名も無き星達は今日も輝く【完結済み】
内藤晴人
第一部
蒼い涙
─1─出会い
突然降りだした激しい雨に、ボクはあわてて商店の軒先に駆け込んだ。
ふるふると身震いして水を払い落とすと、ボクは丁寧に毛繕いを始めた。
いつからこの街にいたのかなんて、覚えていない。
物心ついた頃には、ネズミや鳥を狩ったり、ゴミ箱をあさったりして毎日を食いつないできた。
時には魚屋の商品に手を出して、店の主人にどやされることもあるけれど、街の人々は比較的ボクらには友好的だった。
そう、ボクは野良猫。
帰る場所のない根なし草。
さて、今日は一体どこで雨露をしのごうか。
相変わらず降り続ける雨を眺めながら、ボクは思案し首をかしげる。
ちょうどその時だった。
前触れもなく、ボクが居座る軒先に、一人の少年が駆け込んできた。
どのくらい走ってきたのだろうか、頭の先から爪先までびっしょりと濡れた少年は、まるでボクらのようにぶるぶると頭をふる。
同時にせっかく乾きかけたボクの体に、飛沫が飛んできた。
いい迷惑だ。
そう伝えるため、ボクは一声鳴いた。
それでようやく少年は、ボクの存在に気が付いたらしい。
そしてボクも、その時初めて彼の顔を真正面から見ることができた。
歳の頃は十二、三くらいだろうか、どちらかと言えば小柄な少年は、その夜空の色をした瞳でまじまじとボクを見つめてくる。
何か、文句でもある?
ボクは再び鳴いた。
瞬間、何の前触れも無く、少年はしゃがみこみ、ボクと視線を合わせてきた。
彼の濡れたセピア色の髪から、水滴がボクにこぼれ落ちてくる。
だから、迷惑なんだってば。
その場から離れようとした時、ボクの耳に、彼の声が飛び込んできた。
「……君も、一人なの?」
その声に、ボクは立ち上がるのをやめた。
そして、改めて彼を見やる。
質素ではあるが清潔な服を着ているので、『宿無し子』ではないだろう。
腰には何故か、年齢にはそぐわない短剣を差している。
けれど、それ以上に違和感を感じたのは、彼の『声』だった。
抑揚がなく、一本調子の……そう、感情が無い声。
首をかしげるボクに、彼は手を伸ばしてきた。
濡れて冷えきった手が、ボクの頭を撫でる。
「俺も、一人なんだ」
濡れた手が、頭から背に伸びる。優しく、ゆっくりと。
悪意は無いのは解っているのだけれど、これ以上濡れてしまってはたまったもんじゃない。
一つ抗議の声を上げると、彼は困ったような表情を浮かべ、降り続く雨をみやった。
「……いつまで、降ってるのかな……」
呟くように彼は言う。
でも、こればかりは、ボクに聞かれても解るはずがない。
そのまま街の様子を眺めること、しばし。
足早に走る人々。
行き交う馬車。
けれど、いっこうに雨はやむ気配は無い。
「困ったな……」
言いながら彼は、びしょ濡れの髪をかきあげた。
そして、大きくため息をつくと、改めてボクに向き直った。
すい、と彼の両腕がボクに向かって伸びてきた。
しまった。
そう思った時にはもう遅かった。
ボクは彼の腕の中におさまっていた。
濡れた服がまつわりついて、とても気持ち悪い。
抗議の声をあげようとした時、ボクの視線は彼のそれとぶつかった。
夜空の色をした瞳には、どこか寂しげな光が浮かんでいる。
「少し走るけど、我慢しろよ」
そう言うと、彼は軒先から走り出した。
やや激しさを増した雨が、ボクらを打つ。
彼はどこへ行くんだろうか。
ボクはそんな事を思いながら、おとなしく身をゆだねていた。
彼の腕の中で揺られること、十分くらい。
目の前には、高い塀と、こんもりとした緑が現れた。
ボクの記憶が正しければ、確かそこは『宮殿』と呼ばれる場所。
この国の偉い人が住んでいる場所のはずだ。
彼はその裏門から中に入り、慣れたようにその中を駆け抜ける。
朝、昼、夜、と一日三回鐘を鳴らす『聖堂』という建物の脇をすり抜けて、彼はその裏側へと回った。
そこには、白い石造りの建物が並んでいる。
何でこんな所に。
首をかしげるボクとは対照的に、彼は一瞬足を止め乱れた呼吸を整えると、まるでボクらのように忍び足で建物に近寄り始めた。
つられてボクも息をひそめる。
と、その時だった。
「導師さまー。お兄ちゃん、帰って来たよー」
ふと、ボクは顔を上げる。
すぐ真上の窓から可愛い女の子の顔がのぞいていた。
同時に彼は、小さく舌打ちをする。
出かけていたことを、知られたくなかったのかな?
ボクは彼の顔を覗きこむ。
すると今度は、若い女性の顔が、窓から現れた。
「まあ、こんなに濡れて……。一体どこに行ってたの?」
とがめるような、だが優しい声に、彼はそっぽを向きながら答えた。
「……墓参り」
短い答に、『導師さま』は困ったように言った。
「とにかく、中に入って体をお拭きなさい。……あら、それは?」
『導師さま』は、ようやくボクの存在に気が付いたらしい。
ボクを抱く彼の手に、一瞬力がこめられる。
「あー、ネコ! お兄ちゃん、どこから連れてきたの?」
先ほどのかわいらしい声が再び響く。
『導師さま』は困ったようにボクと彼の顔を見比べる。
そして、優しい声で続けた。
「面倒は自分で見るのよ。早く入りなさい。風邪をひいてしまうわよ」
ことのほかあっさりと許可がおりたのに、彼は少し驚いたようだった。
が、無言でうなずくと、彼は入り口へ向かって再び走り出す。
その背中に、『導師さま』の声が投げかけられた。
「そうそう、
「解りました」
短く答えると、彼はボクを抱いたまま建物の中へと入った。
ようやく雨から解放されたボクは、小さくくしゃみをした。
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