─4─追求

 質実剛健が軍隊の本分であるにも関わらず、軍務省の名を冠された建物の床という床には毛足の長い絨毯じゅうたんが敷きつめられていた。

 幼い頃の思い出そのままの風景に、ロンドベルトはわずかに眉根を寄せる。


 生まれ育った田舎の村から首都に連れてこられた彼は、父親に手を引かれて毎日のようにここへ通っていた。

 その理由は、他でもない。

 光を映さぬにも関わらず物を見ることができるという彼の力を軍事に利用するためである。

 訓練の結果その力はいびつに発達し、彼はエドナ国内はおろか国境を飛び越えて異国の地を見渡すことができるようになった。

 そして、ある日彼はついに見てしまったのである。

 平和な日常に振り下ろされた粛正という名の刃を。


 深紅に染まった板張りの床。

 そこに倒れ付す男と女。

 無数の白刃を向けられ、立ち尽くす一人の少年。


 激痛にも似たその光景は、ルウツに潜入している間者の『草刈り』の瞬間だった。

 その日以降、ロンドベルトの『目』は国境の向こう側を見ることができなくなった。

 けれど、ひと度国の機密に触れてしまった彼がそう簡単に野に解き放たれる訳もなく、結果現在に至っている。

 こんなふうに彼の運命を狂わせたのは、他でもなく……。


「これは将軍。お疲れのところ、わざわざのお運び痛みいる」


 背後からかけられた慇懃な声に、ロンドベルトはわざとらしく身体ごと振り返る。

 陰湿な視線を投げかけてくるのは、内務大臣。

 ロンドベルトが訓練を受けていた当時の情報大臣その人だった。

 その支配力が軍部が掌握する情報からエドナ全土の内政に広がったのだ、大出世と言って良いだろう。

 積もる話なら、それこそ山ほどある。

 しかも十割が恨み言だ。

 ロンドベルトは表情を見せぬように無言で一礼する。

 その思惑通り、肩まである真っ直ぐな黒髪がこぼれ落ち、その顔を隠す。

 その行動をどう取ったか定かではないが、大臣は一つうなずく。

 もちろん大臣はロンドベルトの目の秘密を知っているので、自らの一挙手一投足が見られているのを理解している上での行動だろう。

 ロンドベルトが再び顔を上げるのを待って、おもむろに大臣は口を開いた。


「まだ大公殿下はお着きになっていないのでな。少し時間、よろしいかな?」


 そう切り出されて、ロンドベルトは思わず首をかしげる。

 彼が知る限り、この大臣は権力の亡者だ。

 危うい立場にある彼と関わりを持つ必然性が、まったく思い当たらないからだ。


「さて……。一体どういう風の吹き回しでしょう。友軍を見殺しにした敗軍の将に……」


 例のごとく皮肉に満ちた言い回しである。

 だが、内務大臣はじっとロンドベルトを見つめたまま、おもむろに口を開いた。


「貴官は一体、何を見ている?」


 投げかけられた問いに、ロンドベルトは黒玻璃の瞳を細め、形の良い眉をひそめた。

 先ほどの少年の言葉とほぼ同じ問いかけ。

 けれどそれが持つ意味合いは、まったく異なっているのは明らかだった。

 大臣はじっとロンドベルトを見つめ、表情を動かすことなく返答を待っている。


「これはまた異なことを……。私の目が節穴にすぎないことを誰よりもご存知なのは、大臣閣下、貴方ではありませんか?」


「その見えぬ目で、一体何をみているのか。それを聞いている」


 注がれる鋭い視線に、ロンドベルトは含み笑いで応じた。

 いや正確に言えば、そうするしか答える術を持たなかったのである。

 しびれを切らした大臣がさらに言葉を投げかけようとした、まさにその時だった。


「大公殿下がお着きになります。お出迎えを……」


 衛兵の声が、不意に両者の間に割って入った。

 ロンドベルトは内心安堵の息を付き、一方の大臣は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「命拾いしたな。果たしてその幸運がいつまで続くことか見物だな」


 言いながら大臣は大股に歩き始める。

 確かにその通り、今日その幸運が終わるかもしれない。

 そう思いながらロンドベルトは去りゆく内務大臣の背に向かい無言で一礼し、踵を返すと謁見の間へと向かった。

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