明日、恵比寿南橋で死ぬ。

籾ヶ谷榴萩

明日、恵比寿南橋で死ぬ。

「死ぬならさぁ〜こう、パァ〜っと死んでみたいよね!」


 そう言った彼は、もしかしたらオレに助けを求めていたのかもしれない。



 JR恵比寿駅東口改札を出て右に進むと、長い長い動く歩道がある。気が遠くなるほど長いその通路を出たすぐ先に、下を山手線・埼京線・湘南新宿ラインの三本が通る、短い橋がある。

 恵比寿南橋、どちらかといえば、アメリカ橋という名称の方が知られているかもしれない。


 12月24日、オレと彼は特に理由もなくここを訪れていた。塾の帰り、受験生のくせにクリスマスに浮かれ歩くなと怒られてしまいそうだが、ずっと勉強漬けの日々、一日くらい浮かれたっていいじゃないか、と何を思ったか男二人で目の前がデートスポットのここにわざわざ訪れた。

 高校三年生という生き物はお金がないもので、定期券内で、そこまで騒がしくないところに行こう、となって、行き着いた場所がここだった。幼い頃は、ここから下を走る電車を眺めているのが好きだった。男の子、というものは大抵走るものが好きなものであり、オレも例外ではなかった。どうしてあんなに電車が好きだったのか、今はよく覚えていない。ただ、当時は車両をかっこいいと思いながら見つめていたもので、一歩も動いてやらないというくらい、ここに張り付いていたものだ。


「オレさぁ、ここで死ぬのが憧れなんだよね。憧れ? っていうかさ、世の中のことどうでもよくなって、何かしでかして死んでやりたい! って思ったらさ、ここから飛び込んで、電車に轢かれて死にたいって言うのかな」

「三路線に影響でるからやめろ。何万人帰れなくなると思ってる」

「まあ、そうなんだけどね。だから多分やらないと思うんだよ。おれさ、小心者だから。それにほら、柵も高いし」


 血迷って彼と同じようなことを考える人間は山ほどいるのだろう。そこそこの高さの柵がされてある。されているのだが、頑張って走って高く飛んだら飛び越えてしまうことができるのではないかと、ギリギリ期待させるような高さだ。実際、ここを飛び越えようとするものなら、その前に取り押さえられるのだろう。生憎、ここから200mもないような位置に交番だってある。

 ただ、ある種夢があるのだ。この柵を飛び越えることができたら、命を終えることができるのだ、と期待させてしまうような高さ。ギリギリ飛べそうで、超えられない。ギリギリ手が届かないものに手を伸ばしているような、歯痒さと羨望を抱くような構造。

 受験生、というのは焦る生き物である。1ヶ月後には共通テストだ。特に彼は、ギリギリ得点がたりなさそうなことを気に病んでいた。


「ここを飛び越えて死ぬくらいのさ、勇気があったらなんでもできるんだろうな」

「そんな勇気なんていらないだろ。……なんか、悩んでんのか?」

「悩みなんて受験のことしかないに決まってるでしょ? 本当に死ぬくらいの勇気があるなら、その分死ぬほど勉強した方が効率がいいのにね。馬鹿だなぁ、ほんと」


 彼は、オレンジ色の装飾灯に照らされ、笑っていた。けたけた、と声を出していたけれど、その目は笑っていなかった。きっと、疲れていたのだ。


「死ぬなんて言うなよ」

「誰も言ってないだろ?ここを飛び越えられたらなぁ、って妄想だよ。現実逃避、現実逃避」

「本当に?」

「本当だって。それに、死ぬならもう少し現実的な手段を選ぶよ。こんなところで死んだら、駅員さんにも運転士さんにも、サラリーマンにも迷惑だろ?死ぬときくらい、迷惑なんてかけたくないよ。そこまで人でなしじゃない」

「…………」

「信じてくれよ〜。そこまで信用ない?」

「信用してるよ。というか、そういうこと、お前はできないだろ」

「うん。無理」


 彼は自分のことを傷つけることすらできないような人間だった。いくじなしだとよく自虐をしていた。嫌なことがあっても笑っていられるような人間だった。自分を傷つけられない代わりに、彼は笑っていたのかもしれない。きつくても、しんどくても。

 オレは、彼が苦しんでいることを知っていた。たまに、ぽろっとしんどいとこぼすけれど、聞いても受験が〜と流されるので、なにか力になりたいと思って調べてしまったのだ。探してみると、存外あっさり見つかった。俗に言う病み垢というものだった。

 そこにつらつらと綴られているものは、オレの前での振る舞いとはずいぶんとかけ離れた、みているだけでこちらが精神を蝕まれてしまいそうな言葉達だった。なんなら、オレと行動を一緒にしていた時間にも投稿されていた。たまに端末をいじっているな、と思ったらこんなことを綴っていたのだ。一瞬、自分の悪口も書かれているのじゃないかと思ったけれど、書かれているものに人の悪口のようなものは一つもなく、ずっと、ずっと、毎日何投稿も、自己嫌悪を書き続けていた。

 オレは、それに触れられなかった。きっとこれは、彼の唯一のガス抜きなのだ、唯一本音を残しておける場所なのだ。他人に侵されたくない領域なのだ。彼の隠していることを自ら覗いたのだから、それがバレたら、きっとオレは嫌われてしまうし、彼のことをもっと追い詰めてしまうと思った。みて見ぬふりをして、少しでも彼が楽しく過ごせるように努めた。それが、オレのできる唯一だと思った。


 そうやって、ずっと彼の苦しみを見て見ぬふりをしていた。

 そうやって、オレはずっと一方的に彼の苦しさを知っていた。

 それが正解だと、言い聞かせていた。


「本当にここを飛び越えたい、って思ったなら、その前にオレに連絡しろよな」

「ええ〜、だからそんなことしないって」

「…………それでも、連絡しろ。それでも死にたかったら、止めないから」

「そっか」


 きっと、彼も気がついていたのだ。彼が精神的に限界を迎えていると、オレが知っていることを。それでも、オレ達はお互い見て見ぬふりをした。



『ごめんなさい、ごめんなさい。出来損ないでごめんなさい。人に迷惑をかけてばかりでごめんなさい。もう、もう死にますから、もう死にますから許してください。許して、もういいでしょ。もう、もう ごめんなさい 生きることから逃げる自分を、許さなくてもいいから、ゆるしてください』


 2月6日、彼は自宅で首を吊った状態で発見された。

 深夜2時57分、これが彼の最後の投稿だった。




 ────パァン

 橋の下を、電車が警笛を鳴らしながら、ガタンゴトンと走り抜けていく。湘南新宿ラインの特別快速は恵比寿駅を通過するから、スピードを緩めることなくあっという間に遠くまで行ってしまった。オレの下を、一体何千人の人間が一瞬にして通り過ぎたのだろう。


「お前さ〜、ここ飛び越えて死ぬんじゃなかったのかよ。そのくらいの勇気も持てなかったのかよ。首吊りはできるくせにさ」

「死ぬときくらい、わがままになったっていいじゃん。死ぬ勇気なんて、どこで死のうとかわんねえよ。死んだら関係ないんだから。何万人に迷惑かけようとどうだっていいだろ。いやよくないけどさ!?」

「そもそも死ぬくらいならさ、その前に馬鹿みたいに振る舞ったっていいじゃん。酒飲むとか、歌舞伎町で騒ぐとか、どうせ死ぬならそのくらいしたっていいだろ。なんで何も言わないんだよ。死ぬ前に遊びに誘えよ、何のためにセンター試験終わったと思ってんだよ。まだ試験はあるけどさ?いいだろ、そのくらい、そのくらい」


 違う。この柵を飛び越える勇気が欲しかったのはオレのほうだ。オレが、彼の心の柵を飛び越えることができなかったのだ。それができたら、またなにか変わっていたかもしれないのに。……もちろん、変わっていなかったかもしれないし、早めるだけだったかもしれないけれど。そうしたら、オレは後腐れなく、彼のことを見送ることができたかもしれないのに。


 いつか、自分がそのくらいの勇気を持てたら、彼は笑ってくれるだろうか。オレも臆病者だから、きっと飛び越えられることなどできやしないのだろうけれど。

 たまに人身事故に遭うと、飛び込んだ人は向こう側へいく勇気があったのだと、ふと恨めしくなることがある。けれど、オレはそのへんのなんの変哲もないところで死んでやるなんてごめんだ。いや、死んでやることを選ぶなんてごめんだ。いつかなにかがプツンと切れたとて、それならオレはもっとすごいことをしてやる。人に迷惑をかけるようなことじゃなくて、何かに残るような、そんなことをして、死んでやる。誰も、もう死にたいなんて思わなくなるようなことをして、死んでやる。恵比寿南橋の柵を越えて、三本の線路に落ちていくよりも、もっとすごいことをして。


 だから、そのくらいの勇気を持って、オレがすごいことをしでかすのを待っていてください。天国から、笑って見ていてください。死んだことを損させてやる、オレと一緒に生きなかったことを後悔するくらいの人生を歩んでやるから。

 オレは、お前が越えられなかった柵を、絶対に、越えてやる。


『うらんでないわ今は あなたがわかる 大人に変わる橋を いつの間にか渡る季節ね』


 今日も、何万人もの人々が、この橋の下を通り過ぎていく。

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明日、恵比寿南橋で死ぬ。 籾ヶ谷榴萩 @ruhagi_momi

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