2-5

 まったく興味なさそうに頷いて、クロードがパチパチと手を叩く。


「勉強の成果が出ていますね。男爵家の令嬢まで覚えているとは」


 覚えているのは、そのせいじゃないけどな。


 彼女こそが、この乙女ゲーム『黎明のアタナシア』のヒロインだからだ。


 身長は146cm、小柄で細身、かなり華奢なタイプ。胸もかなりささやか。チョコレート色の柔らかそうなストレートヘアに、同じくチョコレート色の零れそうな大きな瞳。

 設定上の性格は、明るく素直で清らか。純真無垢、天真爛漫、素朴で飾らない心優しい女の子だ。まったくそんなようには見えなかったけれど。


 前にも言ったけど、『黎明のアタナシア』は、平凡な男爵令嬢のヒロインが社交界でさまざまなイケメンたちと出会い、恋をすることで、内なる聖なる力が目覚め――その後は攻略対象によって違うけれど、だいたい世界や国を救い、多くの人々に愛されて幸せに暮らすという内容だ。


 ゲーム自体はプレイしていないから、年齢的にゲームがはじまっていることはわかるけど、今はどの段階なのか、アデライードの破滅までどのぐらいの猶予があるかなどはまったくわからない。


 だから、僕にできることは、基本的には味方に引き入れたクロード以外の攻略対象とヒロインを避けて避けて避けまくることなんだけど――あれだけアレな人たちだとそれも少し不安だな……。


 アレな人っていろいろと斜め上過ぎて、ザ・普通の人な僕の想像が及ばないところがあるから。


 先が不安過ぎてため息をついていると、馬車が止まった。


「さ、着きましたよ」


「え?」


 馬車を降りると、そこは活気のある賑やかな街だった。

 視線を巡らせると、遠くに大きな船が見える。そして――潮の香り。


「港町……ですか?」


「ええ。貿易会社や卸売業者が多数あります。一つずつ回りますよ」


「ええと……なにをするつもりなのか訊いても?」


「良いお茶を仕入れようと思っています」


 思ってもみなかった言葉に、僕はパチパチと目を瞬いた。


「お茶を?」


「ええ、緑茶に紅茶……ほかにもいろいろとあるそうですね? それらを仕入れます」


 あ……なるほど。それで僕を連れてきたのか。目利きをさせるために。


「わかりました。お茶の用途を教えてもらえますか?」


「用途……ですか?」


「ええ、ざっくりで構いません。お茶にもいろいろあるので、選ぶ基準がほしいんです」


 たとえば、夫人たちのお茶会で甘いものと一緒に供される紅茶と、スモーキングルームで紳士がハムやナッツをつまみに飲むそれとでは、選ぶ茶葉は違う。


 誰が、どんなシーンで飲むかは大事だし、さらに言えば、アイスで飲むのかホットで飲むのか、それだけでも変わってくるから。


 僕がそう言うと、クロードは歩き出しながら、人差し指を唇に当てた。


「この国で、お茶を好んで飲む人間はほとんどいません。いえ、むしろいないと言っても過言ではありませんね。好んで飲まれるのは基本的にコーヒーとショコラです。そんな中、美味しいお茶が供されるパーティーやサロンが開かれたら……それは話題になると思いませんか?」


 そういえば、たしか一七七〇年のマリー・アントワネットがフランスに輿入れした際の結婚祝いパーティーで用意された飲みものは、コーヒーが一六三〇〇杯、ショコラが一四五〇〇杯、紅茶が三八〇〇杯と、紅茶はコーヒー・ショコラに比べて三分の一以下だったはずだ。それよりも状況が悪いってことだろ? そりゃ、珍しいし、話題にはなるだろうな。


「そうですね。やり方さえ間違えなければ、参加者にほかにはない驚きと感動を味わっていただくことができますよ。上手くやれば、爆発的なムーブメントを起こせるだけじゃない。新たな文化を産むことすら可能でしょうね。お茶にはそれだけの力があります」


「欲しているのは、まさにそれです」


 クロードが隣に並んだ僕をチラリと見て、頷いた。


「男性には男性の、女性には女性の社交界――戦場があります。奥さまとアデライードお嬢さまに女性の社交界で大きな力を持っていただきたい」


「え? 今さらですか? すでにローゼンダール公爵家は、陛下に影響を及ぼすことができるほど大きな力を持つ家門だと認識しているんですが……」


「ええ、それは間違いありません。ですが――」


 クロードが小さくため息をついて、肩をすくめる。


「実は女性コミュニティにおいて、奥さまの発言力はあまり強くありません。奥さまはあまりにも人がよろしいと言うか……腹芸に向かない性格でいらっしゃいます。熾烈なマウントの取り合いや笑顔の下で腹を探り合うようなことが行われているギスギスした空気も苦手で、そのためサロンを開いてはおらず、パーティーも最低限しか催しません。参加もまた然りです」


「あ……。それはなんとなくわかります」


 ローゼンダール公爵夫人は穏やかで優しいおっとりさんだ。ふわふわ~っとした印象。


「社交界デビューしたばかりのアデライードお嬢さまは、奥さまと違って気はお強いのですが……その……曲がったことが許せない非常にまっすぐな性格でいらっしゃいまして……」


「あー……。つまり、奥さまとはまた違った意味で腹芸には向かないと……」


「そうなのです……」


 たしかに、だからこそアデライードは若くして死か破滅を迎えちゃうんだよなぁ……。


 ヒロインを虐める狡賢い令嬢たちの隠れ蓑に利用されたうえ、そのヒロインの無礼な振る舞いやマナー違反を見て見ぬフリも、適当に流すこともできず、馬鹿正直に真っ向から指摘し、叱責して、ヒロインとヒロインに恋した攻略対象たちから悪者認定されちゃったのが、わりとすべての原因だ。


 そして、それがあれよあれよという間に悪い方向に転がっていったという――。


 里菜ちゃん曰く、品行方正、清廉潔白、そして謹厳実直なアデライードお嬢さま。


 だけど、世の中はまっすぐで綺麗なだけじゃ渡っていけないっていうことだ。

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