─35─戦闘

 そして、夜が明けた。

 イング隊側から開戦を告げる鏑矢が放たれたにも関わらず、蒼の隊は沈黙を保っている。

 イング隊の弓兵隊が矢を射かけても、反撃する素振りすら見せない。

 隊列を保ったまま、ただそこにいるだけである。

 誰もが妙だと思った。

 同時に、何かとんでもない作戦があるのではないかと疑った。

 結果、前線を任されているイング隊参謀は、すぐさま後方に控えているロンドベルトに、どう出るべきかうかがいを立てた。


「参謀殿は、混乱されているようですが……」


 報告を受け、ヘラはロンドベルトに向き直る。

 一方のロンドベルトは、幾度となく最前線を『見よう』としていたが、いずれも失敗に終わった。

 おそらくは、突如として参戦した無紋の勇者こと自称不良神官の青年が、蒼の隊全体に何らかの小細工を仕掛けているのだろう。

 相手の手の内が見えぬ以上、下手に動けば墓穴を掘る。

 何より、自らの目を封じられた以上、離れた場所からでは的確な指示を出すことができない。

 おもむろに立ち上がり、歩みだそうとするロンドベルトを、ヘラは必死に押しとどめた。


「いけません。今閣下が出ては、みすみす敵の罠にかかりに行くようなものです」


 珍しくロンドベルトの顔には、焦りといらだちが混じり合った表情が浮かんでいる。

 けれど辛うじてそれを押さえ込み鋭く舌打ちすると、彼は伝令に告げた。


「参謀に伝えよ。決してこちらから討って出るな。挑発してでも相手から動くように仕向けろ。後は一網打尽だ」


 深く一礼すると、伝令は命令を伝えるべく前線へと走り去る。

 その後ろ姿を見送りながら、ロンドベルトは低くつぶやいた。


「見えないというのは、もどかしいな。手を伸ばしても届かない。霧の中で足掻いているようだ」


 その言葉を受けて、ヘラは思わず苦笑を浮かべる。

 そして、何事かと首をかしげるロンドベルトに向かい言った。


「閣下は本来ならば見えないものまで見ておしまいになるんです。多少見えないくらいの方がよろしいのでは?」


 そんなものか、とうそぶき、ロンドベルトは腕を組む。

 そして、唇の端に常のごとく皮肉混じりの笑みを張り付かせこう言った。

 なかなか楽しませてくれるじゃないか、と。


      ※


 戦端が開かれてから、半刻が経とうとしている。

 武器を構えたまま動こうとしない蒼の隊。

 その最後方では、ミレダが明らかに不満を募らせていた。


「一体いつまでこうしていれば良いんだ? まったくらちが開かないじゃないか」


 その前後左右を固める侍従や朱の隊の面々が、あわててそれをなだめにかかるのだが、彼女が我慢の限界をむかえるのは時間の問題だ。

 やはりここは、無理矢理にでも隊から退避させ安全な所にいてもらうべきだった。

 ユノーは激しく後悔して、内心深々とため息をつく。

 とにかく動くな。

 できる限り敵全軍をひきつけろ。

 後は自分が何とかする。

 あの作戦会議の席で、ミレダが絶対的な信頼を寄せる人……シエルはそう言った。

 蒼の隊その物を囮に使って、自分は相手の懐に切り込み、敵の総大将にとどめを刺す。

 いささか乱暴で、かつ危険な作戦だった。

 成功すれば万々歳だが、失敗すれば無様に全滅する。

 立案者であるシエル自身もその危険性を理解してか、作戦の内容を説明するその声はいつもより硬い様だった。

 その時の様子を思い出しながら、ユノーはミレダに向き直る。


「待ちましょう。あと半刻の辛抱です」


 その言葉に、ミレダは毒気を抜かれたような表情を浮かべる。

 そして、ふっと微笑んだ。


「お前の言うとおりだ。私は、あいつを信じる」


      ※


 蒼の隊は、依然として動かない。

 時折数本矢を射かけても、盾で防ぐばかりで射返して来る気配すらないのも相変わらずである。

 そこへ、ロンドベルトからの命令を携えた伝令が現れた。

 それを受けたイング隊は、方策を変えた。

 大声で、微動だにしない相手を罵ったのである。

 弱虫、腰抜け、臆病者、意気地無し、小心者、腑抜け……。

 おおよそ思いつく限りの相手を罵倒する言葉を、口々に叫ぶ。

 敵が怒りに任せて、不用意に動くのを狙ってのことである。

 しかし敵もさるもので、多少たりとも隊列を乱す素振りすら見せない。

 こうなれば、双方意地である。

 相手を罵る語彙が尽きるのが先か。

 はたまた、堪忍袋の緒が切れて動き出すのが先か。

 先にしびれを切らしたのは、意外にもイング隊の方だった。

 いや、正確には功を焦った一部が先走った、と言うべきかもしれない。

 イング隊の左翼の一部が、前触れもなく突出する。

 その様子は、無論ミレダ達にも伝えられた。

 迫りくる敵の数は、約二千。

 しかも、本隊と連動した動きとは思えない。

 どうする? と聞いてくるミレダに、ユノーは迷った。


「本来の作戦は、あくまでも動くな、ですが……」


 このままでは、なし崩しに戦力を削られ、最終的に全滅しかねない。

 今、味方を生かすために成すべきことは何か。

 考えた末、ユノーは決断を下した。

 反撃しつつ後退する、と。


「後退だと? あの数ならこちらの方が有利だ。それを……」


 わずかに声を荒らげるミレダに、ユノーは沈痛な面持ちで答える。


「一時的には勝つことはできるでしょう。ですが、後ろにあれだけの軍勢が控えています。……閣下の動向がわからない以上、それが最善かと」


 手綱を握るユノーの手は、わずかに震えている。

 それが悔しさから来るものなのか、恐怖から来るものなのか、当の本人にもわからなかった。


「少なくとも、あと半刻持ちこたえれば閣下は戻って来ます。戻るべき場所を、僕らは守らなければならないんです」


 そう言うユノーに、ミレダは笑いかけた。

 何事かと見つめてくるユノーに、ミレダは告げた。

 あの情けなかったお前が、大した成長ぶりだ、と。

 わずかに頬を赤らめながら、ユノーは伝令を呼び、隊列保持の徹底と反撃しつつ後退する旨を告げた。

 命を受けた伝令達が部隊各所へ散っていくのを確認すると、ユノーはおもむろに剣を抜く。


「万一囲まれれば、ここも前線になります。殿下は今のうちに朱の隊や侍従の皆様と……」


「下手に動けば、隊列を乱すことになる。そうしたら、狙い撃ちにされかねない」


 言いながら、ミレダも抜剣する。

 やれやれと吐息をつくと、ユノーは周囲に視線を巡らせ、聴覚を研ぎ澄ます。

 人々の叫び声、金属がぶつかり合う音……戦場が近付いて来るのが感じられる。

 陣頭で指揮をとるシグマは、自らも戦斧を振るいつつ巧みに陣形を保ちながら敵を迎え撃つ。

 しかし、ユノーとミレダを守ろうとするあまり、どうしても一部が手薄になる時がある。

 そこを突かれて陣形を破られそうになるが、何とか踏みとどまる。

 だが、遂にその一角が破られた。

 雄叫びを上げた敵の切込隊長が、ユノーとミレダの目前に迫る。

 ユノーが剣のつかを握りしめた瞬間、初めて人を斬った時の感覚がまざまざと脳裏によみがえる。

 瞬間、身体の力が抜け、剣を取り落としそうになる。


「ロンダート卿‼」


 ミレダの鋭い声が耳朶じだをうつが、気がついた時には敵は目前にいる。

 剣ではもう間に合わない。

 ならば、この身を挺してでも……。

 ユノーはミレダをかばうように、敵の前へ立ちはだかった。

 そして……。

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