─30─束の間の平穏
そして、いつしか日は暮れた。
ようやく惨劇が終わり、何事もなかったかのように静まり返る本陣内をユノーは小走りに横切り、自分の天幕へと向かった。
大きく息をつき、乱れた呼吸を整えてから彼はその中に入る。
「……敵襲か?」
突然の声に、ユノーは思わず飛び上がる。
ランプの光が灯る薄暗い天幕の中で、その人は膝を抱えうずくまっていた。
「いいえ。……お加減はいかがですか?」
不安げに問うユノー。
返ってきたのは、感情の無い低い声だった。
「何ともない……。それより、あいつは?」
「ようやく落ち着かれました。もういつもの殿下です」
その言葉に、その人はそうか、とつぶやくと立ち上がろうとする。
あわててユノーはそれを制した。
「そのまま、お休みになっていて下さい。まだ……」
「しかし、貴官はどうする? ここは……」
「小官ならその辺りで適当に休みます。ですから……」
必死になるユノーに、その人は僅かに唇の両端を上げた。
初めて見る穏やかな微笑に、ユノーは思わず口ごもる。
「……眠れないんだ」
「え……?」
首をかしげるユノーに、その人は繰り返した。
「眠れないんだ……。眠ると、あの時の夢を見るから」
大将は決戦の前は必ず寝坊する癖がある。
そういえば初陣の時、そんなことを聞いた覚えがある。
遠征中、一睡もできずにいたとすれば無理はない。
そして、『あの時』という言葉が何を意味しているのかを理解し、ユノーはひざまずき、深々と頭を垂れた。
「申し訳……ありません……」
消え入りそうなその声に、その人は再び微笑を浮かべた。
「貴官が謝る理由はない。すべては俺が犯した罪に対する罰だ。それより……」
言いながらその人は、ユノーの額に掌をかざす。
そして、耳慣れぬ祈りの言葉をつむぎだす。
「……汝の贖罪に報いあれ」
同時に、暖かい感触がユノーを包む。
驚きを隠せない水色の瞳に、その人は笑った。
「気休めさ。……人を斬ったのは、あれが初めてだろ?」
すべてお見通しと言うわけか。
ユノーは神妙な面持ちでうなずいた。
「よくある事だ。……下手すると、発狂して自ら命を絶つ奴もいる」
「でも、貴方は……?」
「俺も同じかな。過去に呑まれないようにと猊下がかけてくれた暗示が弱くなって……。常に気を張っていないと、このザマだ」
言いながらその人は、首から下げていた護符を弄んでいる。
端正な顔には、苦笑が浮かんでいた。
しばらくユノーはその様子を無言で見つめていたが、ふと、何かを思い出したように顔を上げた。
「あの……、何か食べる物をお持ちします。先程斥候隊長殿から、夜通し駆けてきたとうかがいましたので」
突然の言葉に、その人は困惑したような表情を浮かべる。
が、口を開くより先に、腹が盛大に鳴った。
「とりあえず何か持ってきます。そのまま待っていてください」
不承不承その人がうなずくのを確認すると、ユノーは天幕を後にする。
しばらくすると、ユノーは二人分の食事を載せた盆を手に戻ってきた。
先程同様、身じろぎせずうずくまっていたその人は、顔を上げるなり本当に良いのか、とでも言うようにユノーの顔を見つめる。
一方のユノーは、盆をその人の前に置くと、それを挟んで向き合うように腰を下ろした。
「殿下が帯同してくださった恩恵と言いますか、兵糧は充分あるんです。それに、恥ずかしながら僕自身この二、三日食べていないので……」
それで浮いた分だと思ってください、ときまり悪そうに言うユノーに、その人は声を立てて笑った。
思いもよらない反応に目を丸くするユノー。
それを意に介すことなく、その人は低く祈りの言葉を唱えると、汁物の碗に口をつけた。
無言のまま食事をすること、しばし。
食べ終わるなりその人は、ユノーに向かい感謝の言葉を口にすると、傍らに置かれていた剣を手に立ち上がろうとする。
「どちらに行かれるんですか?」
「どのみち俺は眠れないから……。今夜の殿下の警護は俺がする。今日くらい貴官は休め」
おおかた、毎晩夜通し警護しているんだろう。
そう図星をつかれて、気まずそうにユノーは食事の手を止める。
が、そのまま天幕を出ていこうとするその背に慌てて言った。
「待ってください。今日は朱の隊の残存部隊が貼り付いています。本隊からも人数を割いていますし……。何より相手も、今夜は手を出して来ないと思うんです」
「根拠は?」
肩越しに振り返るその人に、ユノーは座ったまま姿勢を正す。
そして、自らの考えるところを語りだした。
まず第一に、既に昨日夜襲を受けて撃退しているということ。
一度失敗した以上、警戒して同じ手を打ってくるとは考えにくい。
そして第二に、敵は貴方の参戦を知ったはずであるということ。
死神と言われる敵将が、危険を犯してまで討って出てくるだろうか……。
「小官の希望的観測も含まれていますが、以上の通りです」
しばしその人はくせ毛の金髪頭を見つめていたが、ややあってつぶやいた。
納得した、と
そうこうするうちに自らも食事を終えたユノーは、空になった食器の載った盆を手にし戻してきますと立ち上がり、あわただしく天幕を出ていった。
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