─5─大公

 ひざまずき見上げる視線の先には、緋色の十字が染め抜かれた旗が掲げられている。

 そして、その下にはマケーネ大公ファーディナントがいる。

 先の大公が急死したのに伴い急遽即位したその人は、まだ若い。

 年の頃はロンドベルトと一つ二つ違いというところだろう。


 どうやら運命の女神とやらは、えこひいきをしたようだ。


 苦笑を浮かべかけて、ロンドベルトはあわてて頭を垂れる。

 これ以上いらぬ嫌疑をかけられても厄介だと判断したからだ。

 が、大公はそれを意に介さず、単刀直入にロンドベルトに問いかけた。


「多忙なところ、足止めして申し訳ない。が、一つ直接聞いておきたいと思ったのだ」


 さらに深くロンドベルトは頭を下げる。

 けれどその脳裏には、こちらを見つめている大公の姿が映し出されていた。

 浮かび上がる大公は、鷹揚な口調で続ける。


「内務大臣に聞くところによると、将軍は見えざる瞳であらゆる物を見通しているというが、それは事実か?」


「……と、申しますと?」


 手の内をここで明かすのは、この場合有利が不利か。


 計りかねて、ロンドベルトは姿勢を崩さずに答える。

 その様子に、大公はおもしろくて仕方がないとでも言うかのように笑った。


「言葉の通りだ。そなたの目は、光を持たない。なれど見えざる者の慈悲であらゆる物を見ることができる、と。それは事実か?」


「あいにく、見えざる者は信じておりませぬゆえ……」


「では、私のことも信じていない。そう申すか?」


「ご冗談を……」


 が、大公の目は笑ってはいなかった。

 どうやら大臣はすべてを大公に告げたようだ。

 とすると、これ以上の言い逃れは不要。

 そう判断して、ロンドベルトは黒玻璃の瞳を大公に向けた。


「……失礼いたしました。おっしゃる通り、この目は飾り物にすぎません。ですが、殿下のお姿と緋色の十字は、しっかりとこの脳裏に焼き付いております」


 そうか、と一つうなずくと、大公は肘掛けに頬杖をつく。

 同時に目の前に控える『黒衣の死神』を、頭の先からつま先まで眺めやる。

 黒い髪に、黒い瞳。

 マントはもちろん甲冑に至るまで黒一色のその出で立ちは、まるで闇を切り取ってきたかのような不気味な圧力を見る者に与える。


 しかし、そこにはロンドベルトのある思いが込められていた。

 他でもない。それは……。


「そなたは、母君を早くに亡くしたとか?」


 何気ない一言に、ロンドベルトは強い不快感を覚えた。

 確かに大公にとっては他人事だろう。

 が、未だ癒されぬその痛みと悲しみを、彼はその胸のうちに秘めていた。

 消えることない服喪の念、それこそがこの黒衣の理由だった。

 けれど、それを大公に語ってやったところで、理解させることはできないだろう。

 憤りにも似たその表情をうつむき髪で隠しながら、努めて平板な声で答えた。


「は。ですが、しがらみがない分、殿下とエドナのために働ける。そう自負しております」


「守るべき存在を持たぬそなたがエドナを守るため働く、か。なかなかどうして、面白いことを言うな」


 なるほど、とロンドベルトは思った。

 大公の椅子という玩具を手に入れたこの若者は、それなりの理性と打算を兼ね備えている。

 果たしてどれほどの器を持つのかわからぬ現段階では、油断はできない。

 そう判断したロンドベルトは、慎重に言葉を選びながら答えた。


「ですが、初めから持っていなかったわけではございません。失った痛みを知るからこそ、同じ痛みを他者に感じてほしくはない。だからこそ、戦える。そう理解しております」


 なるほど、と言いながら大公は足を組み直した。

 その顔にわずかに笑みをうかべ、おもむろにこう切り出した。


「我々は似ている。そうは思わぬか?」


 質問の真意をはかりかねて、ロンドベルトは一瞬その身を硬くする。

 年齢にそぐわぬ大公のくぐもった笑い声が、その脇をすり抜け室内に響いた。


「さて……このような凡将に向かい、一体何をおっしゃいますか?」


 すいとロンドベルトは顔を上げた。

 大公の深い泉のような青い双眸が、彼に向けられている。

 その奥に陰を落とすのは、どす黒い意志だった。

 若くして登りつめるところまで登ったにも関わらず、未だ満たされぬ暗い欲望が渦巻いている。

 飽くことのない欲求、それはまるで……。


「そなたは一体、見えぬその瞳で何を見ている? 」


 まるで探り出すような視線を向けられて、ロンドベルトは反射的に再び頭を垂れた。

 が、そんな彼の耳に、大公の小さな舌打ちが飛び込んできた。


「答えよ! その目は何を見ているのか!?」


 大公の語調がやや荒くなる。

 が、ロンドベルトは微動だにしない。

 ぴんと張りつめた空気が、室内に流れる。

 静まり返った中、大公が指先で肘掛けを叩く不規則な音が響く。

 生きるも死ぬも、自分の返答次第だ。

 黒玻璃の瞳は、虚空を見つめるかのように空間の一点に固定されていた。

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