合わせる顔がない」


 そして、ロンドベルトは光を映さぬ黒い瞳を、剣を構えたままのシエルに向けた。


「一軍を率いる将としては、失格ですね。どうぞご随意に」


 静かな悟ったような表情で、ロンドベルトは目を閉じた。

 自らと、自らのために命を投げ出そうとした人に、終わりが訪れるのを待つように。

 けれど……。

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