アイ

 天月さんは驚くほどあっさりと、すべてのアイをぼくに手渡した。

「まあ、負けましたからね。私はまた新しいおもちゃを探します」

「……」

「あと、応急処置はしますが、きちんと明日の朝病院に行ってくださいね」

「なんて説明すればいいんですか」

「間違って刺しちゃったとか」

 間違ったにしては本数が多すぎるんだよな。

「では私は寝ます。午前九時に港へ戻りますので、それまで安静にしておいてください。楽しかったですよ」

 そう言って天月さんは、部屋の外へと消えていった。


 スタッフの女性に応急処置をしてもらってる間に、勢いよく扉が開いてさっちゃんとあさひさんが入室してきた。

「すずくん! 勝ったんだね……って、ちょっとその左腕! 大丈夫? すずくん!」

「あー、大丈夫」

「なんや鈴也、あんたまさか自分の腕に釘刺して遊んでたんか? えらい趣味やの」

「そういうゲームだったんです!」

 ぼくはゲームの顛末をかいつまんで話した。さっちゃんは中盤からもう涙でぐずぐずになっていて、ぼくの腰に抱き着いたまま離れなくなってしまった。

「さっちゃん、ほら、無事だったんだから泣かないで」

「でもぉ……あ! アイに治してもらおうよ。なんでも願いが叶うでしょう?」


 その言葉で、ぼくは最後の仕事が残っていることを思い出す。


「アイ!」

 合計二十三個のアイはひとつにまとまったようで、ぼくが所有していたチップから一人だけアイが投影された。

「なんじゃ」

 ぼくは大きく息を吸って。



 そう宣言した。


「最後のゲーム?」

 さっちゃんが首をかしげる。

 ぼくは事実をもう一度確認する。

「アイの絶対誓約をなかったことにすることはできない、これは本当なんだよね」

 さっちゃんとあさひさんが息を呑む。

「本当じゃ。ワシの力はワシの力でなかったことにできん」

「さっちゃんの愛を伝える能力も、あさひさんのお金の制限も、その他の人たちの借金も、どうしようもないんだよね」

「……まあ、そうじゃな」

「でもさ、アイ」

 ぼくは、この話を聞いてひとつだけおかしい点があると思ったんだ。


「アイって、?」


「……どういうことや?」

 あさひさんが沈黙を破る。

「アイは五十年前、一人の人間にゲームで負け、その代償として肉体を失い、バラバラにされました。そしてぼくの予想では、と思っています。ただの人間がアイをバラバラにできるとは思えませんから。アイ。君は、自分が負けたら砕け散るという誓約を結び、負けた」


 たっぷり間を置いた後、アイは小さく頷いた。

 それを見たさっちゃんが「……じゃあ、自分の誓約を自分の力でなかったことにはできないから」と言う。

 その通り。

 では、どうすればアイは復活できるのか。その答えは、既になんとなく予想がついている。


 三千万の借金を負った人間には、三千万円を渡せばいい。

 だったら、


「アイさ。でしょ」


「く……くく……くははははははははははは! お主! お主本当に、あのスズか? サトリがいないと何もできなかったあのスズか? 素晴らしい! 素晴らしいぞ、人間!」

 アイは自我のない無生物には自在に入り込むことができる。

 しかし彼女が欲している生物の肉体は、そこに自我があるせいで、入り込むことができない。


 アイは少しの間笑ったあと、真顔に戻って言う。

「じゃが、今の話は少しだけ間違いじゃな。無理やり奪うことはせん」

 彼女は両手を広げて、楽しそうに言った。


「スズ。ワシとゲームをしよう!」


 それは大方、予想通りの言葉だった。



「条件は?」

「ワシとお主で一騎打ちのゲームを行う。ルールは、お主が考えてよい。多少お主が有利程度なら乗ってやるわい」

「ぼくたちはお互いに、何を賭ける?」

「お主が勝ったら、なんでも願いを叶えてやる。ワシが勝ったら、


「……」

「自我は残しておいてやる。一週間に一日くらいなら体を譲ってやってもいい」

「……ふん」

 ぼくが鼻で笑うと、ずっとぼくに抱き着きながら聞いていたさっちゃんの手に力が籠った。

「すずくん。わかってると思うけど、だめだからね」

 ぼくは彼女を撫でながらアイの方を見る。

「叶える願いは、なんでも、何個でもいいの?」

「……まあ、何個でもいいじゃろう。ただし、ゲーム前に約束した分だけじゃ。よくある『毎日願いを叶えること』みたいな先延ばしも認めん」

 それを聞いて、ぼくは少しだけ安心した。

 その条件なら、さっちゃんだけじゃなく、全員救える。

「……すずくん? ちょっと待って。まさか受けるつもりなの?」

「鈴也、こんなん受けるんアホやで。いくらあんたに有利なゲームを組めるからって、絶対勝てる保証はないんやから。ましてや相手はゲームの神や」

「……」

 さっちゃんとあさひさんがぼくを止めようとしてくれる。


 確かに彼女たちの言うことは正しい。

 こんなゲーム、受けるのはアホだ。

 肉体を失ったら、もうさっちゃんと触れ合うことすらできなくなる。


「……ごめんね、さっちゃん。すいません、あさひさん」

 


 なぜならぼくは、必勝のゲームを思いついたから。

 、ゲームを思いついたから。

 

 いつか、みかんを頬張ったさっちゃんに、「自分を過信しすぎたことが敗因だ」だと言われたことがある。

 確かにあの時、ぼくは弱かった。

 しかし今、ぼくはようやく、自分の弱さを受け入れて、自分の強さを見つけることができて――自分を信じることができた。


 自分を信じることができれば、あとはオールインするだけだ。

 なあ、ヒナミの爺さん。


「あ、そうだ、アイ」

「なんじゃ? 受けるかどうか決まったのか?」

 ぼくはそれを無視して、ずっと気になっていたことを聞いた。

「五十年前、アイが負けた相手ってさ。樋波尊ひなみたけるって名前だった?」

「ッ――――!」

 アイの表情を見るに、図星のようだった。

「お主、どこでその名を……?」

「その人、ぼくが船に乗る前に探してた親戚なんだよね」

「……ふ、そうか。そうじゃったか。巡りあわせと言うのは面白いの。樋波尊に比べるとお主はまだまだじゃが」

「ははっ、そんなのわかってるよ」

 たぶん、一生かかってもぼくはあの人の領域に踏み入れることはできない。

 辿

 でも、そんなぼくだからこそ。

 辿

「さっきも言った通り、ぼくの答えは最初から決まってる」

「……」


「最後のゲームを、はじめよう」


「すずくん!」

 さっちゃんがもの凄い力でぼくを押さえつける。

「アイ! ぼくと君の二人だけの、現実世界から時間的にも空間的にも切り離された亜空間。つまり、を作ることはできる? できるよね。君は時間を戻すことも可能なんだから」

「できるぞ」

「転送よろしく」

 アイは頷いて、ぼくたちの体は淡い光に包まれていった。

「すずくん! やだ! 行かないで、ねえ!」

「大丈夫だって」

 ぼくは彼女の頭を優しく撫でる。

「ぼくは絶対帰ってくるから」

 だからさ、とぼくはにこりと微笑んだ。


「ぼくが勝ったら、好きって言って」





 真っ暗な部屋だった。

 灯りはないのに、お互いの姿だけはよく見える。

「ではスズ。お主の褒賞と、ゲームの内容を聞こうか」

 ぼくは頷く。

「ぼくが勝ったら、今まで天月さんに絶対誓約で借金を背負わされた人全員に、借金分の現金を」

「承った」

「さっちゃんに、愛を伝える能力を」

「……それは、ワシの絶対誓約で失っているから」

「アイってさ、人間のこと好きだよね」

「どうした突然。ああ。特にゲームが好きな人間のことは、じゃ……ふん、なるほどな」

「そう。君は人間に愛を伝える能力を持っている。だから、。ついでに、君は別に肉体を得たらお金を自由に使えるよね。その能力はあさひさんに献上しろ。ぼくが求めるのは、その三点」

 これで、アイの争奪戦で損害を被った人は全員救えるはずだ。

「よし、承った。しかし、お主本人の願いはいいのか? これではマイナスがゼロになっただけじゃが」

 ぼくは首を横に振った。

 いらない。


 自分の欲を乗せると、この勝利への気持ちにノイズが乗ってしまうような気がするから。


「そうか。なら改めて、ワシが勝ったらその体の主導権をワシに寄越せ。週に一日は返してやる」

「うん。わかった」

 ぼくは頷く。


「それで肝心のゲームの内容じゃが」

「もう決めてる。まず、ゲーム会場はこの空間。そして道具は使わない」

「ふむ」

 アイは顎に手を当てた。

 ぼくは引き続いてゲームのルールを説明する。

「ゲームの勝利条件は、相手を敗北させること。では敗北条件は何か」



「…………」

 暗い部屋を沈黙が支配する。

「どういうゲームじゃそれは。殴り合いでもするのか?」

 ぼくは首を横に振る。


 このゲームは、負けを認めた方の負け。

 そして、


「要するに、この何もない、時間も娯楽もない空間で、ぼくたちはただ過ごすんだ。お腹もすかない、喉も乾かない、何もない空間で、ただ生きる。ただ生きて、生きて、生きて――――

「……はっ、お主、ワシに、何百年もすでに生きているワシに、を挑もうというのか?」


 ぼくはニヤリと笑って、頷いた。

「このゲームに終わりはない。ぼくかアイ、どちらかが終わらせるまで完結しない――――」


 それは奇しくも、ぼくたちが最初にやったゲームと、同じゲーム名となった。


「『未完ゲーム』」


「面白い。クソゲーじゃが、その心意気を勝って、乗ってやろう!」


 こうして、ぼくとアイの、最終決戦がはじまった。

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