決勝戦:釘ゲーム③
――――やられた。
振り返ると、彼が釘を打ってから手番の終了を宣言するまでかなり間があった。
あれは痛みに耐えていただけじゃなく、ひそかに刺した釘を抜いていた時間だったんだ。
普段なら見過ごさなかったであろう小さな挙動も、今は見落としてしまう。
痛みというのは本当に厄介だ。
「……ちょっと、まずいかな」
これで一勝一敗。
次に勝利したほうが今宵のゲームの勝者となる。
しかしこのゲームは先手が不利。
ぼくはいま、かなりまずい立場にある。
ここで負けたら、アイに願いを叶えてもらうことができなくなり、さっちゃんやあさひさん、『自己紹介ゲーム』で負けたほかの人たちを救うことができない。
――――なにより、負けたくない。
さっちゃんから大切なものを奪ったこの男に。
ぼくたちを弄ぶこの男に、ぼくは絶対に負けたくない。
三セット目。ぼくたちに三本ずつ赤い釘が配布される。
青、黄色、赤。
この釘を刺せば腕が信号機みたいになるな、と思うと少しだけ笑えた。
そんなくだらないことを考えていないと、痛みに全てを持っていかれてしまう。
ぼくは釘打ち機を手に取って、左手に押し当てる。
「ふぅ……ふぅ……」
「久野さん。念のため忠告しておきますが、貴方は今五本の釘を打ちました。六本目まではいいですが、七本目以降はきちんと場所を考えないと、酷い後遺症が残る可能性がありますからお気をつけて」
ぼくは無言で天月さんを睨みつける。
すると天月さんはふっと緊張を解いて、ぼくにこう問いかけた。
「何をそんなにがんばるんですか?」
「……何をって」
「あなたにそんな痛い思いをしてまで叶えたい願いがあるんですか?」
「それは、お前が!」
ゴン、と釘打ち機を机にたたきつける。
この人が下らない誓約を結ばなければ、今宵の出来事も、さっちゃんが好きを失うこともなかった。
「お前が、か。でも、恋人の大塚さんは置いておいて、その他の人は、別にあなたの人生には関係ないじゃないですか。よく思い出してください。『自己紹介ゲーム』で最初に落とされそうになったのは私を除くとあなたでした。『チャージエンショット』では、三上あさひさんはあなたや大塚さんを蹴落とそうとした」
「……」
「そんな人たちもあなたは救いたいんですか?」
「救いたいかどうかで聞かれれば、当然救いたいに決まっているじゃないですか。知らない人とはいえ、三千万の借金を負わされるのを黙ってみておくなんてぼくにはできない」
そう言うと天月さんは爽やかに笑う。
「いい人ですね。でもそれは、自分の左腕に釘を刺してでも達成したいことなんですか?」
「まさか。ぼくはそこまでお人よしじゃないです」
ぼくは首を振る。
「でも、さっちゃんは別だ。さっちゃんの愛を伝える能力が戻るのなら、多少の痛みは受け入れる――――!」
ぼくはそう宣言して、勢いよく釘打ち機を駆動させる。
「ぐ……」
これでぼくの左腕には、青い釘が二本、黄色い釘が三本、赤い釘が一本打ち込まれたことになる。
天月さん目線、いまぼくの腕に刺さっている釘はゼロ本か一本だ。もとより痛みでぐちゃぐちゃになっているんだ、刺したフリをしたという可能性を捨てきれないはず。
しかし現状、天月さんは二本打てば確実に勝利する。
ぼくが二本打ったかもしれない、と思わせないとそもそも読み合いが生じないのだ。
だからぼくは、釘打ち機を二回駆動させることがマストで――――――
「アイの絶対誓約は、アイの力でなかったことにすることはできませんよ」
「……………………え?」
ぼくは釘打ち機を落とした。
「……アイの力でなかったことにすることは、できない?」
天月さんはゆっくりと首を縦に振った。
「アイ、教えてなかったのかい?」
その呼びかけで、天月さんの所有するアイと、ぼくの所有するアイの両方が顕現した。
「アイ……どういうこと?」
ぼくはぼくのアイに問いかけると、彼女は気まずそうに顔をしかめた。
「そいつの言っていることは本当じゃ。ワシの力は、ワシの力でなかったことにすることはできん」
「だったら、一ゲーム目で負けた人たちの借金をなかったことにするのは?」
「無理じゃ」
「あさひさんに課せられたお金を使えなくなる縛りを消すのは?」
「無理じゃ」
「さっちゃんの……さっちゃんを元に戻すのは?」
「無理なんじゃ」
「アイ!」
ぼくは叫ぶ。
アイは目を伏せて、「方法がないこともないが、基本的には無理なんじゃ」と言う。
「方法がないこともない? どういうこと!」
「借金をなかったことにすることはできんが、新たに三千万円配ることは可能じゃ。他にも、ゲームを行う前まで時間を戻すことも可能じゃ。まあこの場合、記憶もゲーム前まで戻るので、ほぼ高確率で同じ結果になるが……」
「…………」
その方法だと、お金を調達すれば済む借金組は救えるけど、さっちゃんとあさひさんはどうしようもないじゃないか。
目を閉じる。
「久野さん、わかりましたか? あなたが戦う理由は、もうひとつもないんですよ」
「…………」
左腕が痛い。
この痛みも、さっちゃんのため、引いてはぼくのためだから我慢できていた。
でも、それがどうにもならないなら。
どうにもならないなら、ぼくにはもう、戦う理由が――。
「…………手番……」
だったら、ここで手番を終了して、敗北すればいい。
ぼくはアイを失うだけ。
さっちゃんも船に乗る前と何も変わらない。
プラスマイナスはほとんどゼロ。
アイを失い、左腕の傷を得る。
「手番、終……」
――――その時、ぼくの脳裏に電撃のようなひらめきが走った。
天月さんに勝てるかもしれない。
でも、勝ったからなんだ?
この人に勝ったところで、ぼくは、何も得ることができない。
この勝利に意味なんて、ない。
「…………………………手番、終了です」
ぼくはたっぷりと時間をかけて、手番を終了した。
天月さんの手番。
彼は優しく微笑んで「あなたは最後までよく戦いました」と言った。
「最終セットでも釘打ち機をきちんと一度駆動した。つまり私は二本の釘を打たなきゃいけない。嫌ですね」
「……別に打たずに負けてもいいんですよ」
「はっ、まさか」
「ちなみに天月さんは、どんな願いを叶えたいんですか?」
ぼくが興味本位で聞くと、彼はきょとんとした顔で言った。
「叶えたい願い? そんなの、ありませんけど」
「え?」
「途中で言いませんでしたっけ。言ってないかも。人が苦しんでいるのを見るのが、楽しい。私はそれだけですね」
「……」
この人とは何もわかり合えない。最後のセットを前にして、ぼくは改めてそう思った。
かつてヒナミの爺さんと寿司ゲームに興じた時、「ゲームがこんなに、相手と心を通わせられるものだなんて知らなかった」と思ったけれど、わかり合えない人もいるんだと、初めて分かった。
こんな相手には負けたくない。
この人に勝っても、ぼくは何も得られないけれど、それでもやっぱり、負けたくない。
損得じゃない。
ただ、負けたくない――――!
天月さんはたっぷりと時間をかけて、赤い釘を二本打った。
ぼくの釘打ち機の駆動回数は一回。
天月さんは、二回。
「手番終了します」
「それでは第三セット、終了です。お互いの左腕を公開してください」
進行の女性の合図で、ぼくたちはお互いの腕を開示する。
天月さんの腕には赤い釘が二本。
そして、ぼくの腕には、赤い釘が三本――――!
ぼくの腕を見た天月さんが驚愕の表情を浮かべる。
「な…………なんでだ、どうして! どうして。釘打ち機は一回しか駆動していないはず。
…………まさか!」
「そのまさかですよ、天月さん」
ぼくは、机の上に転がっている血に染まった黄色い釘二本を天月さんに見せた。
「あなたが第二セットでやったことの応用です。ぼくは最後、前のセットで刺した黄色い釘二本を、腕から抜きました。そうするとどうなると思いますか?」
「……」
「そこには既に穴が、開いてるんですよ」
つまりぼくの左腕には、青い釘が二本、黄色い釘が一本、赤い釘が三本の、合計六本が突き刺さっている。
まずは釘打ち機を駆動させて一本を通常どおりに刺した。
そのあと、前のセットで刺していた釘を抜き、釘打ち機を使わずに自分の指で赤い釘を二本刺し直した。
既に開いている穴に、釘を打ち込むことは、容易い。
「……たっ……容易いわけあるか! どれだけの胆力が……!」
「天月さん、あなた、見誤ったんですよ。ぼくの胆力を。ぼくがどれだけ、あなたに負けたくなかったかを」
「く……」
「おねえさん、釘の本数はぼくが三本。天月さんが、二本。どっちが勝ったか、宣言してください!」
進行の女性が告げる。
「勝者、久野様です。最終ゲーム、『釘ゲーム』。勝者は久野鈴也様!」
ぼくは右手を力強く握って――――
――――勝利を叫んだ。
決勝戦 『釘ゲーム』
勝者・久野鈴也
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます