第2ゲーム:寿司ゲーム②
さて。ぼくは少しだけ考える。
とはいえ、わさびを仕込むフェイズで攻め側にできることは何もない。
問題はこの後、爺さんが寿司を選んでいる間、いかにポーカーフェイスでいられるかどうかだけだった。
それに、最悪負けても、後攻で勝てば引き分けだ。伝説の勝負師に引き分けなら、十分すごいんじゃないか。だったらこの一回戦でそこまで気負うことはない。
ぼくはとりあえずマグロを捲って中に大量のわさびを塗りたくり、爺さんに声をかけた。
心臓が高鳴る。
「このマグロとタイのどちらかにわさびを仕込みました。ヒナミさん、どっちを食べるか決めて」
「フフ……どっちにしようかな」
彼はとても楽しそうに、二つの寿司を見比べる。
「こっちか?」
なんて爺さんに問いかけられたけれど、ぼくはポーカーフェイスを決め込んだ。
うん、我ながら見事なポーカーフェイス。
数十秒ほど経ったタイミングで、彼は再び口を開いた。
「ちなみにすずよ。お前は学校とかでこういうゲームをよくするのか?」
「うーん。あんまりしないかな。小学生の頃とかはお父さんとオセロとかやってたけど、友達とはやらないし……テレビゲームもそんなにやるわけじゃない」
「そうか。それは残念だ」
「どうして?」
「オレはこういった遊戯が本当に好きでね。文字通り人生を賭けてきたようなものだから。その魅力がわかる人が増えるって言うのは、なんというか……嬉しいんだよ」
彼は目を細めながら、隣のテーブルに行き醤油差しをとってきた。
「人と人が、相手を出し抜くために本気で試行錯誤をして、本気で考える。勝利に向かって貪欲に思考を重ねるそれが、オレはこの世の何よりも美しくて、価値のある行為だと思うんだ」
そう言いながら爺さんは醤油差しを持ち、マグロの寿司にかけようとほんの少しだけ傾けた。
「ところですず、お前はここの宅配寿司をよく食べるか?」
その突然の問いかけに面食らいながらも、ぼくはゆっくりと首を振った。
「ううん。お寿司なんて、家族で回転寿司に行くくらいだよ。こんないい寿司は年始のこの集まりでしか食べない」
「そうか。だったら知らないと思うが、ここの寿司は実はかなりの名店でな。それは味やネタの質だけに限った話じゃない。当然その握り方、寿司の外観についても最高品質の店なんだ」
「……ふうん?」
確かに一流の寿司職人が握る寿司は、口に入った瞬間にシャリが解ける絶妙な硬さになっていると聞いたことがある。
その握り方を習得するために何十年と修業をするとも。
硬さや形が悪いと食べた時の食感が悪くなってしまうが、それらにこだわるあまり長時間寿司に触れすぎると、体温がネタに移ってしまい口当たりが悪くなってしまう。
寿司職人はそんな二律背反に悩まされていると何かで読んだことがある。
ちなみにぼくがよく行く回転寿司は、この部分を全自動シャリ握りマシーン様にやっていただいているらしい。
一家に一台欲しい。
「ヒナミさんはなにが言いたいの」
「ここの寿司は高級だけあって、形が完璧だってことだ。じゃあどのくらい完璧なのか? その完璧度合いは、寿司のネタの頂点に醤油を一滴垂らすだけでわかる。お見せしよう」
そう言いながら爺さんは、醤油差しを傾けてマグロに一滴だけ醤油を垂らした。
「もしこの寿司が握られて出荷された状態のままだったら、この醤油はどこへも流れることなくネタの上に留まる。形が綺麗すぎて、液体が溢れないんだ」
そんな彼の言葉とは裏腹に、一滴の醤油はマグロの上に広がり、ゆっくりと全体へ染み渡った。
それを見た爺さんがゆっくりと口を開く。
「うん、ここの寿司屋の握りで醤油がこういう風に拡散していくのはあり得ないな。つまり、これは誰かがネタを捲ったっていう証拠になる」
「っ……」
そんなのってアリ?
ぼくはこの寿司ゲームを二択の運否天賦、もしくは顔に出るか出ないかの心理戦ゲームだと思っていたので、完全に意表を突かれた。
「そんな風な当て方があるなんて」
だったらどうすればよかった? わさびを仕込まなかった方のネタも捲って、両方に触れておくべきだったのかな。
ぼくがそうぼやくと、爺さんはフフ、と笑った。
「そうかそうか、すずはこっちのマグロにわさびを仕込んだんだな。じゃあオレは遠慮なくタイを頂くよ」
そう言ってぱく、とタイを頬張った。その顔にはニヤニヤとした笑みがこびり付いている。
「…………もしかして」
「どうした? すずも寿司食べたらどうだ。もっとも、オレのほうの寿司はなんともわびさびのない寿司だったけどな」
「ヒナミさん、今の醤油を垂らす確認方法の下りって……」
「ああ、嘘だよ」
「ぐっ……それでカマをかけて、ぼくの反応を見たってこと? 汚い……」
「フフ……マグロだけにカマをかけたってか。それにしても汚いたぁずいぶんな言い草だな」
爺さんは楽しそうに言葉を返してくる。そしてひとしきり笑った後、彼は真面目な顔になった。
「ただな、すず。物事を言葉通りに受け取らないで、そのもう一歩先を見るって言うのはかなり大切なことなんだぜ」
「どういうこと?」
「オレの説明に説得力はあったかもしれないが、冷静になって考えてみろ。今の話ははじめからおかしいんだ。ほら、この寿司はどうやってこの家に届けられている?」
ぼくは少しだけ考えて、気が付いた。
「配達の人の、バイクか車に揺られている」
「そう。職人が握った直後の寿司ならいざ知らず、宅配寿司に関しては箱詰め、配達、開封と仲介の行程が余りにも多い。さっきの論理は明らかに破綻しているんだよ。それは言ってしまえば、少しヒントを与えたら小学生でもわかるような話だ」
暗に小学生レベルと罵られたように感じたぼくは、ぐっと爺さんを睨みつけた。
親戚四人組の麻雀で珍しい役でも出たのか、少し離れたところで歓声が上がったけれど、ぼくの耳には全然届かなかった。
悔しい。
単純な手に引っかかったのも悔しいし、ヒナミの爺さんにその程度のレベルだと思われたことがもっと悔しい。
その悔しさを紛らわすために、右拳を強く握り、爪を掌に食い込ませた。痛みがぼくの頭を冷やしていく。
それを見た爺さんが、ぼくに優しい声をかけた。
「すず、これだけは覚えておけ」
「なに」
思わず不機嫌さマックスの声で応対する。
「ゲームは、楽しいもんだぜ」
一瞬煽られているのかと思ったけれど、彼の柔らかい笑顔を見ていると、そうじゃないんだろうなと気が付いた。
でも、それに対して頷けるほど、ぼくは大人じゃなかった。
「第二ゲーム、やりましょう」
思わず言葉に力が入る。爺さんはそのままの表情で、「ああ」と頷いた。
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