─13─森の中で
凍てついた風に頬を赤く染めながら、少年は森の中を歩いていた。
くすんだくせ毛の金髪は、風に吹かれてふわふわと揺れている。
昼だというのに薄暗い森の中は、彼にとって恐怖の対象でしかなかった。
曲がりくねった枯れ木は、まるで骸骨が地獄から手招きをしているように見える。
けれど彼にはどうしてもこの森で手に入れなければならない物がある。
例え命に代えてでも。
しかしその思いに反して、体は小刻みに震えている。
足を止めては駄目だ。
森に住む魔に喰われる。
いや、それ以前に……。
大木の幹に寄りかかり、彼は大きい息をつく。
かじかんだ手に白い息を吹きかけ、再び足を踏み出そうとする、その時だった。
「こんなところで何をしてる? 早く戻らないと死ぬぞ」
耳慣れぬ男の声に彼は驚いて飛び上がり、その場にうずくまるようにして土下座する。
そして、手に握りしめた草を掲げながら、森中に響くほどの大声で叫んだ。
「ごめんなさい! 勝手に入るのを禁じられているのは知ってます! けれど、どうしても母さんに薬草を……せめておとがめは母さんにこれを飲ませてからに……」
しばし沈黙が流れる。
どうも様子がおかしい。
おそるおそる彼は顔を上げる。
次の瞬間、思わず彼は飛びすさっていた。
先ほどの声の主が、ひざまずいて彼の顔を覗き込んでいたからである。
「な……何ですかっ!? あなたは、一体!」
大木の根元に寄りかかりながら、少年は男に向かい叫ぶ。
そして、その男の様子を注意深く観察した。
毛羽立ったフード付きマントと
けれど、こちらを見つめてくる暗い夜空のような藍色の瞳には聖職者らしからぬ鋭い光が宿っている。
さらに怪しいことに、腰のベルトには鈍く光る短剣を刺していた。
凍りついたように動けない少年に向かい、怪しげな来訪者は答えた。
「何って……見ての通り、聖地を目指す下っ端の神官さ。それよりお前、お母上を殺す気か?」
突然の言葉に少年は数度瞬く。
そして手にしていた『薬草』をまじまじとみつめた。
「まさかそんな! そんなことにならないように、デマムの粉を……」
「粉にするなら、最低二、三日干さないと駄目だろ? 第一それはデマムじゃないし」
「え……?」
「よく見ろ。根元が赤いだろ? 毒草のプアゾだ。葉が似てるから、聞きかじった慣れない馬鹿がよく間違える」
馬鹿、という一言に少年はむっとしたように神官を睨みつける。
それをまったく意に介することなく神官は立ち上がり、服についた土埃をはたいた。
「じゃ、行くか。案内してくれないか?」
何を言われているのか解らずに少年は再び瞬く。
そんな彼の様子に、神官はやれやれと言うように小さく吐息をもらした。
「デマムが必要なんだろ? 多少の余分がある」
その言葉に、少年は勢い良く立ち上がる。
その顔には数日ぶりの笑みが浮かんでいた。
「助けてくれるんですか? でも、なんで……」
「逆恨みされたくないからさ。下手に関わった分、後味も悪い」
「……はあ……」
言葉も無く立ち尽くす少年。
が、足元に違和感を覚え、おそるおそる視線を落とす。
と、そこには真っ黒い毛糸の固まりが転がっている。
小さく悲鳴を上げて尻餅をつく少年に、神官は意地悪く笑った。
「ただの猫じゃないか。弱虫の坊主だな」
「待ってください! さっきから馬鹿とか弱虫とか坊主とか! 僕にはちゃんとテッドという名前があります!」
そして少年……テッドは薄い水色の瞳で、ぎっと神官を睨みつける。
視線がぶつかった刹那、神官の藍色の瞳に初めて穏やかな光が浮かぶ。
やれやれとでも言うように苦笑いを浮かべると、神官はフードを下ろし、こぼれ落ちてきた癖のないセピア色の髪をかきあげる。
セピアの髪に、藍色の瞳。
その容姿はどこかで聞いた気がする。そう、あれは確か……。
「悪かったな。ならテッド、お母上の所へ……」
「あなたは何て名前なんですか? 僕だけ名乗ったのに、不公平です」
尋ねるテッドの声は、わずかに震えていた。
もしかして、大陸に名を馳せている生ける伝説が、目の前にいるかもしれない。
かすかな期待を抱くテッドに、神官はややあってから答えた。
「シエル。シエル・アルトールだ。それは“毛糸玉”。どうやらお前が気に入ったようだな」
予想とは違うながらも、どこか不思議な響きを持つその名前をテッドは口の中で転がした。
その足にじゃれついてくる毛糸玉の感触が、彼を現実に引き戻す。
「ごめんなさい、こっちです。お願いします」
二人と一匹は暗い森を抜け、村へと歩み始めた。
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