第二章 働かざる公爵令嬢(中身アラサー♂)食うべからず
2-1
「どういうことだ!」
お茶を淹れに行こうと部屋のドアを開けた途端、大声が響き渡る。
僕とリナは顔を見合わせ、そっとドアから顔を出した。
「見舞いに来てやったというのに! この私を門前払いするつもりか! 無礼な!」
あれ? 誰もいない……。
かなり大きな声だから、すぐそこの廊下で騒いでるんだと思ったけど、どうやら違ったらしい。
リナが「玄関ホールのほうみたいですねぇ」と言う。――嘘だろ? ここ三階だぞ。あの音量でここまで聞こえるって、どんだけの大声だよ。
「なんかトラブルかな?」
僕らはもう一度顔を見合わせ、玄関ホールへと向かった。
三階まで吹き抜けの玄関ホール。等間隔に並ぶ精緻な彫刻が施された白亜の柱に、顔が映るほど磨き込まれた大理石の床。キラキラと煌めく豪奢なシャンデリア。優美な曲線を描く高い天井は、息を呑むほど素晴らしいフレスコ画で彩られている。
僕らは三階からこっそりと下の様子を窺った。
初日に会った、執事のようないでたちの上品な老紳士――オズワルドさん(実は執事じゃなくて家令だったんだけど)とクロードが、女性を連れた金髪の青年と相対している。
あれ? あの顔って……。
「あ、王太子殿下ですねぇ」
眉を寄せた途端、リナが回答をくれる。だよね?
このアナタシア王国は王太子――フランツ・ヴァーリック・ジェス・アタナシア。
年齢はアデライードの二つ上の二十歳。ゆるいカーブを描く金髪に金色に輝く瞳。神経質そうな眉に甘やかな唇――高貴な感じの美形だ。
里菜ちゃん曰く、『オレサマ系』。設定資料では、性格は傲慢で我儘。気まぐれでかなり自分勝手。感情の波が激しい激情型。基本的に他人を信用せず、そのためひどく残酷で残虐なふるまいをすることもあるって書いてあった。
たしか、一番人気の攻略対象だったはず。
そんでもって、隣にいるのって……ヒロインだよなぁ?
トロリとした艶のあるチョコレート色のストレートヘアに、同じくチョコレート色の大きな瞳。
『普通』とか『平凡』を絵に描いたような感じ。素朴で可愛らしいけれど、アデライードのような圧倒的な美少女というわけではない。
乙女ゲームの主人公って、わりとそういうキャラデザが多いって聞いたな。
プレイヤーがより自己投影しやすいようにするためだとかなんとか。
「いえ、門前払いなどとんでもございません」
オズワルドさんが穏やかな声でなだめるように言う。
「ただお嬢さまは、先日の事故より体調を崩したままでございまして……」
「だから、見舞いに来てやったんだろうが! 王太子たる私がだ! 出てきて挨拶ぐらいするのが礼儀だろう!」
ん……? 今、なんかニュアンスが変だったぞ? 出てきて……? ええっ!? ちょっと待て!見舞いたいからアデライードの寝室に通せって言ってんじゃないの!? それでも大概な話だけど、具合が悪いアデライードに身支度して出てきて挨拶しろって言ってんの!? はぁ!? 馬鹿なの!?
「せめて、アポイントメントをとっていただけていれば……」
しかもアポなしかよ! 非常識!
「どうしてこの私が、アデライードなんぞにお伺いを立てなきゃいけないんだ!」
唖然とする僕に――しかし王太子殿下の返答はさらに斜め上を行く。ちょっと王太子さまー!? 礼儀って知ってるー!? ってか、仮にも婚約者を見舞うのに女連れで来るってどういう了見だよ?
しかも、アデライードなんぞって!
ああ、今、ものすごくアデライードお嬢さまに言ってやりたい。あんな男、お嬢さまが執着する価値なんてないって。ヒロインに熨斗つけてくれてやれ。あんな男のために、若くして破滅か死を迎える運命とかマジで不幸すぎるから。やめとけやめとけ。アデライードお嬢さま、もっと自分を大切にしよう! なっ!
『なんぞ』呼ばわりに、リナもむぅっと眉を寄せる。
「最低ですね……」
「顔はいいのにね」
「え~? 顔いいですかぁ?」
え? 顔は抜群にいいんじゃないの? だって乙女ゲームの攻略対象だよ? しかも一番人気。
「お顔の芸術点で言うなら、アデライードお嬢さまさまのほうが圧倒的に高得点だと思いますけど。アデライードお嬢さまに比べたら、あんなのイモもイモですよぉ」
――里菜ちゃんみたいなこと言ってる。こっちのリナもアデライード推しだったか。
いや、でも、実際顔はいいよ。めちゃくちゃいいよ。顔だけだけどな。
そんなことをコソコソと話している僕らの視線の先で、クロードがそっと息をつく。
「高熱を出してらっしゃるのですよ?」
「どうせ嘘だろう? 私の気を引くためにそう言っているだけだ。いつものことだ」
あ。今の言葉、イラっとした。
たしかに嘘だけど、ピンシャンしてるけど、お前の気を引くためじゃねーわ! 勘違いすんな!
「いえ、本当に高熱を出して伏せっていらっしゃいます。殿下もご存じでしょう? 一時は呼吸が止まったのです。幸い意識は戻りましたが……あれからまだ一週間も経過していないのですよ? 気を引くためなどではございません。本当にお加減が悪いのです」
「だから! 見舞いに来てやったんだろうが! この私が!」
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