─21─決断

 夕闇の中、荒れ果てた休息所は暖かな焚き火の炎に照らされていた。

 浮かび上がるのは、二人の男と一匹の黒猫である。

 ころん、と丸まる毛糸玉の姿を眺めやりながら、シエルはまるで他人ごとのように問うた。


「で、一体何が起きているんだ?」


 一方面白くなさそうに火をかきまわしながら、ペドロは礼儀正しくかつどこか突き放したように答える。


「なかなか厄介ですよ。陛下直々にあなたへの手配書が出ています。早い話が賞金首ですね」


「やれやれ、嫌われたな。それでわざわざ知らせに?」


「いえ、あなたが妙な手紙を書いたりするからです。あんなことを言わなければ、殿下も暖かく見守ってくれたでしょうに」


「ずいぶんな言い方だな」


「そのくらい言わないと、あなたは聞いてくれないでしょう? 違いますか?」


 だが、ペドロの言うことは図星だったのだろう、シエルは返す言葉もない。

 無言のままシエルは鞄の中からガロアの村で手に入れたパンを取り出す。

 と、毛糸玉ぴくんと頭を上げた。

 そちらに笑ってみせてから、シエルはペドロに向かい、お前も食うかとでも言うようにそれを掲げた。

 けれど、ペドロは無言で首を左右に振り、さらに続ける。


「いえ、遠慮します。……蒼の隊はあれ以降、ロンダート卿の配下に置かれました。殿下の独断ですので、反発する者も少なくありませんが」


「元々寄せ集め部隊だ。今更どうなっても構わないだろ?」


 素っ気ない言葉に、ペドロはやれやれと肩をすくめる。


「無責任ですね。皆あなたに命を預けていたのに。あなたはいとも簡単にそれを投げ出す」


「俺にはそれだけの器はないし、資格もない」


「決めるのは、彼らです。あなたではない。違いますか?」


 探るようなペドロの視線を意に介することなく、シエルはパンと干し肉を切り分けていた。

 果たしてその声が届いているかは定かではないが、ペドロは言葉を継ぐ。


「いかんせんあの方ロンダート卿は、人柄は申し分ないが経験がない。加えて残念ながらその能力が開花するまでの猶予がない」


「誰だって最初から歴戦の猛者というわけじゃない。俺の初陣の時、誰も勝つなんて思っていなかったじゃないか」


「あなたと私以外は」


 ペドロの合いの手に、シエルはくすりと笑った。

 驚いたように細い目を見開くペドロ。

 決まり悪そうにそっぽを向くシエル向かい、ペドロはおもむろに話題を変える。


「ややこしいのは、ルウツだけではありません。エドナにもきな臭い動きがあるようで」


 エドナにも、と言うように首をかしげるシエル。

 一方ペドロは炎をかきまわしながら低い声で続けた。


「定かではありませんが、死神が動いているようです。あなたを探す道すがら、エドナからの巡礼者が口々に言ってましたよ。黒い旗印を見た、と」


 黒い旗印を知らぬ者はいない。

 死神と恐れられるロンドベルト・トーループ率いるイング隊を象徴する物である。

 ザハドの戦に姿を見せてから以後身を潜めていたその隊が、なぜ今になって動き出したのだろうか。

 わずかに眉根を寄せるシエルに向かい、ペドロは淡々と続ける。


「休戦中とは言っても、ご存知の通り明文化されてはいませんので、一騒動起こされたとしても、何ら文句は言えません。あなたの身の安全のためにも、私と一緒に皇都へ戻ってください」


 両者の間に沈黙が流れる。

 そんな人間達の顔を代わる代わる見つめてから、毛糸玉は一声にゃあと鳴いた。

 けれど、シエルは虚空を見つめたまま低い声でつぶやく。


「俺は……俺はまだ戻れない。まだ……」


「悠長に旧道を歩いているからですよ。死神が動く前に戻ると言ったのは、どこのどなたです? エドナが条約にもなっていない慣例を守るとでも思ったのですか?」


 すりよってくる毛糸玉の背をなでながら、シエルはペドロの言葉を聞いている。

 ここが落としどころだ。

 そう理解したペドロはその姿を見据えながら、厳しい口調で続ける。


「一刻も早く戻ってください。いくらあなたでも、いつどこから何人襲ってくるかわからない中へ突っ込むのは、無謀以外の何物でもないでしょう。ですから……」


「俺は、聖地へ……」


「だから無理だと言っているんです。今ならまだ間に合います。私も同行しますので……」


 鋭い視線を向けられて、珍しくシエルは押し黙る。

 その足元では毛糸玉が転がっている。

 ペドロの必死の説得は、さらに続く。


「あなたの存在は、もうあなた一人でどうこうすることはできないんですよ。『無紋の勇者シーリアス・マルケノフ』の名は、国を越え一人歩きをしています。殿下に猊下、蒼の隊の面々にロンダート卿、そして私の思いをあなたは踏みにじるつもりですか?」


 それはまさに、心の奥底から発せられる叫びだった。

 果たして今まで一人で生きてきたと自負するシエルにとって、そんな言葉を投げかけられたことはあっただろうか。

 毛糸玉の背をなでながら、シエルは低く、だがしっかりとした語調で言った。


「……わかった。明日、日が昇ったら引き返す。不本意だが……」


 ようやくペドロの顔に安堵の色が浮かぶ。

 決まり悪そうにセピアの髪をかきあげるシエルに対し、ペドロは臆することなくずけずけと言う。


「どうしました? 退く勇気も生き抜くには必須ですよ?」


 微笑むペドロ。

 ふてくされるように視線をそらすと、シエルは中断していた食事の準備を再開する。

 そんな彼らを包み込むように、夜は静かにふけていった。

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