第2ゲーム:寿司ゲーム①
親戚に、ヒナミと呼ばれる爺さんがいた。
後に聞いた話によるとヒナミは苗字で、本名は
中学生を卒業したきり連絡を取っていないけれど、ヒナミの爺さんがぼくの人生に与えた影響は多大で、彼のお陰で今のぼくがあると言っても過言ではなかった。
ぼくの、ゲームが好きなところも。
ぼくの、色々と考えこんでしまう癖も。
全部、ヒナミの爺さんの影響だ。
その趣味と悪癖のお陰でさっちゃんと出会い、交際に至ったということを考えると、やはり彼に人生を変えられてしまっているのだろう。
また会って大学生になったぼくの顔を見せてあげたいと思うのだけれど、今ではもう連絡を取る手段がなくなってしまった。
順を追って話そう。
ぼくが高校にあがるくらいまでは毎年元旦に親族で集まる習慣があり、多い時は二十人規模で集会が行われていた。
そこに出席すると、小さかったぼくにしてみれば莫大な金額のお年玉がもらえるだけでなく、おせちや寿司、ローストビーフなどかなり贅沢な食事にありつけたので、行くこと自体は苦痛ではなかった。
ただ、年齢の近いいとこやはとこが来ない年はおじさんたちのよくわからない話を聞くか弟と遊ぶかの二通りしかなく、退屈な半日を過ごすこともしばしばあった。
しかしそんな非日常な集会も、年齢層の高齢化に伴いなくなってしまい、そこでしか繋がりのなかったおじさんやおばさんとは今となってはもう二度と会えなくなってしまった。
もちろん、親や祖父母に頼み込んだらいくらでも間を取り持ってくれると思うけれど、そこまでのモチベーションがないというのも事実だ。
ヒナミの爺さんを除いて。
どうしてもヒナミの爺さんに会いたかったぼくは親に相談し、親戚ネットワークを駆使したのだけれど、彼の所在を突き止めることはできなかった。
元々、定職につかずふらふらと生きているような人らしかったので、捜索依頼などは出されず、「まあ尊さんだしね」という結論が出た。
どんな人なんだよ、と一瞬思ったけれど、確かにぼくの記憶の中の爺さんは、そういう感じの人だった。
あれはある年の親戚の集いの出来事。
たまたま弟が風邪を引いていて、ぼく一人で親戚の集まりへ顔を出した回があった。
両親は弟の面倒を見るために家にいることを決めていたけれど、会場は家から電車で一時間もかからないところで、ぼくももう中学生だったので、どうしても行きたいと頼み込んだらすんなり両親の許可が出た。
しかしその日は年の近いいとこやはとこも来ず、ぼくは関係性のよくわからないおじさんたちが麻雀を打ったりおばさんたちが世間話をしたりしているのを横目に寿司をつまむ羽目になっていた。
麻雀のルールはあまりわからない。かといっておばさんトークにも混ざれない。
寂しく輪に入ることができないでいると、ぼく以外にもう一人、輪に入れていない人を発見した。
それが、ヒナミの爺さんだった。
「おじいさんは麻雀打たないの?」
ぼくは少しだけ勇気を振り絞って、彼に声をかけた。
彼は少しだけ驚いた表情をして、「フフ」と笑った。笑うと目じりにシワができるタイプだった。
「まあ、打てはするかな」
「ふうん。あのおじさんたちに混ざらないの?」
そう言うと、麻雀を打っている親戚のおじさんがぼくのほうを振り返って、「おっ、鈴也くん。ヒナミさんに話しかけるたぁなかなか筋がいいな」と言った。
「どういうこと?」
「ヒナミさんは伝説の勝負師だからな、僕たち程度じゃ相手にならないんだよ」
「そうそう。ヒナミさんは麻雀で生計を立てていた生粋のギャンブラーだからな」
「……」
ぼくは怪訝な顔でおじさんたちを見た。正直に言うと親戚ジョークだと思った。
「ヒナミ……さん? 今の話本当なんですか」
「まあ、半分あたりで半分外れってとこかな」
なんだ、やっぱり少し盛られた話だったんだ。そう思った瞬間、爺さんは言葉を続けた。
「オレは麻雀専門ってわけじゃない。おおよそゲームと呼ばれる類のものは一通りやっている」
「……というと、ブラックジャックとか、ポーカーとか? ヒナミさんはそれで生計を立てていたってこと?」
「フフ、よく知っている。生計を立てる、と言うのがどういうことを指すのかいまいちわからないが、特に会社に勤めた経歴もないから、まあ、そういってもいいのかもしれないな」
ぼくは唖然とした。
この世の大人の大半が高校や大学を出て、会社に勤めている。その人生のレールからこれでもかというほど外れている人が、こんな身近にいただなんて。
そもそも、パチンコやギャンブルは胴元が勝つようにできていると聞く。そんなシステムなのにそれで生計を立てるだなんて可能なんだろうか。
「相当強くないとプラスにならないと思うんだけど」
「なら、オレは相当強かったんじゃないかな」
「……じゃあ、例えばいまからぼくと何かゲームしたら、ヒナミさんは勝つ自信ある?」
そう言うと彼はじっとぼくの方を見た。
その目は、少年のように輝いていた。
「フフ……どんなゲームをする?」
この瞬間ぼくは、ヒナミの爺さんに大きな興味を持った。
「やるゲームは、寿司ゲーム」
「……ほう。それは初めて聞くゲームだな」
ぼくは小さな机の上に宅配寿司の入った大皿を置いて、ヒナミの爺さんと向かい合って座った。
「いま考えたゲームだからね」
「オリジナルか。そりゃいい。じゃあルールを聞こうか」
大皿の中には寿司が数個入っている。若者が少ないせいか、いつもなら余らないマグロやタイもたくさん残っていた。
「ヒナミさん、この寿司は食べた?」
「いくつか食べたかな」
「だったら気が付いたと思うんだけど、この宅配寿司は全品わさび抜きなんだ」
まだ中学生のぼくに配慮してくれたのか、さび抜き寿司しかなかったのかはわからないけど、全ての寿司にわさびは入っておらず、別途各々で付けるタイプのものだった。
ぼくはそれを利用するシンプルで面白いゲームを思いついた。
「ゲームは野球の一イニングと同じで、攻守一回ずつ。一ゲームで使うのは、寿司ふたつとわさびだけ。まず、攻めはどちらかの寿司にわさびを仕込む。もちろん守りはその間、寿司を見ない。仕込み終わったらどっちの寿司にわさびが仕込まれているかを予想して自分が食べる寿司を選択。攻めは守りが選ばなかった方を食べる。わさび入りを食べたほうの負け、っていうゲームはどうかな」
要するに、わさびの入っていない寿司を選ぶゲームだ。
これならトランプやボードも必要ない。この場にある物品だけでできるし、敗北と罰ゲームを兼ねていてスリルがある。それに基本的には理詰めのゲームではなく二者択一を当てる運否天賦のゲームなので、ぼくにも勝ち筋があるように思った。
「もちろんだけど、ネタを捲って事前確認するとかは無しね。一度箸で触れたらその寿司を選択した、ということで」
「それは当然だな。じゃあひとつだけ、確認していいかな」
爺さんが手を挙げる。ぼくはそれを目で促した。
「一勝一敗だった場合はどうする? サドンデスでもするかい?」
「うーん。その時は引き分けってことにしたい」
ギャンブルで生計を立てている人とゲームで引き分けた、という結果はぼくにとって十分勝利だ。だからあえて引き分けをありにした。
彼はその魂胆に気付いたのか気付いていないのか、「わかった」と首を縦に振る。
「じゃあ、ぼくが先にわさびを仕込む攻め側でいい?」
「ああ、どちらでも」
そう言って彼は、新しい割り箸を二本持ってきてテーブルの上に置いた。寿司のネタを一度触れる以上、新品の箸を使った方がいいということだろう。
ぼくがお箸を割ったのを見て、彼は体ごと後ろを向けてテーブルから目を逸らした。
「じゃあ、寿司ゲーム一回戦、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
こうしてぼく、久野鈴也と伝説の勝負師、樋波尊のゲームが幕を開けた。
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