参戦意思表明

「お主の願い事をなんでも一つ叶えてやる」


 そのあまりに陳腐な言葉と、清々しいほどに邪気を孕んでいないアイの笑みは。

 ぼくを少しだけ現実に引き戻した。

 もちろん今さらアイの存在や能力を疑っているわけではない。

 アイが人外の存在であることも、バラバラになったことも、協力すればなんでも願いを叶えてくれるであろうことも、全て信じている。


 問題はその先だ。


 古今東西、あらゆる悪魔との契約者は悲痛な最期を迎えるというのがお決まり。

 アイは悪魔ではないけれど、なんでも願いを叶えてくれるという点においては悪魔と何ら変わりがない。

 二十年と少し生きてきて、この世界にノーリスクで願い事が叶うような簡単な仕組みはないということは嫌という程わかっていた。


「すずくんは何が心配なの?」

 しかし、日和ったぼくに苦言を呈したのは同じ人間サイドであるさっちゃんだった。

「いや、何って聞かれると難しいけど、しいて言えばこの話の全てかな。悪魔との契約って、そういうものじゃない?」

「誰が悪魔じゃ!」

 アイがぷんすかと怒っている。

 それをスルーしてさっちゃんは首を傾げた。

「アイさんに魂を取られるとか、殺されるかもしれないってこと?」

 ぼくはアイの方をちらりと見てから首を縦に振って肯定する。

「あは、すずくんは不思議なところで引っかかるね」

 しかしさっちゃんはその心配事を一蹴した。


「もしアイさんがわたしたちの命をどうこうするつもりなら、と思うよ」

「や、でもそれは、バラバラの状態だからそういう力がないだけかもしれないじゃん」

「だとしたらなおさら協力しないと駄目じゃん。ここでわたしたちがアイさんに協力しないまま完全復活されたらどうなると思う? わたしたちは、

「……」

 さっちゃんの曇りのない大きな黒目を見て、ぼくは遅まきながら気が付いた。

 どのみち今取れる選択肢は、アイの復活に協力するか、アイが絶対に復活しないよう封印するかの二つしか残っていなかったのだ。

 対面に座っているアイは、俯いて頭を掻きむしる僕に追い打ちをかけるかのように言葉を投げかけた。

「ちなみに、そのチップを燃やしたり埋めたりしても、ワシは消えんから覚えておくとよいぞ」

 それはそんな気がした。


 さっちゃんが無邪気に質問をする。

「本体が燃えたらどうやって生き延びるんですか? 魂とか霊魂的な感じになるんですか?」

「違うわい。人を幽霊呼ばわりするでない。もっと単純で、ワシは近い距離にある無生物なら自由に移動できるんじゃよ。今ならこのチップからその机、という風にな」

 そして生物への移動は無理らしい。生物は自我があるからワシの侵入を拒む、とアイは付け加えた。

 つまりこのチップを燃やしても近くのオブジェクトへ移動するだけらしい。

「じゃがまあ、あまりそう言った手段はとってほしくないのう。五十年前にバラバラにされてから、久しぶりに人に拾われたんじゃ。そしてそれがギャンブラーだという。こんな幸せなことはない」

「……ぼくは、ギャンブラーじゃないよ」

「ふぅん、おかしなところにこだわるやつじゃのう」


 ここでアイに協力しなかった場合、復活を遂げた際に報復される恐れがある。

 それならここで協力しておいた方がいいというさっちゃんの意見はとてもよく分かった。

 理解できたし、納得もした。

 しかしそれでも、ぼくはまだ迷っていた。

 さっちゃんがさらに口を開く。


「アイさんが立ち合うゲームのベットって、例えば命とかも賭けられるんでしたっけ」


「んぐっ」

 口に放り込んでいたみかんが気管の中を駆け巡った。

 なんて物騒なことを聞くんだ、と思いながらぼくはげほげほとせき込む。

 アイは、その質問にはまるで愚問だと言わんばかりに飄々とした表情で「可能じゃよ」と答えた。

「ただし安心してよい。ワシの絶対誓約は、していないと成立せん。ひとりでに命が奪われることはないのじゃ。スズと対戦相手が命を賭けることに合意した場合は別じゃが、まあそんなことはレアケースじゃろう。お主が合意しなければいいだけじゃ」

「……」

 不安要素がどんどん潰されていく。

 命の危険がなく、むしろここで協力しない方が後々どうなるかわからない。


 そして最後、ぼくの背中を押したのはさっちゃんの言葉だった。

「すずくん。逆に聞くけど、君は今、ワクワクしていないの?」

「え?」

「授業とバイトに行って、ろくに言っていないサークルに顔を出して、たまにわたしとゲームをするだけの大学生活が一変するチャンスなんだよ」

「……」

「自分の願いをなんでも叶えるって言ってくる、人外の存在が現れたんだよ」

「……」

「ワクワクしてないの?」

「……」

 ワクワクしているに、決まっていた。

 それはなにも、なんでも願いを叶えてくれるというアイの存在にワクワクしているわけではない。

 ぼくが惹きつけられているのはむしろその過程だ。アイの欠片を探し集める、映画のような展開。

 きっと道中では色々なことが起きるであろう予感。


 そして、命に危険はない。


「ね? すずくん」

 さっちゃんが可愛く首を傾げた。

 それにしても本当に可愛いなこの子。

 ぼくは、いつになく積極的な彼女のほっぺたを指でぷにぷにした。

 普段はほわほわとしている性格だけど、こういったゲームが絡むような話にはすごくのめりこむ。そんな一途なところも好きだ。

 ぼくに対しても一途だし。

 一途……だよね?

 ぼくが彼女の恋心に不安を覚えた瞬間、


 そうか。

 人外の少女や、悪魔の甘言に惑わされていたけれど、重要なのはそこじゃない。

 本当に重要なのは、ぼくとさっちゃんにができるということなんだ!

 これはぼくの持論なんだけど、カップルをはじめとする人間関係を長続きさせるのに一番大切な要素は、共通の目的だ。


 長続きする人間関係を構築できる人は、共通の目的の設定がうまい。それは例えば、来週イルミネーションを一緒に見に行く、でもいいだろうし、好きな小説の感想を話し合う、でもいい。育児だってそれになり得るだろう。

 逆に言うと、どれだけ気が合う人間でも、目的がないままでずっと一緒にいることは厳しい。

 

 ぼくとさっちゃんはいつだって超らぶらぶな二人だけれど、それでも不安になることだってある。そんな折にこの話だ。

 一緒にアイの復活を目指して模索する活動は、と呼ぶことができるんじゃないだろうか。

 そして見事目的を完遂した暁には、リアル謎解きゲームをクリアしたメンバーの絆が一層強まるように、ぼくたちの関係もより深くなるだろう。

 そうなれば、彼女に「好き」だと言わせることも簡単になるかもしれない。


 ……いや、アイの力を使ってさっちゃんに「好き」って言ってもらおうとはさすがに思っていないからね。なんというかそれは、空しい気がする。


 ここまで考えたぼくには、もはやアイの誘いを断る理由がなかった。

 命の危険はなく、さっちゃんとの絆がより深まる。さらに、なんでもひとつ願いが叶うという特権までついてくる。

 協力、してやろうじゃないか。

「決めたよ」

 ぼくは顔を上げて、大きく息を吐く。

 向かいに座るアイの、不安と期待で揺らめいている赤みがかった双眸と目が合った。

 瞬き三回。



「ぼくとさっちゃんは、アイに協力するよ。バラバラになった君を集めて元の形に戻す」

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