─2─孤児院

 室内に入ると同時に、ボクらは子ども達に取り囲まれた。

 ボクと同様ずぶ濡れになった少年は、無言でボクを子ども達に押し付けると、少し機嫌悪そうにどこかへと歩み去っていく。


 どういうつもりなんだよ。


 ボクは抗議の声を上げる。

 それが届かなかったのか、聞こえないふりをしているのか、彼は振り返ることは無い。

 子どもに取り囲まれたら、後は予想通り。

 広間に連れてこられたボクは、子ども達に撫でられまくった。

 その間、ボクは自分を取り囲む人間達を観察する。

 さっきの女の子は、彼を『お兄ちゃん』と呼んでいたけれど、全然似ていない。

 歳も、見かけもそれぞれの子ども達。

 一体ここは、何なのだろうか。

 『家族』という訳ではなさそうだ。

 そうこうするうちに、先ほどの『導師さま』がやってきた。

 少し困ったような笑みを浮かべて。


「さあさあ、食事の時間よ。手をよく洗って、食堂へいきなさい」


 優しい声に、子ども達は口々に返事をしながらボクの前から去っていく。

 少し暗い室内に取り残されたボクは、小さく伸びをすると、ボサボサになってしまった体を丁寧に舐め始めた。

 未だ腑に落ちないボクの目の前で、扉は音もなく開いた。

 とっさに毛繕いをやめ、顔を上げる。

 そこに立っていたのは、あの少年だった。

 けれど、街で会った時とは違って生成りのくるぶし丈の服を着ている。

 首をかしげるボクの前に彼は座ると、何やら手に持っていた包みを床の上に広げた。


「こんな物だけど、食えるか?」


 どうやら彼は、自分の食事を残して持ってきたらしい。

 ボクにとっては、これ以上ないごちそうだ。

 おとなしく食べ始めたボクを見ながら、彼はわずかに笑った。


「ここは、『孤児院』って言って……ここにいる子どもは、みんな一人なんだ」


 そんなボクを見つめながら、彼は静かに切り出した。

 一瞬ボクは食べるのをやめて、彼の顔を見上げた。


「導師さまがここのみんなの『母さん』なんだ。君もさっき、見ただろ?」


 そうなのか。

 だからみんな、全然似ていないのか。


 納得して、ボクは再び食べ始める。

 けれど、彼の言葉は、更に続く。


「本当に親の顔を知らなければ、それを受け入れることができるんだろうけど……。俺の父さんと母さんは、もうどこにもいないから……」


 だから、初めて会った時、彼は一人ぼっちだと言ったんだな。


 すでに包みの中身は、あらかたボクのお腹の中におさまっていた。

 その食べっぷりに、彼は少し驚いたような表情を浮かべていた。


 けれど、そのずるずると引きずるような服は何なのさ。


 ボクは小さく鳴いて、彼の足に体をすり付けた。

 彼の手が優しくボクの背中を撫でる。


「似合わないだろ? こんな格好。でも、これでも一応修士だから、嫌だけど着ないわけにはいかないんだ」


 修士?


 聞き慣れない言葉に、ボクは首をかしげた。

 街の時とは違って暖かい手が、ボクの頭を撫でた。


「一番下の神官。それが修士。修士の上が導師で、その上が司祭。で、一番上が大司祭」


 そうなのか、初めて知った。


 でも、君はまだ子どもなのに神官なの? それって、すごい事なんじゃないの?


 再び首をかしげるボクに、彼はわずかに苦笑いを浮かべていた。


「仕方ないのさ。俺は許されない事をしてしまったから……。こうしなきゃ、生きていく訳にはいかないんだ」


 言いながら彼は、今度は腰にさしていた短剣を撫でる。


 訳が解らないよ。


 ボクの鳴き声に、彼は笑う。

 その笑顔はやっぱり、どこか寂しげで、今にも泣き出しそうに見えた。


 泣くなよ。君も男だろ?


 再び彼にボクはすり付けた。

 が、彼は無駄のない動作で立ち上がる。

 気が付けばボクは彼の腕の中へおさまっていた。


「今日は冷たかっただろ? 暖かい場所で、寝よう」


 そう言う彼に、ボクは小さく鳴いた。


 そこは、ボクにとっては、まるで天国のような所だった。

 雨露がしのげるだけでもありがたい生活だったのに、『寝台』なんていう柔らかい寝床まである。

 とてとて、と走り出し、脇目もふらずにそこへダイビングしたボクを見て、彼は声をたてて笑った。


 そういえば、笑う声を聞くのは、初めてだったかな?


 そんなことを考えながら、ボクは彼を見つめる。

 ボクの視線を背に受けて、彼は燭台の炎を一つずつ消していく。

 あっという間に漆黒に包まれた部屋の中に、テーブルに置かれたランプの炎だけがぼんやりと浮かび上がる。

 薄暗がりの中にたたずむ彼は、やはりどこか寂しげだった。


 どうしたんだよ。


 一声ボクは鳴く。

 けれど、返事はなかった。

 代わりにごそごそと何やら音がする。

 どうやら彼は着替えているようだった。

 でも、何でわざわざ明かりを落としてから?


 首をかしげるボクをよそに、寝台の上に腰かけた彼はボクの喉を優しく撫でた。


「君は、良いな。とても自由で……」


 言いながら彼は一つため息をつく。

 こちらを見つめる彼の瞳は、やっぱりどこか寂しげで、泣き出しそうだった。

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