乗船②

 船の中は暖かい黄色の光に包まれていた。

 細い入り口を通って進むと、真ん中に大きな銅像が立っている円形のホールにたどり着く。

 そのホールの縁をなぞるように、二階へ上るための螺旋階段が二本伸びていて、大きな地図のパネルも置いてあるので、この船においての主要ポイントなのだろう。

 位置的には船のちょうどど真ん中なので、待ち合わせにちょうどよさそうだ。


 それにしても広い。船の内部は、外から見た印象とまた全然違っていた。

「久野様。こちらに注意事項がまとまっておりますので、ご一読ください」

 受付の女性に手渡された紙を読む。

 内容は至極シンプルで、大きく四点のアナウンス、注意事項が書かれていた。


・勝負はこの船上で行われるということ。

・船は明日の午前九時に港へ到着予定であり、それまで下船できないということ。

・両者の所有するアイが納得した場合は必ず「アイの所有権の譲渡」をベッドすること。

・受け入れられない、守れない場合は乗船代を全額負担すること


 どれも問題ない。

 勝負が船の上で行われることは既に予想済みだし、今日は泊りの予定だったので、明日の午前九時まで降りられないという点もOKだ。

 むしろ、東京湾に放り出されるほうが困る。

 そして三つ目はかなりありがたい話だ。

 アイを媒介としたギャンブルは、双方に同意がないとそもそも成立しない。

 つまり、絶対に勝てない相手を目の前にした場合、という戦略が成り立ってしまう。

 これはきっと、そんな勝負不成立を防ぐためのルールだ。


 アイの最大の目的は復活することだけれど、人間のギャンブルを見たい、という目的もかなり比重が置かれている。

 そんなアイが納得するゲームとは、『完全な運ではなく読み合いが発生する』かつ『片方に圧倒的に有利ではない』ゲームである。

 この誓約を結ぶことで、逃げ続けるという戦略がとれなくなる上に、運ゲーや一方が圧倒的に有利なゲームなど、アイにとって面白くないゲームを弾くことができるのだ。


「こちらの注意事項に同意いただける場合はここにサインをお願いします」

 サインをしてボールペンを返そうとしたら、さっちゃんが隣で厳しい顔をしていた。

「どうしたの?」

 彼女は数瞬だけ間をおいて、「いやさ、わたしってどういう扱いなのかな」と言った。

「というと?」

「すいません、お姉さん」

 ぼくの問いかけを無視してさっちゃんは受付の女性に声をかけた。

 女性はにこやかに振り返って、どうなさいましたと尋ねる。

「あの、わたしはサインとかしなくていいんでしょうか?」

 女性は困った顔をした。

「申し訳ございません、貴方様からは所有しているアイを見せていただいておりません。失礼ですが、所有者の方でしょうか?」

「あ、いや、わたしは持っていません。でも彼と一緒にこの会に参加したくて」

 さっちゃんがそう弁明すると、受付の女性は静かに首を振った。

 どうやら、アイの所有者しかこの船に乗ることはできないらしい。

 それは困る。

「そこをなんとか、なんとかなりませんか?」

 ぼくも一緒に頭を下げた。

「そう言われましても……そうですね。そちらの久野様のとしてならご乗船いただくことは可能になります」

「所有物ですって?」

「はい。お部屋の準備がございますので、お部屋はお二人で一部屋。また、料理は……いえ、料理はビュッフェ形式なので問題ございませんね」

「部屋が一緒なくらい、むしろありがたい話ですよ」

 ぼくがそう言うと、彼女はさらに言葉を付け加えた。

「もちろん所有物ですので、とさせていただきます」


 へなへな、とさっちゃんは崩れ落ちた。

 ボー、と遠くの方で船の汽笛の音がする。

 ぼくとアイはいたたまれなくなって、慰めの言葉すら投げられなかった。


「……決めた」

 次にさっちゃんが顔をあげた時、その瞳には何かしらの決意が籠っていた。

 鋭い眼光が虚空を見つめる。

「決めたって、何をさ?」

 さっちゃんはぼくの疑問に答えず、ずい、と自分の持っていた鞄を渡してきた。

「ちょっと預かってて」

「え。いや、いいけど」

「じゃあ、すずくんは先に入っててね!」

「は?」

 ぼくがあたふたしている隙に、さっちゃんは細い通路を逆戻りして船の外に出ていった。

「ちょ、さっちゃん?」

 慌てて追いかけようとするも、受付の女性に「そろそろお時間です。出航時刻に間に合わなかった場合参加できませんがよろしいですか?」と冷たく言われ、冷静になった。


 ――どうして彼女はぼくになにも言わずに出ていった?


 彼女は彼女なりに考えがあって行動をしているはず。その作戦の実行にぼくが必要なんだったらきちんと言うはずだ。その相談がなかったということはつまり、ぼくがついていっても意味がない。

 最悪の場合、ぼくがついていった方がマイナスになる。そう判断して一人で出ていったのだろう。

「……ここでさっちゃんを追いかけるのはあんまりいいアイデアじゃない、か」

 追いかけてほしくてわざと無言で出ていく、みたいないじらしいムーブをするような子でもないしな。

 ……ないよね?


 ぼくは渋々船内の方に向き直って、サインした紙を受付に手渡した。

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