─11─本性

 遠目に見て、楽しげに談笑している男女の姿に、彼女は両の手を固く握りしめた。

 そしてじっとその様子を凝視する。


「何を見ておられるのですか、陛下?」


 薄暗い室内に響く陰鬱な声に、ルウツ皇帝メアリ・ルウツはゆっくりと振り向いた。

 妹姫とよく似た赤茶色の髪は結い上げられ、美しい顔に輝く青緑の瞳は怒りを孕み、ぎらぎらと鋭く光っている。

 思いもかけないその様相に、来訪者である宰相マリス侯は言葉を失った。

 窓際にたたずんでいたメアリは、いささか乱暴に窓にかかった垂れ絹カーテンをひくと、開口一番こう言った。


「まだあの者はみつからないの?」


 その言葉の端々にじみ出ている憤りと怒りを感じ、マリス侯は恐縮したように頭を垂れる。

 半白の頭の上を、怒気を含んだ声が通過していく。


「正当な大陸の統治者。武帝ロジュア・ルウツの子孫。そんなのは所詮、ただの肩書きにすぎないのね。良くわかったわ」


 言いながらメアリは腰をおろし、卓の上に肘を付き両の手を組み、形のよいあごをその上に乗せる。

 そして、宝石のような瞳で上目遣いに宰相を見つめる。


「加えて皇帝の証である印璽すらその手にできない。皇国の実権を握っているというそなたにも、なんの手立てすらない。全体これは、どういうことかしら?」


 辛辣な言葉に、マリス侯はさらに深く頭を下げる。

 そして慎重に言葉を選びながら告げた。


「申し訳の次第もございません。我々も配下を各地に配し、できる限り早急に発見できるよう尽力しております。なれど、陛下……」


 ふと言葉を切り、マリス侯はわずかに頭を上げる。

 美しい皇帝は、予想外のその行動にわずかに首をかしげた。

 そして先を続けるよう促した。


「恐れながら陛下は不可侵の御身。今は千々に乱れておりますが、いずれこの大陸全土を治めるお方です。その陛下がなぜ、印璽はともかくとして、あのような身分の卑しい神官風情を気になさるのですか?」


 瞬間、メアリの瞳の中で光がはぜた。

 同時に白い手袋に覆われたか細い手のひらは、宰相の頬を打ち据えていた。

 赤く腫れ上がる頬に手をやり、宰相は驚いたように皇帝を見つめる。

 あふれ出す激情をもはや隠そうともせず、メアリは立ち上がり堰を切ったように叫んだ。


「そうよ、私は皇帝! すべてを手にする者よ! なのになぜ、私じゃなくてあの子なの? 私はあの子の姉よ? なのにどうして!?」


 皇帝の両の拳は、激しく卓の上に叩きつけられる。


「陛下、いかがなさいました? お心を確かに!」


 が、マリス侯の声はメアリに届かなかった。

 何度も何度も、メアリは卓を叩き続ける。

 そして意味をなさない叫び声を発している。

 自らの内にくすぶる感情を抑えられずにいる皇帝の姿に、宰相は言葉を失う。

 卓の上には涙の雫がこぼれ落ち、いつしか室内には低い笑い声が響く。


「許さない……絶対に許さない……。あの時そなたに命じて助けてあげたのは、私だったのに……。裏切った……。必ず……必ず奪ってやる。後悔させてあげる……絶対に……」


 言い終えると、皇帝は力無く座り込む。

 瞳は虚ろに見開かれ、相変わらず乾いた笑いが続く。

 その様子に尋常ではない物を感じ取り、宰相はあわてて卓の上に置かれた銀の鈴を鳴らす。

 華奢な外見通りの澄んだ音に応じ、別室に控えていた侍女達がすぐさま姿を現す。

 普段と異なる皇帝の様子に、彼女達は等しく驚きの表情を浮かべた。

 務めて落ち着き払った表情で、宰相は告げる。


「陛下はご政務でお疲れのご様子。お下がりいただき、すぐ御殿医に」


 その言葉に侍女達はかしこまりましたと腰を折り、ある者は皇帝を支え、ある者は足早に部屋から走り去る。

 無感動に宰相はその様子を見つめていたが、皇帝の姿が完全に室外へ消えると、深々とため息を付き自らも部屋を後にする。

 しかし、扉の向こう側からは、私が皇帝よ、すべて奪ってやる、という悲鳴にも似た金切り声が漏れ聞こえてくる。

 戸口で控えていた秘書官は、何事かと訝しげな表情を浮かべていたが、宰相の姿を認めるとあわてて姿勢を正し一礼した。

 ちらと視線を向け、機嫌悪そうにつかつかと歩み始めるその背中に向かい、秘書官は声をかけた。


「何やらただ事ではないご様子……。いかがなさいました? 」


 が声をかけられてもなお、宰相は振り向こうとはしない。

 再び閣下、と呼びかけふと、ようやくマリス侯は歩む早さを緩めた。

 そして深々とため息をつく。


「陛下も所詮、人間と言う訳か」


「……はあ」


 何を言われているのか理解できず、秘書官は首を傾げる。

 その時ようやくマリス侯は足を止め、肩越しに振り向いた。


「厄介だな。感情という代物に押し流されると、踏みとどまることができない。あとに残るのは、後悔だけか」


 そう言うと、マリス侯は再び歩を進める。

 果たして秘書官は、訳も解らず首をひねるばかりだった。

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