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 しかし、そんな口答えは許されない。僕は玄関ホールへと降りていって、オズワルドさんの前に立った。


「王国の若き太陽にご挨拶申し上げます」


 指先まで気遣いながらドレスをつまんで軽く持ち上げつつ、片足を斜め後ろの内側へと引いて、優雅にお辞儀をする。


 よし! 角度もいい。ドレスの裾の揺れも完璧。これは文句のつけようがないだろう!

 ――って、僕は思ったんだけど……。


「ふむ、よいですね。八十七点といったところでしょうか。合格です」


 オズワルドさんが言うことには、まだ九十点にも届いていないらしい。――マジか。厳しい。


 チラッとクロードを見ると、彼は冷たく僕を見下ろして「まだ頭の中でいちいち確認をしながらおっかなびっくりやっているのが丸わかりです。公爵令嬢の所作ではありませんよ」と言う。


 し、仕方ないだろぉ!? 実際、教わったことを確認しながらやってんだから!


 身体はアデライードのもの。無意識下では彼女のクセも出しているそうだけど、それでも中身はやっぱりアラサー男性。意識してアデライードの『淑女としてのふるまい』ができるわけがない。


 だけど、実際それでは困る。アデライードの中にアラサー男性がいるなんて、ほかの人にバレるわけにはいかないからな。


 ――ってことで、実は、クロードとリナに話した翌日、彼らの判断でオズワルドさんには事情をすべて話して協力してもらうことになったんだ。


 テーブルマナーにかんしては、まったく問題なし。でもそれだけだ。それ以外の『淑女としてのふるまい』は全滅。僕は歩き方からなっていないそうだ。そりゃそうだよ。ドレスに踵の高い靴で歩いたことなんかないし。


 まぁ、そういった事情で、僕は今、オズワルドさんとクロードから、急ピッチで『淑女としてのふるまい』を叩きこまれているところなんだ。これが難しい難しい。


 叩きこまれているのは仕草やふるまいだけじゃない。知識もだ。貴族の、そして社交界のルール、マナー、アデライードの人間関係、覚えておくべき関係の深い貴族、さらにはこの国の一般常識、歴史、現在の世界情勢まで。おかげで頭がパンパンだ。


 アデライードの中の僕――神崎克之について知っているのは、この三人だけ。オズワルドさんとクロード、そしてリナ。


 公爵と公爵夫人――つまりアデライードの両親を含む屋敷の者たちの認識では、事故後の記憶の混乱がまだ続いていることになっている。

 そして、厳しい緘口令を敷いているので、屋敷外にはアデライードの様子は漏れていないそう。


 これについては、少しホッとした。僕がアデライードの評判を落とすわけにはいかないし。


 あ、ちなみに、オズワルドさんにはもちろん、クロードとリナにも、僕の年齢は言ってない。


 いや、言えないって。さすがに。言ったが最後、マジで殺されると思う。身体がアデライードであろうとも。そんな辱めを受けるぐらいなら死んだほうがマシなはずですって。


「ふむ、歩く姿勢もだいぶよくなってきましたね」


 ホールのドアを開けたオズワルドさんが、僕を見て微笑む。


「ダンスもその調子でお願いいたしますよ」


「う……。はい……」


「まずはカドリールからおさらいいたしましょう」


 オズワルドさんがパンと手を打つ。と同時に、クロードがひどく優雅な仕草で片手を差し出す。

 僕は内心ため息をつきながら、その手に自分のそれを重ねた。


「今日こそは、足を踏まないでくださいね」


「……努力はする」


「……そろそろ、精神だけにダメージを与える方法を考えなくてはいけませんね」


「絶対にしない! 大丈夫だ! 僕を信じてくれ!」


 僕はやればできる子だから!


「はい、1、2――……」


 クロードのドスのきいた脅しに震えながら、オズワルドさんが刻むリズムに合わせて必死に足を動かす。


 ああ! ドレスってマジで重いっ! そして邪魔っ!

 踵の高い靴も動きづらいったら! どうせ足はしっかり隠すもの。靴先がチラッと見えるぐらいなんだから、動きやすいペタンコ靴でもいいじゃないか!


「――はい、カドリールは合格です。次はワルツを」


 う。


「ワルツがなぁ……。密着度が高いのが本当に……」


 するりと腰に回された大きな手に、ため息をついてしまう。


「お互いさまでしょう。俺だって嫌ですよ」


「いや、そっちはまだいいんじゃないですか? アデライードお嬢さまは稀に見る美人なわけで。むしろ役得って言うか……」


 その言葉に、クロードが冗談じゃないとばかりに吐き捨てる。


「はぁ? 冗談は存在だけにしてくださいよ。美しくてなめらかな手触りの最高級ビロード生地のクッションでも、中に詰まっているのが汚物だとわかってて、誰が喜々として抱き締めるんです?貴様にはそういった性癖があるのかもしれませんが、俺は違います」


 ぐうの根も出ないほどのド正論だけど……汚物はひどくない? 傷つくんだけど。

 そして、僕にもそんな性癖はない。――悪かった。役得だなんて言って。


「これ、ツラくて仕方がないという顔をしない」


 オズワルドさんがめっとばかりに顔をしかめる。


「常に微笑みを絶やしてはいけません。あなたは今、アデライードお嬢さまなのですから、誰もが見惚れる花であることを心がけてください」


 ……今まさに汚物扱いされた人間に、無理を仰る。


「はい、もう一度いきますよ。1、2、3――……」 

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