Notお姫様
筒井
Notお姫様
――いったい誰が落としだんだか。
智佐は紙パックのリンゴジュースに口をつける。冬になったら外で昼食は無理かな。ぼんやりと智佐は思った。秋の風が、智佐の孤独な心をなでる。
体育館裏の非常口。三段しかない段差の上に智佐は座っている。昼食のとき、授業をサボりたいときによく智佐はこのお気に入りの場所に来ては、ぼーっと空を眺めたり、無断で拝借した兄の漫画を読んだりしている。
目の前にはブロック塀しかない。学校の端っこにあるからか、人気がなく静かなところが智佐は気に入っていた。
ペンダントが落ちていた場所は、ちょうど智佐が座っているあたりだった。一限目をサボった時にはなかったので、昼休みまでの間に誰かがきて落としていったのだろう。
こんな場所にわざわざ誰が。体育の授業中に誰かが訪れたのだろうか。
智佐はペンダントをもう一度じっと見る。
――誰だか知らないけど、忘れていくなよな。
責任感の強い性格から、智佐はペンダントを放り投げておくことができず、今後の処遇を考える。
教師に渡すなんて選択肢は智佐にはなかった。どうせあらぬ疑いをかけられるし、面倒だ。本当に面倒くさい。
空を見上げると、羊雲の群れが行進しているところだった。私もどこか違う場所に行きたい。そうぼんやりと思っていた。
急に影が智佐の視界に入った。
影の正体は奇妙な男だった。見慣れない緑色の服に、緑色のマント、腰には剣を差している。まるで、漫画の世界の住人だ。
「もしや、あなたは、貴方様は!」
男の顔がパッと明るくなり、智佐に近づいてくる。
智佐は思わず立ち上がり、身構える。
「何だよ。誰だお前」
「これは、失礼いたしました。私の名は、マーデル。あなた様の騎士マーデルと申します」
マーデルは智佐に向かって、深々とお辞儀をした。
「あなたをお守りするため、妖精の国から参りました」
「あたしを? 守るって? どうして」
「それはもちろん、あなたが我が王国の姫君であるからですよ」
「姫だって、このあたしが」
智佐は思わず吹き出してしまった。がさつで男勝り、だれもかれもから不良だと怖がられている自分がどうして姫なんてものであろうか。
誰かがいたずらで外国人を雇って芝居をさせているんだと思った。
「どうしてあたしが姫だなんて思ったのさ」
智佐も彼をからかってやろうとした質問だった。
「持っているではありませんか。姫であるという証を。ほら、その手に握っているそれですよ」
当然じゃないか。マーデルはそう言いたげに、智佐の右手に握られたペンダントを指さした。
「これは、私のじゃないよ。悪いけど拾い物だ」
「え! あなたのではないんですか?」
マーデルは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。
「本当にあなたのものではないんですか」
「そうだよ」
マーデルの勢いに智佐は気圧されながら、答えた。
マーデルは真っ青な顔をして天を仰ぎ見ると、文字通り膝から崩れ落ちた。ぶつぶつと独り言を喋っている。かろうじて聞こえたのは「ありえない」の言葉だった。
「お、おい、大丈夫かよ」
マーデルの顔を覗き込む。
肩に手をのばそうとしたときだった。
「なんでだよ!」
途端にマーデルは大きな声を出した。
「せっかく探しあてたと思ったのに、偽物だとは。そうだ、品性カケラもない女が我が姫君であるはずがなかったのだ」
悔し気に地面をだんだんと叩き、手が壊れるほど叩き続ける。
「おい、もしかしてがさつな女ってあたしのことか」
我慢がならず、智佐は声を荒らげた。その言葉に反応したのか、マーデルは勢いよく立ち上がった。
「当たり前だろう。姫君ではないと思ったが、その証を持っているから我慢して声をかけたのだ。それが違うだなんて、末代までの恥!」
「ああ、そうかい、じゃあその姫様とやらを探しに行くんだな」
智佐はマーデルに向かってペンダントを投げつけた。
「おい、何をする。傷ついたらどうするんだ」
「うるせえ、知るか」
智佐はペンダントと昼食の残りを乱暴にスクールバッグの中にほおりこむと、そそくさとその場を立ち去った。
「おい、待て貴様!」
うしろでマーデルが叫んでいるが、無視して歩みを進める。
「待てと言っているだろうが」
急に智佐の腕がうしろにぐいっとひっぱられた。
「うわ」
体制を崩し、マーデルの胸に体が跳びいる。
「てめえ、何すんだよ」
智佐は頭にきて、マーデルの顔をひっぱたこうとしたときだった。近くで地響きが鳴った。智佐は大きな振動に体のバランスを崩し、再びマーデルの方に倒れていった。
マーデルは智佐を抱え込み、音の方角をじっと見つめている。
智佐も音のしたほうに目を向ける。人の大きさほどの大きな黒い球体が智佐の目の前にあった。信じられないことだが、落ちてきたのだ。マーデルに呼び止められなければ、智佐は球体に押しつぶされていた。
「知ってたのかよ」
「なにがだ」
「あれが落ちてくるのだよ」
「危ないといっただろう」
「何が危ないかちゃんと説明しろこの唐変木」
「なんだと、助けてやったものに対してその言葉とは。無礼者め」
マーデルら腰から剣を抜いた。
智佐は一瞬ドキッとしたが、彼の視線が黒い球体にむいているのがわかった。球体は次第にヒビが割れていく。卵からひなが孵るように、中から黒い影が這い出していく。蜘蛛のような蛇のようなバケモノだっだ。
「あれは一体、なんなんだよ」
「悪しき影、魔物だ」
顔を上げると、球体は完全にからが割れ、中身が正体を現した。
中から這い出てきたのは、大きな蜘蛛だった。長い8つの足がもぞもぞと動いている。驚いたことに、蜘蛛の顔に当たる部分からは、人間の上半身が生えていた。
陶磁器のような白い肌。筋肉のついた体。顔にははっきりとした高い鼻。瞳は赤黒く濁り、血の色を連想させられる。その目に智佐は恐怖を覚えた。
「貴様はさっさと行け。ここから去るんだろう」
マーデルは智佐をぐいっと押し、追いやるような動作をする。
智佐はムッとした。もちろんさっさと逃げたかったが、恐怖で足が動かない。未知の生物から目を放したいのに、目をはなすことができない。怪物のしわざなのか、智佐の様子をみて蜘蛛は微笑みを浮かべた。
「は、ちょっと休憩中だ。お前は。……どうするんだよ」
「元気なのは口だけか」
マーデルは智佐を一瞥すると、苛立ち気に舌打ちした。
「邪魔にならんよう、そこに立っておけ」
マーデルが一歩前に出る。
蜘蛛は上体を起こし、威嚇する。
「虫風情が。我が剣の錆にしてくれる」
マーデルは剣をかかげ、蜘蛛に向かってかけていく。マーデルは剣を上段から振り下ろし、斬撃を放った。魔物はみをよじり、剣を躱す。そして、間髪入れずに人間の腕をふるって、マーデルを殴り飛ばした。
マーデルは衝撃で、智佐の後ろの壁に激突した。
「おい、大丈夫かよ」
智佐は咄嗟にマーデルへ駆け寄った。見ると頭から血を流している。
「……最悪だ」
マーデルがボソリとつぶやいた。
「魔物に負けてしまった。あんか魔物に。本気を出せれば勝てたのだけどな。今日は体調悪いし、やる気なんて出ないし、起きた時から嫌な予感はしたんだよな。それもこれも偽の姫君つかまされたのが運の尽きだ」
「なんだ! あたしが悪いって言うのか」
マーデルは顔を上げて、智佐を見ると、ため息をついた。
「まだいたのか。ほら、さっさと逃げろ。お前には関係ない」
弱弱しいこえではあったが、はっきりとした拒絶だった。マーデルの吐き捨てた言葉に智佐は苛立ちを感じた。なぜこうも怒りがわいてくるのかわからなかったが、突き放すような言動に腹が立っていることは確かだった。
蜘蛛は智佐たちの様子を窺って笑っている。
智佐はさっさと逃げてしまおうと思った。だが、気づけばマーデルが落とした剣を拾い上げていた。
「おい、何をしている」
マーデルが驚いたようなすっとんきょうな声を上げる。
「うるさい、デクノボウ」
スクールバックを投げ出して、剣を握り、その切っ先を蜘蛛に向ける。
蜘蛛の化け物はゆっくりと近づいてくる。
智佐の足が震えだす。圧倒的なこの世のものではないものに、今すぐにでも逃げ出したかった。だけど絶対に逃げないと誓った。それは智佐の意地だった。
「まったく、どうしようもないな」
剣を持つ智佐の両手に、マーデルの手が触れる。
振り返ると、マーデルの顔がすぐ近くにあった。抗議の声を上げようとも思ったが、彼の真剣で、どこかやさしさが浮かぶ表情に、智佐は口をつぐんだ。
「あの怪物から目を放すな。頭の中であれを倒すことをイメージしろ」
「そんなんで倒せるのか」
「安心しろ。この剣は本来、使用者の勇気を力に変えて放つ剣。勇気で立ち上がる者にこの剣は答える」
マーデルの視線が智佐をまっすぐと絡み合った。智佐はぐっと手に力をいれる。言われたように、目の前の化け物を倒すイメージをする。
漫画の悪者が倒されるように。悪い夢が覚めるように。
智佐が願った時、剣が震えだした。そして剣は鈍く光り始めた。
マーデルの手もぎゅっと力が入る。マーデルの手の熱が、暖かさが伝わってくる。
震えが止まり、剣は輝きを強めた。
「――」
蜘蛛は苦しむように叫び悶える。憎しみの目がこちらを見定め、迫ってくる。
「いまだ!」
「消えろ――!」
蜘蛛が智佐たちに手をふれんとした時だった。光は急激に強まり、蜘蛛の体を包んだ。
蜘蛛は苦悶の表情を浮かべ、まばゆい光が視界に広がり、智佐は思わず目を閉じていた。
焼き焦げた匂いが智佐の鼻に入ってくる。
ゆっくりと目を開けると、蜘蛛の化け物は影も形もなくきえていた。
振り向くと、マーデルが頷く。
笑顔になると、跪いた。
「先程の無礼をお詫びしたい。君は私よりも勇敢で、素晴らしい人物だ。不躾な発言をしてしまいすまなかった。何か君のためにできることはないだろうか」
智佐は頬をかいた。
「別にいいって。あたしも悪かったし。……それに助けてもらったし」
「いや、それでは私の気が収まらない」
「わかった。そこまでいうなら、手伝ってもらおうかな。このペンダントの持ち主を探すのをさ」
智佐はさきほど放り投げたスクールバッグの中から、ペンダントを取り出した。
「智佐殿……」
「付き合ってもらうぜ」
智佐はマーデルに向かって手を差し出した。
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