第2ゲーム:寿司ゲーム③
さて、攻守交代だ。
ぼくはテーブルに背を向ける。このセットは必ず勝たなきゃいけない。ここでわさび抜きの寿司を食べないと、ゼロ勝二敗の完全敗北を喫することになる。
マグロか、タイか。
その二分の一は、天に身を任せるには心許ない数字だった。
「仕込み終わったぞ」
背中越しに声を掛けられる。ぼくはゆっくりと振り返って、寿司皿を見た。
「このマグロとタイのどちらかにわさびを仕込んだから、ゆっくり考えてみてくれ」
無言で頷く。
爺さん相手に心理戦を挑むのは得策じゃない気がするので、相手の表情はできるだけ見ないよう心がけた。
まずはゆっくり二つの寿司を見比べてみる。マグロとタイ。どちらも寿司界の王様と言えるであろう美味しい寿司だ。
マグロは大トロや中トロ、変化球的なところでネギトロやマグロユッケの寿司があるけれど、ぼくはやはり赤身が一番好きだ。大トロは脂っこすぎて、本当に口の中で解けてしまう感触がどうしても苦手。
タイは少しコリコリとした食感を残していて、その評判にたがわず高級魚の香りがプンプンする。
タイの刺身の黒いチリチリした模様を誰かの毛だと思っていてしばらく好きじゃなかった話は墓まで持っていくつもりだ。
あれ、血管なんだね。
そんなことは置いておいて、今は寿司ゲーム。
二つの寿司を見比べても特に不自然なところはなかった。例えばネタの部分が明らかに膨らんでいたりしてくれるとありがたかったんだけど。
その後ぼくはちらりと爺さんの顔を見た。楽しそうに目じりにシワを作っている。
駄目だ、やはり彼の表情から何かを読み取れる気がしない。
そりゃそうだよね。ポーカーフェイスって言葉はきっとトランプのポーカーから来ていて、爺さんはそれで稼ぐほどポーカーの腕前が高かったんだから。
都合よくぼくに透視能力でも目覚めないかな。そしたらどっちの寿司にわさびが仕込まれているかなんて一目瞭然だというのに。
「……あれ?」
その時、脳髄に電撃のようなひらめきが走った。
――それは逆転の一手。必ず勝てるメソッド。
ぼくは自分の中でルールを再確認して、爺さんに質問をした。
「ねえ、この二つの寿司以外だったら触っても別に問題なかったよね」
「フフ……そうだな。別にそこに言及はなかったと思うぞ」
了承を得てから、ぼくは別の大皿からタイの寿司を持ってきた。
タイの身は、白い。もっと言うと、かなり透明に近い。
さっき爺さんも言っていたように、ここの寿司はかなりいいところの寿司なので、身は全く白濁しておらず、透明感あふれる新鮮な色をしていた。
それは、本当に単純な思いつきだった。
透明なタイの下にわさびを仕込んだら、透けて見えるんじゃないの?
ぼくはタイを捲ってそこに少しだけわさびを仕込む。そして元に戻した。
「……ははっ…………あははははははは!」
するとどうだ。予想通り、わさびは透けて見えるじゃないか――!
ぼくは一回戦、何も考えずにマグロにわさびを仕込んでいた。だからタイの持つ特性、このゲームの欠陥に気が付かなかった。
逆に言うと、その時マグロに仕込んでいたおかげで、今爺さんもその穴に気が付かなかった。
「ごめんね、ヒナミさん。ルールに欠陥があったかもしれない。でもぼく、今はどうしても負けたくない気分なんだ」
「……」
爺さんの提示したタイの寿司を凝視しても、わさびは透けていない。
つまり、わさびの仕込まれた先はマグロだということ。
ぼくはゆっくりと息を吐いて、勝利宣言をした。
「わさびが仕込まれているのはマグロだ。だからぼくは、タイを選ぶよ」
勝った。
これで一勝一敗の引き分け。
賭博で飯を食ってきた伝説の勝負師に引き分けたのだ。そう思うと、お腹のあたりに熱いものが込み上げてきた。
嬉しい。
ただの二者択一の正解が、こんなに嬉しいものだなんて、ぼくは知らなかった。
その喜びをかみしめながら、タイの寿司に触れた。
「フフ……」
爺さんが嬉しそうに笑う。
そして彼はマグロの寿司を横に倒し、箸で持つ。
横に倒すことで、半回転させるだけでネタに醤油をつけることができるしっかりとした食べ方だった。
「じゃあ、食おうか」
ぼくもそれに倣って寿司を横に倒した。
「ひっ……」
その寿司の底面には、わさびがびっしりと塗られていた。
「惜しかったな、すず。何も考えていなかったであろう一回戦に比べて、格段にいい戦い方だったぞ」
「……なん」
「別に、わさびを仕込む場所はシャリとネタの間のみ、って限定されていなかったよな。だから、今回はタイのシャリの下、底面にわさびを仕込ませてもらった」
「……」
ぼくの思考がフリーズする。
ヒナミの爺さんは、どこまで読み切っていたんだ。
そう思っていると、その疑問に答えるように爺さんが口を開いた。
「ひとつ言っておくが、オレはすずを侮ってたりはしないよ」
「……」
「オレに対して声をかけてきて、ゲームを挑んでくるような積極性、あるいは好奇心。その場にあるものだけで即興で公平なゲームを考えつく独創性。両親がいなくても親戚の集まりに顔を出してうまく立ち回り、寿司ゲームのルールを簡単に伝えられるところから、頭がいいということも垣間見える。いわば知性を持っている」
どうやらぼくはいまとても褒められているようだった。少しだけ照れる。
「これらは全部、一流の勝負師に必要な能力だ。それを兼ね備えているお前を、どうして侮れる?」
「……でもさっきはぼくのことを小学生以下って」
「フフ……そんな言い方をしたかな。だったら謝ろう。だが、そこに関しては大きく外れていないと思っている。なぜなら、お前はあまりこういうゲームをしないと言ったからな」
確かに第一ゲームの時、ぼくはそんな風なことを言った。
「普段こういうゲームをしないやつが、オレのようにギャンブルで食ってるやつに負けたら、どんなことを思うか知ってるか?」
ぼくは黙って首を横に振った。
「経験値の差がデカすぎる。大抵、そう思うんだ」
「……」
「だがオレは、その考えは違うと思っている。いや、その考えはあっているのかもしれないが、そう思ってほしくない、と思っている」
「それはどうして?」
「いいか。経験なぞ、本来不要なんだ。圧倒的な勝負勘があれば、その歴十年のスペシャリストに勝つことだって簡単だろう。それを持たないものたちが這い上がるためのたった一つの手段が、経験と言われるものなんだ」
その考えは、初めて聞くものだった。
学校では、練習や経験を積み重ねることが大切だと学ぶ。
しかしこの人は、そんなものは不要だと言い切った。
極端な考えだと思ったけれど、そんなはずはないと切り捨てられない意見だった。
「だから第一ゲームで避けたかったのは、オレが圧倒的な力量差を見せつけて勝ってしまうことだった。そしたらお前はきっとオレに敵わないと思ってしまう。それは……面白くないだろう?」
「……それで、あんな引っ掛けでぼくの悔しさを煽ったってわけ?」
「そう。そうすればお前は考えると思った。その悔しさを武器に、第二ゲームは自分が納得いくまで考え抜くと思ったんだ」
そこで爺さんは一呼吸だけ置く。
「そしてそれこそが、勝負師への第一歩なんだ」
「……」
「第二ゲームが始まる直前のお前の顔を見てオレは悟ったよ。すずは、こっち側の世界に来たんだってな。そしたら当然、タイの身はわさびが透けるということに気が付くと思った。だからオレはお前を信用して、ひと工夫打たせてもらったんだ」
それが、底面のわさび。
ぼくがタイの透明さに気が付き、それをもとに判断することまで見越してそんな手を打っていたのだ。
「……」
悔しいなあ。
心の底から悔しかった。
けれどその感情は、第一ゲームが終わった時の悔しさとは少しだけ違っていた。
なんというか。
「なあ、すず」
「なに?」
「やっぱりゲームは、楽しいだろう」
「……ははっ」
そう。
悔しい。心の底から悔しい。
けれどそれ以上に、ぼくは楽しかった。
ゲームがこんなに楽しいものだなんて知らなかった。
ゲームがこんなに、相手と心を通わせられるものだなんて知らなかった。
「お前は強い勝負師になるぜ」
そんな言葉が聞こえた気がした。
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