後編

「確かにそうかもしれないねぇ」


 手を動かしながら言った店主の言葉に、私は頭を殴られたような感情を覚える。

 ふと目から涙が零れ落ちた。

 返答なんか求めていないつもりでいたが、本当は心の底で慰めてほしかったのかもしれない。それなのに自分が言った否定的な言葉に同意するようなことを言われてしまった。今日あったばかりの、しかも自分の夢の中の人に。

 本当に自分はダメなやつなのかもしれない。

 気持ちがどんどんと沈んでくる。


「あぁあぁあぁ、ごめんごめん。言葉の綾だって」


 店主はあたふたしながらお手拭きを差し出してくる。


「これしかなくて申し訳ないけど、まあとりあえず涙でも拭いて」


 私はすみません、と言いながらお手拭きを受け取ると涙を拭う。


「僕が言いたかったのは君が会社にとって要らない人だっていうことじゃなくて、誰かがいなくても大体社会は回るってことだよ」


 私はそう言った店主の方に顔を向ける。

 店主は続ける。


「だって考えてごらん。一個の会社見てみても毎年誰かが退職して誰かが新しく入ってくるじゃん。でも会社は潰れずに続いていくでしょ。当然のことかもしれないけど、要は社会においては誰もが自分の代わりになる人がいるってことだよ。」


 考えればそうかもしれない。誰もが自分の代わりになる人がいる。


「まあ、仕事のやり方とか細かいところを見ればとって代わることなんてできないとも言えるかもしれないけどね。だけど社会とか会社とか大きく見た場合では誰もが自分の代わりがいるんだよ。だから代わりがいるのは君が劣っているからではない」


 その言葉に私は本当に久しぶりに心の底から自分を肯定されたような気がした。

 気づくと涙は止まっていた。


「まあ、一つの考えかもしれないけど、少なくとも僕はそう考えてる。だって、お殿様が死んだだけで潰れちゃう国になんて住みたくないでしょ」


「ふふっ」


 店主の最後の言葉に私は思わず笑ってしまった。冗談を言ったのだろうが、センスが絶妙にずれている。


「僕としては冗談を言ったつもりは無いんだけどなあ」


 なぜか少し困ったように店主はそう言った。


「まあ、元気になってくれたなら何よりだよ。涙も引っ込んだところでお腹を膨らませようか」


 とん、とカウンターにお皿が置かれる。

 カウンターからお皿を取り目の前に置くと、盛られていたのはオムライスだった。

 さっきのワインもそうだが、どうにも居酒屋らしくないものが出される。どちらかというと洋食のお店に出てきそうなメニューである。確かにオムライスは日本発祥の料理ではあるのだが。

 そんなことを考えていると、隣の席の前のカウンターにもお皿が置かれた。

 何だろうと不思議に思っていると、店主がカウンター内から出てこちらに向かってくる。


「僕も夜まだ何も食べてなくてさ。隣で食べてもいいかな?」


 私が頷くと、店主は椅子を引き私の隣に座る。そして、オムライスを食べ始めた。

 それを見た私は自分のお皿に向き直る。出来立てのオムライスからはおいしそうな匂いとともに僅かに湯気が立ち上がる。

 今までは感じなかった空腹感が突如私を襲う。

 私はスプーンを手に取るとオムライスに差し込んだ。すっと抵抗なく切れた黄色の膜の中からは赤色のご飯が現れる。

 私はそれらを掬うと口に運び入れる。

 口の中に僅かな酸味を含んだ甘味が広がる。咀嚼するとご飯に含まれた人参とコーンの甘さが広がる。甘さの奥からはチキンの肉らしくそれでいて油っぽくない旨さが顔をのぞかせている。

 これならいくらでも食べられそうである。

 私が夢中になって食べていると、店主が訪ねてくる。


「さっき聞いた感じだと仕事結構大変そうだけど、お姉さんは転職とかはしないの?」


 口の中のものを飲み込み空にしてから私は答える。


「考えはしたんですけど、お前なんかどこでも雇ってくれねえよ、って先輩に言われちゃって。まあ、すごい仕事の結果も資格も何も持ってないですしね」


 空気を吸うようにまた自己否定が出てしまった。さっき折角店主が励ましてくれたというのに。本当に自分が嫌になる。

 そう思い私の心はまた暗くなってくる。


「お姉さん、ワインとオムライスを食べてどう思った?」


 店主から思いもよらない質問が投げかけられる。

 なぜ今この質問をされたのだろうか。それはわからないが、俯いたまま私は答える。


「えっと、とてもおいしかったです。居酒屋らしくないなあとは思いましたけど…」


 最後ちょっと失礼なことを言ってしまったような気もするが、夢なので問題はない。


「おいしく食べてくれてありがとう」


 店主は嬉しそうにお礼を言うと続ける。


「確かに居酒屋らしくないかもしれないけど、少なくともお姉さんは受け入れてくれたでしょう。それと同じことだよ」


 私は店主の方に顔を向ける。


「もしかしたらお姉さんは他の人よりできないことがあって他の人とは違うのかもしれない。でも、この居酒屋のワインとオムライスをお姉さんが楽しんでくれたように、お姉さんを必要としてくれる所は絶対にあるよ。だって考えてごらん。雇ってくれる場所なんてごまんとあるんだ」


 店主は私の方をしっかりと向く。


「だから大丈夫。お姉さんの居場所はたくさんあるよ」


 お姉さんの居場所はたくさんある。そう言われたとたん私の目から涙が溢れ出した。

 今まで心を圧迫していた他人の言葉が、今日あったばかりのしかも夢の中の人によって取り除かれた気がする。こんなに心が軽くなったのはいつぶりだろうか。

 私は何も言わず差し出された新しいお手拭きを手に取り目を拭うと、目の前の料理を食べ始める。

 軽くなった心とお腹が満たされていく。

 涙はまだ止まらないが気にせず食べ進めた。

 気付くとお皿は空になっていて、涙は止まっていた。


「ごちそうさまでした」


 私を満たしてくれた料理とそれを作ってくれた人に向かってお礼を言う。


「お粗末様でした」


 横に座る店主が言った。その言葉からはとても嬉しそうな気持ちが感じ取れた。

 しばらく水を飲みながらゆっくりしていると、店主も食べ終わったようである。ごちそうさまとの声が聞こえた。


「さあ、お姉さん。あんまり遅くなってもいけないし、そろそろ人の世にお帰り」


 突然の店主の言葉に私は首をかしげる。人の世とは。それにそもそも夢から帰るとはどういう事であろうか。

 とりあえず私は立ち上がると、店主が入り口の方へと案内してくれる。


「ちょっと待っててね」


 そう言い店主は引き戸に付けられた鍵をいじる。


「あれ―、おかしいな。まあ、ずっと使ってなかったし」


 何やら呟きながら鍵をガチャガチャする店主の手元を覗き込み、私は変な引き戸だなと思う。

 一見どこにでもありそうな木製の引き戸ではあるのだが、鍵が二つ付いている。その鍵の一方がこちらから鍵を差し込む形になっているのだ。普通外側に鍵を差し込む側があり、内側には付いていないはずなのだが。

 ずっと現実の様にちゃんとしていたのに、変な部分が出てくると突然夢らしいような気がしてくる。


「おっ、開いた」


 悪戦苦闘の末鍵は開いたらしく、店主が引き戸を開ける。

 そこに広がっていたのは自然でも街並みでもなく、何も見えない暗闇だった。

 さすがに足を踏み入れる気にはならない。

 そう私が渋っていると、店主が強引に背中を押してくる。


「さあさあ、早く帰らないとちゃんと帰れなくなっちゃうよ」


 さっきまでの優しさは何だったんだろうという強引さに私は外に出されてしまった。

 しかし、踏み出した足は地面を捉えることなく、そのまま下に落ちていくような感覚に襲われる。いや、暗闇だから本当に自分が落ちているのか確信は持てないのだけれども。

 幸福な夢だと思っていたのに悪夢で終わるなんて。そう思いながら私はよくわからない状態に身を任せるしかなかった。


「たまにはまた僕のお社を訪ねてくれると嬉しいな」


 そう言う店主の言葉を聞きながら私は意識を失った。











「ちょっと君――」


 どこかで私を呼ぶ声が聞こえるような気がする。


「ちょっと君、大丈夫かい!」


 誰とも知れない声で私は意識を取り戻した。

 目をこすりながら体を起こすと、目の前には狩衣を着た神主らしき人が立っていた。


「昨日飲んで酔いつぶれちゃったのかもしれないけど、こんなところで寝てたら危ないじゃないか」


 そう言われて私は周りを見渡す。

 昨日の夜通り抜けようとした神社の境内。そのお社前の石段に私は座っている。

すみません、そう私が謝ると神主は、気を付けるんだよ、と一言いってからどこかへ行ってしまった。

 やけにはっきりした夢を見ていたようだ。体を確認するが特に目立った怪我はない。お店だけでなく、昨日落ちかけたところもきっと夢だったのだろう。

 辺りはもうすでに明るい。朝だ。そう思い私の意識は突然覚醒する。

 出勤の時間がやばい。

 スマホを手に取り画面を見ると時刻は6時30分を過ぎたところだった。ついでに先輩からの鬼電の記録も目に入る。

 私は慌てて先輩電話をかける。

 呼び出しの音が鳴る中、焦りながら何を言うべきか考える。最初は謝るべきだろう。それから…。

 ふと夢の中の出来事が脳裏に浮かんだ。

 呼び出しの音が鳴りやみ、怒った男性の言葉が飛び出す。


「おい、お前。どういうつもりだ。今何時だと思ってんだ。それに俺の電話を何回も何回も無視しやがっ――」


「先輩、私会社辞めます」


 自分の口からその言葉がするっと出た。

 先輩は意表を突かれたように一瞬黙ったが、我に返りまた怒鳴ってくる。


「はあ!?お前何言ってんだ!」


 私は聞く必要はないとばかりに電話を切った。

 とりあえず会社にはいかなければならない。辞めるにしてもあっちにおいてあるものもあるし、引き継ぎもしなければならないだろう。きっとそこでまた怒られる。


 怖い。


 だけど、何とかなるだろうとも思う。


 だって、私の居場所はあそこではないのだから。


 そう思い私は神社の階段を下り始めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】疲れたあなたに一杯を 蒼鳥 霊 @aodorirei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ