名も無き星達は今日も輝く【完結済み】

─32─武器無き争い

「一体何事ぞ？　そなたらはそのような愚昧な者の物言いを信じるのですか？」

　やや神経質な女帝の声にある者は視線をそらし、またある者はおびえたような表情を浮かべる。

　しかし、イディオットは臆することなく怒りをはらんだ女帝の視線を受け止めた。

「……私のことを覚えていてくださいましたか。光栄です」

　刹那、メアリの青緑色の瞳に閃光が走る。

　そして、眼光同様の鋭い口調で言い放った。

「忘れるはずないでしょう？　ルウツ皇家の面汚しが！　多少なりとも同じ血が流れていると思うと、ぞっとする！」

　心底自分を忌み嫌っていることを隠そうともしないメアリに、イディオットは苦笑を浮かべる。

　そして、つとめて冷静に語り始めた。

「では、そんな愚かな私を哀れと思って、ささやかな願いを聞き届けてはいただけませんか？」

　思いもかけない言葉に、けれど下手に出られて自尊心をくすぐられたのだろうか、メアリの顔に微笑が浮かぶ。

　メアリがくい、とあごを上げ話すよう促すのを確認して、イディオットはおもむろに切り出した。

「今までの陛下のご心労、察するに余りあります。ここは一つその位を退き、いずれかの離宮でお心安らかに過ごされてはいかがですか？」

　その言葉を受けて、メアリの頬は怒りのあまり紅潮し、次いで目に見えて蒼白となった。

　これまで以上に鋭くイディオットをにらみつけ、両の拳を振り下ろす。

「無礼な……たとえ従弟とは言え、そなたは一介の臣下。不可侵の皇帝に対しその物言い、許されると思っているのですか？」

　だが、その怒りを受け止めるイディオットは、冷静を通り越して冷ややかな目でメアリを見つめている。

　周囲からの言い難い視線を一身に受けて、彼は冷淡と言っても良い口調でこう告げた。

「そもそも貴女は、正当な皇帝ではないでしょう。違いますか？」

「何を世迷言を！　気でもふれましたか？　私こそがこのルウツの……」

「気がふれているのは貴女の方でしょう、メアリ殿。何度でも言いましょう。皇帝の紋章たる玉璽を持たずに即位した貴女は、正統な皇帝ではない」

　眉一つ動かさず、淡々と繰り返すイディオット。

　メアリは金切り声を上げながら、彼に歩み寄り掴みかかろうとするが、すんでのところで駆けつけた衛兵がそれを妨げる。

　その手を振り払いながら、メアリは大声をあげた。

「下賎な衛兵風情が、私に逆らうのですか？　私は……」

「己のわがままが通らぬ怒りに任せて、多数の人々を死地に追いやるような人間に、皇帝を名乗る資格は無い！」

　それまで穏やかに諭そうとしていたイディオットが、突然声を荒らげた。

　驚いたメアリやその場の人々は、等しくイディオットを見つめる。

「貴女が本当にルウツの皇帝なら、代々の皇帝に伝えられてきた言葉を言ってみろ！　持ってると言い張る玉璽に刻まれているんだ。言えないはずがない！」

「お黙りなさい！　皇帝は私！　至尊の冠を戴いたあの時から、この世の全ては私の物！　この私に無礼を働くなど……」

　メアリの言葉が、突如として途切れた。

　イディオットがその両肩を掴み、正面からその目を見据えたからだ。

「帝位に就くということは、全てを好き勝手にしても良いということではない。まだわからないのですか？」

　けれど、メアリはうわ言のように繰り返す。

「……全ては、私の物……」

「違います。帝位に就くということは、国と民に責任を持つことだ。それなのに、貴女は全てを履き違え……先帝陛下と私の父を殺した！」

　瞬間、沈黙が流れる。

　衛兵、そして議場を埋め尽くす貴族達やマリス侯は皆等しく固唾を飲んで、イディオットとメアリを凝視している。

　そして……。

「……メアリ殿？」

　イディオットの顔に、戸惑いの表情が浮かぶ。

　メアリの双眸は虚ろに見開かれ、色を失った唇からは乾いた笑い声がもれる。

　刹那、彼女の身体は力なく崩れ落ちた。

「典医を！　早く！」

　振り向きざまに、イディオットは叫ぶ。

　けれど、既にメアリが正気を失っていることは、誰の目から見ても明らかだった。

　あわてて駆けつけた典医が脈を取る。

　次いで侍従達が不可侵なはずのその身体を、おっかなびっくり議場から運び出してゆく。

　あの様子では、今後彼女が政を行うことは、まず不可能。

　恐らく宮殿もしくは離宮にて幽閉生活を送ることとなるだろう。

　ひとまず国体の危機は免れたが、なんとも言えない後味の悪さを感じて、イディオットは重いため息をつく。

　それから議場内を振り返ったイディオットの目に入ってきたのは、自分に向かいかしずく人々の姿だった。

「……皆……一体……」

　戸惑うイディオットに、彼らは異口同音に言う。

　どうぞご下命を、と。

　彼が成すべきことは、ただ一つ。

　それは……。