─26─疑問
「どういうおつもりですか?」
背後でわめいている参謀に、ロンドベルトは強い不快感を感じて、不機嫌な表情を浮かべて振り返る。
黒玻璃の瞳を向けられると、参謀はそれまでの勢いはどこへやら、しゅんとして黙り込んだ。
その様子に心底ロンドベルトは呆れ果てていたが、一呼吸置いてこう告げた。
「どういう、とは一体?」
「なぜあの神官を殺してしまわなかったのですか? 奴の言った通り、あそこにいたのは正規兵ではありません。奴の口からことの次第が流れれば、我々の名誉が……」
「何をさして名誉と言うのかな? 我々はただの人殺しだ。しかも自らの意思で動く訳でなく、国の命令で大量虐殺をする何ともたちの悪い集団だ」
予想外の返答だったのだろうか、参謀は唖然として立ちつくす。
その間抜け面に向かい、ロンドベルトはさらに毒づいた。
「彼は何も誤ってはいない。正しいことを述べたまでだ。にも関わらず殺されては道理に合わないだろう。……それに、あの御仁には聞きたいことがある」
「聞きたいこと、ですか? 」
が、その問いに答える必要性をロンドベルトは持たなかった。
無言で長身を翻すと、彼は自らの天幕へと入った。
勢いよく腰を下ろし、大きく息をつく。
そして、虚空に視線を巡らせた。
脳裏に浮かぶのは激しい怒りに燃えた藍色の瞳。
真っ直ぐにこちらを見据えてくるその瞳に、ロンドベルトは既視感を覚えていた。
ため息をつき、ふと視線を転じた先には、何かが落ちている。
手にするとそれは、首都を出る前に小さな騒ぎとなっていた敵国の手配書だった。
じっとロンドベルトはその人相書きをみつめる。
セピアの髪に、藍色の瞳。
その容姿は伝え聞く敵国の『無紋の勇者』と重なる。
そして、幼いころに体感した痛みを伴う思い出とも一致する。
「まさか……な」
低くロンドベルトはつぶやいた。
確かめなければ。
紙の上からこちらを睨みつけてくる男の絵に視点を固定したまま、ロンドベルトは強く思った、その時だった。
天幕の外に人の気配を感じて、彼は鋭い声で言った。
「何事だ?」
声に応じて姿を現したのは、一人の医務官だった。
松明に浮かび上がるその顔には『軍神』に対する畏怖の念と、突然担ぎ込まれた『患者』に対する疑問が貼り付いていた。
「……将軍閣下、あの者は一体……。本当にただの神官なのですか? 」
予想外の問いかけに、ロンドベルトは思わず首をかしげる。
そして、こちらを凝視する医務官に続けるよう促した。
「身体中に無数の古傷があるのです。しかも刀傷ではありません。まるで拷問にでもあったかのような……。よもやルウツの間者なのでは……」
間者という言葉に、ロンドベルトはわずかに眉根を寄せた。
医務官の言葉はさらに続く。
「正直申し上げますと、この長丁場の戦で、我が軍にも少なからず負傷者も出ています。余分な医薬品は……」
「無いとは言わせない」
短く、鋭い一言だった。
思わず息を飲む医務官ではあったが、なおも彼は食い下がった。
「ですが、負傷者運搬用の馬車が足りないのは事実です。自力で馬に乗せるのも不可能ではないと思いますが、やはり無理が少なからず……」
そうか、とうなずくと、ロンドベルトは腕を組む。
そして、しばし思案した後こう告げた。
「ならば捕虜収容用の護送車を使えばいい。お客人に対しては不敬かもしれないが、やむを得まい」
自らの発言が通ることを、彼は信じて疑わなかった。
果たして予想通り、医務官は深々と頭をたれた。
確かにこれではエドナから危険視されるわけだ。
納得しながらロンドベルトはつぶやくように言った。
「ならば、後は任せる。万一症状が悪化した場合はやむを得ない。その責任は問わない」
その言葉に医務官は深々と一礼すると、持ち場へと戻っていった。
※
規則正しい振動を感じてシエルは目を覚ました。
鉄格子のはめられた小さな窓から漏れてくるのは、弱々しい日の光と馬のいななき。
どうやら敵の手に落ちてしまったらしい。
両の手にはめられている重く冷たい鉄の枷、そして途切れた記憶を結びつけてそう判断すると、彼はわずかに苦笑を浮かべた。
が、それはすぐに苦痛にゆがむ。
剥き出しの上半身は冷たく冷えていたが、矢傷の所だけが焼けるように痛い。
やや乱暴に巻かれている包帯には、赤く血がにじんでいた。
と、何とも言えない悪臭が鼻をつく。
これは負傷者用の馬車ではないらしい。
そうでもなければ鉄格子などはまっているはずもない。
そう理解して、彼は天井を見上げる。
暗がりに腐臭。
この二つが、彼の中にある幼いころの記憶を呼び覚ました。
大司祭の手によって封印されたはずの記憶、すなわち無数の拷問師から繰り返えされる、暴行と虐待。
込み上げてくる嘔吐感に耐えきれず、彼は体を丸めて胃液を二度三度吐き出した。
やや落ち着くと、虚ろな瞳でわずかに見える空を見やる。
果たしてどこへ向かっているのだろうか。
そして、一体どうなるのだろうか。
そんな思考も吐き気により中断される。
床に広がった胃液の放つ悪臭が、更なる吐き気を誘う。
終わらない負の連鎖の中、彼は冷たい床の上で苦痛に耐えながらうずくまっていた。
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