─24─決断

 ミレダが姿を現す。

 ただそれだけのことなのに、その場の空気が変わるのをユノーは感じた。


「遠路はるばるご苦労、と言いたいところだが、一体どういう魂胆だ?」


 使者と対峙するミレダはユノーの知るその人ではなく、威厳を持った皇帝の妹姫だった。

 その威圧感に押され、使者は自ら進んで下馬し恭しく膝を折る。

 それを見下ろしながら、ミレダはさらに続ける。


「聞けば、私と共に戦に臨みたいとのことだが、誰の許しを得てこのような無謀な行動を?」


 使者は平伏したまま、震える声で答える。


「我らは朱の隊入隊の時、他でもなく殿下に剣を捧げております。この期に及んで自分達だけ皇都で安寧をむさぼるのは我慢ならず……」


「愚か者が! それで私が喜ぶとでも思ったか?」


 突然の怒声に、後方で様子をうかがっていたユノーは目を丸くし、シグマは呆気に取られたような表情を浮かべる。

 一方、その怒りを買った側は、恐縮したように一段と深く頭を垂れる。


「め……滅相もございません。我々はただ、殿下への忠誠を……」


「私への忠義を示すなら、なぜ私から命じられた責務を果たそうとしない? 貴官らがいたずらに持ち場を離れた結果、私が陛下のご不興を買うこととなるではないか」


 少しでも考えればわかることを、なぜそのように後先考えず行動するのか。

 馬上からそう語るミレダの口調は、決して激しいものではない。

 けれど、静かな圧力に使者は顔を上げることができずにいた。

 返す言葉もない使者に向かい、ミレダはさとすように続ける。


「もっとも私は、姉上……陛下から縁を切られたようなものだ。そんな私に従うとなれば、貴官らの命も危うい。悪いことは言わぬ。今すぐ皇都に戻れ」


 大儀であった。

 そう締めくくると、ミレダは馬首を返し、陣へと戻って来た。

 ユノーを始めとする隊の面々は、そんなミレダを取り囲む。


「よろしかったのですか? 殿下……」


 不安げに問いかけてくるユノーに、ミレダは寂しげに笑って見せた。


「……帯同を許したら、彼らは無為に命を散らすことになりかねない。私に関わったが為にそんなことになっては、あまりにもむごすぎる」


 そして、ユノーを始めとする蒼の隊の面々に向き直ると、更に言葉を継いだ。


「お前たちにも謝らないといけないな。すべて、私のわがままのせいで巻き込んでしまって」


 そう言いながら顔を伏せるミレダ。

 長い髪がこぼれ落ち、その表情を完全に隠す。


「あの時、私が我を通さなければ、こんな事にはならなかったかもしれない」


 一方のユノーは、つとめて明るい声で言った。


「……殿下が司令官閣下をお助けにならなければ、小官は家名復活も果たせずに初陣で野垂れ死にしてたかもしれません」


 はっとしたように、ミレダは顔を上げる。

 目前のユノーの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「あの方の言葉をお借りすれば、全ては見えざるもののご意思です。我々にはどうすることもできませんが、せめて一矢報いましょう」


「……わかった。……ありがとう」


「こちらこそ、身分をわきまえず失礼いたしました。お叱りは皇都でゆっくりお受けします」


 そう。

 まずは、ここを生き延びなければ、何も始まらない。

 けれど、戦う前から圧倒的に不利とわかっている状況で、一体どうすれば。

 そうユノーは幾度となく自らに問いかけるのだが、明確な答えは出てこない。

 そうこうするうちに、日はエドナ側の地平線に沈もうとしている。

 その弱々しい光の中、わずかにうごめく黒い影が見えた。


「……来た」


 そうつぶやくユノーの顔は、文字通り青ざめていた。

 その様子に気付いたミレダ、そしてシグマもその方向に視線をめぐらせる。

 と、黒い影は次第にその数を増し、いつしか地平線を埋め尽くした。

 身動きすらできずにいるユノーに、シグマは耳打ちする。


「ざっと見て、一万五千……。こっちの倍以上かな」


 振り返るユノーの視界に入ってきたのは、今まで見たことがない強張った笑みを貼り付けたシグマの顔だった。


「……斥候隊、状況は?」


 緊張感をはらんだミレダの声が響くと同時に、どこからともなく現れた斥候が見てきたことをつまびらかに説明する。

 曰く、今目前にいるのは敵先鋒隊で、数は約一万四千。

 更に後方には、本隊一万六千が控えているという。


「……ルドラの時よりも数が多いな。どうやらイング隊総出でお出迎えって訳か」


 冗談とも真剣とも取れるシグマの言葉に、ユノーはうなずくのが精一杯だった。

 初陣の時以上の恐怖が、ユノーに襲いかかる。


「敵は、こちらを包囲しにかかるだろうな。どうする? 相手が陣を固める前に夜襲をかけるか? 不意を突ければ、あるいは……」


 ミレダの言葉に、だがユノーは首を横に振る。

 初陣の時の教えが、脳裏をよぎったからだ。


「夜襲は敵も警戒しているでしょう。安易に乗り込んで行けば、みすみす……」


 叩きつぶされに行くようなものだ。

 かと言って戦わずして退けば、皇帝の命に背いた罪で裁かれ、死を賜るのは目に見えている。

 出陣前からわかりきっていたこととは言え、いざ目の前に突きつけられると、悔しさと情けなさとで震えが止まらない。

 けれど……。


「本隊は、今どこに?」


 未だ控えていた斥候に、ユノーは問いかける。


「は、本隊到着までは、あと一日ほどの猶予があるかと」


 間髪を入れずに返ってきた答えに謝意を述べると、改めてユノーは敵陣を見やる。


「そうですか……それなら、もしかして……」


 何かを反芻するように、ユノーはつぶやく。

 何事かとでも言うように、ミレダとシグマは顔を見合わせる。

 赤黒く染まった夕暮れの空は、蒼の隊の未来を暗示するかのように、不気味に揺らめいていた。

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