─12─出会い

 彼は迷っていた。

 このままここで野宿をするか。

 もしくは無理をしてでも次の町まで足を進めるか。


 折しも季節は初冬。

 先程から降り始めた細かい雨が氷混じりになるのは、時間の問題と言っても良いだろう。

 日はまだようやく傾いた頃。

 今から急げば、彼の足ならば日没までに次の宿場にたどり着けるのはまちがいない。

 ただし、このまま天候が荒れなければ。

 神官の中には、天候の変化を読み解くことができる者がいるのだが、あいにく彼にはそのような能力は備わっていなかった。

 いや正確に言えば、彼はその手の経典を読むには読んだ。

 けれど、ほとんど興味を示さなかったので、身につかなかったのである。

 一つため息をついてから、彼は周囲を見回す。

 大陸を貫く聖地への巡礼街道とはいえ、厳しい季節である。

 長らく続く戦乱も手伝ってか、俗世と聖地とをつなぐこの道に、彼以外の人影はまったく見当たらない。

 疲れた頭で物事を考えても、良い考えが浮かぶはずがない。

 そう思い直してから、彼はとりあえず身体を休める場所を探した。


 二つの大国による終わりの見えない争いは、人々の心さえも荒んだ物にしてしまったらしい。

 ようやくみつけた街道の脇に設けられた休息所はひどく荒れ果てており、壁や屋根は所々剥がれ落ちていた。

 しかし、背に腹は変えられない。

 彼は廃墟と化した休息所に足を踏み入れ、肩にかけていた荷物を下ろす。

 目深にかぶっていたフードを外すと、濡れて額に貼り付いた長い前髪をかき揚げる。

 そして、ガラスのはまっていない窓から、雲が垂れこめている上空を見やる。

 相変わらず、雨が止む気配は無い。

 いや、むしろその勢いを増しているようでもあった。

 どこまでも続く鈍色にびいろの空を見る限り、冷たい雨はこのまましばらく降り続くであろうことは素人目に見ても明らかだ。

 ならば、無理をして危険をおかすより、ここに留まり様子を見た方が良いだろう。

 ふと浮かんだその考えに、彼は思わず苦笑を浮かべる。

 なぜなら、その判断は子どもの頃から長らく積んでいた神官の修練からではなく、成人してからの武官としての経験から導き出された物だったからである。

 三年弱の軍隊生活が、いつの間にか自らの中に深く根付いてしまったのか。

 今さらながら気付いたその事実に、彼は笑うしかなかった。

 刹那、彼は笑みを収めた。

 それまで空模様を写していた藍色の双眸に、鋭い光が宿る。

  朽ち果てた休息所の中で、自分以外の何かが動く気配がする。

 床が抜け、地面がむき出しになっている一点に、彼の瞳は向けられていた。

 命を狙われるような後ろ暗い心当たりなら、残念ながら数えるほどある。

 彼は腰に差していた短剣に手をかけ、無言のまま身構える。

 沈黙が続くこと、しばし。

 先に動いたのは、相手の方だった。

 がさがさという枯草が揺れる音。

 同時に柱の影から姿を表したのは、一匹の黒い仔猫だった。

 ぼさぼさの毛を逆立てて威嚇してくる金色の瞳に、彼の表情はふっとゆるんだ。


「……悪いな、邪魔して。けど、こんな天気だから、一晩だけ許してくれないか?」


 言いながら彼は再び外を見やった。

 相変わらず冷たい雨は、大地を打ち続けている。

 そう言えば昔、似たようなことがあった気がする。

 そう、あれは確か……。

 が、彼は不意に湧き上がってきた思い出をを打ち消すように頭を揺らした。

 忘れてしまったことを無理に思い出しても、傷口は深くなるだけ、そう考えたからだ。

 果たしてこの雨は、いつ止むのだろうか。

 ぼんやりと考えながら、彼は空を見つめていた。

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