夜想曲
─1─檻の中
深淵の闇の中、彼は揺らめくランプの炎を見つめていた。
いや正確に言うと見えてはいないのだが、彼の脳裏には仄かなその光が確かに映し出されている。
彼の黒玻璃の瞳は、生まれつき光を持たない。
けれど、持って生まれた司祭に匹敵するその『力』が、あらゆる物を見ることを可能にしていた。
目の前にあるランプの炎はもちろんのこと、果ては混乱する戦場の隅々まで。
その不思議な能力で敵からも味方からも恐れられている彼は、だが今は少々不機嫌だった。
なぜなら戦から無事帰還し首都へ報告に訪れるなり、軟禁に近い状況に置かれてしまったのだから。
静けさの中、扉を叩く音が響く。
室内に入ってきたのは、まだ年若い女性だった。
彼と同様、黒衣に身を包んだ彼女の手には、一枚の紙が握られている。
「騒ぎの原因は、解ったかな?」
面白がっているようなその声に、女性は一つうなずいた。
「どうやら街に、敵国の間者が潜り込んでいたようです。……残念ながら尋問中に自死したのですが、こんな物を」
差し出されたそれを手に取ると、彼はわずかに目を細める。
同時に、鮮明な画像が彼の脳裏に広がった。
他でもない、それは敵国の都からもたらされた手配書だった。
「どこからこれを?」
問いかけられて、女性はきまり悪そうに視線をそらした。
「お人の悪い……。同士はあらゆる所におりますので」
なるほど、と答えてから彼はもたらされた手配書の上に手をかざす。
それが光を持たない彼の物を『視る』時の仕草だった。
そこに記されている文字を追うこと、しばし。
すべてを読み切った後、彼は唇の端をわずかに上げた。
「皇帝直々のお尋ね者か。権力者という御仁は、時折おもしろいことをするな。国は違えど、そればかりは変わらないというところか」
声を立てて笑う男。
が、不安げに向けられる女性の視線に気が付いたのか、すぐにそれをおさめる。
そして、卓の上に行儀悪く両の肘を付き、組んだ指の上に顎を乗せた。
「ところで、両大公殿下のご機嫌はいかがかな? そろそろ任地へ戻る許可を出していただきたいのだが」
何気ない口調で投げかけられたその言葉に、女性は端正な顔に沈んだ表情を浮かべ、首を左右に振る。
短いとび色の髪が揺れた。
「今のところ、まだ……。こちらも色々、動いてはいるのですが……」
「やれやれ。勝ち戦を収めてこの仕打ちか。
「閣下!」
誰のせいでこんな事になったと思っているんですか。
そう言わんばかりの鋭い女性の声に、彼はようやく口を閉ざす。
そのまま彼は女性の上気した顔を観察していたが、ややあって意味ありげな表情を浮かべた。
「もっとも今さら恨む理由が増えたところで、痛くもかゆくもないが。まあ、気長に待つとしよう」
貴官には苦労をかけてすまないな、と言う男に、女性は再び首を振る。
「いえ。私達がこの国から受けた仕打ちに比べれば、たいしたことではありません」
その様子に、男は低く笑う。
女性は一つため息をついたあと、おもむろに男に向き直り、静かな口調でこう言った。
「明朝、私は一足早く任地に帰還しますが、くれぐれも短気だけは起こされませんよう」
「わかった。できるだけ努力してみよう」
果たしてその言葉が信用に値しないのは、彼女が一番良く知っている。
あきらめたようにもう一度吐息を漏らすと、女性は一礼し部屋を出ていった。
ランプの炎は、静かに揺れていた。
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