─23─風前の灯

 異変を感じ取ったのは、村外れで遊んでいた子ども達だった。

 視界の先に翻る漆黒の軍旗を見、転がるように村へ戻って来るなり、見たままを告げた。

 事態を知らされた大人達は、突然姿を現した『敵』を目の前にして頭を抱えた。


「降伏しよう。いくらなんでもそうすれば無茶なことは言わないだろう」


「だが、その後はどうする? イング隊は我々を守ってくれるのか? ゲッセン伯に知られたら、一体どうなる? 城で労役をしている者が、どんな仕打ちを受けるか……」


「城の心配よりも明日の我が身だろ?」


「……どうせ作物も採れないやせた土地だ。いっそくれてやればいいじゃないか」


 議論は堂々巡りし、結論が出る気配はない。

 言い争う大人達を、テッドは少し離れた所でじっと見つめていた。

 ようやく起き上がれるようになった母親も、わずかに青ざめた顔でその後ろに座っている。


「伯に送った使いが戻ってくるのを待とう。もしかしたら軍隊を連れて来てくれるかもしれない」


「だが、イング隊が示した期限は二日後だ。どんなに急いでも、往復三日はかかる」


 議論は途絶えた。

 皆暗い表情を浮かべ、互いに顔を見合わせるばかりである。

 そうこうするうちにも、時間は無為に流れていくばかりで、一秒たりとも待ってはくれない。

 死んだ魚のような目をして無駄な言い争いを繰り返す大人達。

 ついに我慢できなくなって、テッドは母の手を振り払って思わず叫んでいた。


「最初からあきらめてどうするんですか? あなた達は大人でしょう?」


 一同の視線が自分に集中するのをテッドは感じた。

 足はがくがくと震え、そのままへたり込みそうになる。

 が、大きく息を飲み込むと、テッドは勇気を振り絞って続けた。


「最初から何もしないであきらめているんじゃないですか! だから畑もだめになるんですよ! それでも大人ですか? 見損ないました!」


 制止する母の声も聞こえなかった。

 一気に言ってしまうと、肩で息をしながらテッドはその場にいる大人達をぐるりと見回した。

 しばし、張り詰めた空気が流れていく。

 それを断ち切ったのは、意外にも大人の方だった。


「そうだ、坊主の言う通りだ。俺達はこの土地がなければ生きていけない」


「今まで生きてこられたのは、土地のおかげだ。伯爵様は何もしちゃくれない」


 さざ波は次第にうねりを増した。

 一度熱せられた人々の感情は、あっという間に沸点を超えた。

 異常とも言える熱気がその場を支配する。

 口々に彼らは打倒イング隊を叫びながら拳を上げる。

 もはや正気を失った人々の群を、テッドは一人おびえた瞳で見つめていた。

 大変なことをしてしまった。

 怒りに任せて言ってしまった言葉が、とんでもない事態を引き起こしてしまった。

 だが、後悔してももう遅い。

 すでに人々の感情は、ある方向へ転がっていた。

 そう、不敗の軍神と称されるロンドベルト率いるイング隊と戦う、という方向に。

 イング隊からもたらされた恭順を促す書状が、炎にくべられあっという間に燃え尽きた。

 ガロア万歳、大地に感謝。そんな言葉を人々は口々に叫ぶ。

 緊張の糸が切れて、テッドはへなへなと座り込む。

 いつしかその頬は涙に濡れていた。


     ※


 村からもたらされた返信を手にして、ロンドベルトはわずかに唇の端を上げた。

 予想に反してそれは、恭順の呼びかけを拒否し断固として戦う旨の意思表示だった。

 光を写さぬ瞳でそれを一瞥するなり、ロンドベルトは脇に控える参謀にそれを渡す。

 途端に赤くなっていくその顔を視界にとらえ、死神はさらに笑った。


「なかなか気骨がある御仁がいるようだな、あの村には。寒村と侮ると、存外痛い目に遭うかもしれない」


「どういうことでしょうか?」


 そういう参謀の手の中で、書状はぐしゃぐしゃに握り潰されていた。

 皮肉な笑みを浮かべながら、ロンドベルトはその手元を指差す。


「その答は、すでに察しているのではないか?」


「では……」


「その通り。逆らう者は握りつぶす。エドナから下された命令に従うまでだ。残念ながら」


 これは自分の本意ではないが。

 そう付け加えてからロンドベルトは席を立つ。

 そして振り向き様、その場にいる人々に向かいこう言った。


「だが、戦う以上礼を欠いてはならない。正規の手順にのっとって宣戦布告の使者を立てろ。そして、戦場では手を抜くな。丁重にひねり潰してさしあげろ」


 そう言う顔にはぞっとするような笑みが浮かんでいる。

 凍りついたように固まる人々に黒玻璃の瞳を投げかけると、ロンドベルトは開戦の書状をしたためるべくその場を後にした。

 本陣から自らの天幕へ向かうそのわずかな時間、ロンドベルトはその心境を持て余していた。

 まず、圧倒的な力に対して健気に抵抗しようとした村人に対して敬意を持った。

 次に自分に向かって何ら進言しようとしない配下の者達に侮蔑の念を抱いた。

 果たしていつからこんなになってしまったのだろうか。

 周囲の人々が皆、彼の顔色をうかがい唯々諾々として命令に従う。

 たとえそれが誰の目から見ても誤っているとしても、正そうとはしない。

 大きくため息をつくと、ロンドベルトは自らの天幕の入口の布を跳ね上げ中に入るなり勢いに任せて座り込んだ。

 争いのない世界を創る。

 無為に命を奪われた父と母に報いるために。

 けれど、どうだろう。

 いつの間にか自分が戦の中心にいる。

 まるで争いを呼び寄せているかのように。

 その考えを振り落とすかのようにロンドベルトは頭を揺らし、来たるべき戦に意識を集中した。

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