1-4

 アデライードはショコラが好きだったのかな? この三日間、お茶の時間に出てくるのはずっとこれだけど。

 いや、美味しいよ? 美味しいんだけど……僕には甘すぎるんだよなぁ……。


「あの……さ、よければお茶が飲みたいんだけど……」


 用意してもらったものにケチをつけているようで心苦しさを感じながらおずおずと申し出ると、リナが意外そうにパチパチと目を瞬かせ、さらに心配そうに顔を曇らせた。


「お茶……ですか? お嬢さま、やっぱりお加減が悪いんですか?」


「え? なんで?」


「だって、お薬を飲みたいだなんて……」


「あー……」


 ――なるほど。この世界ではまだお茶を薬として飲んでるのか。


『黎明のアタナシア』の世界観は、十九世紀半ばから末あたりのヨーロッパがモデルとなっている。

 そうは言っても魔物が存在するような異世界で、科学の代わりに魔法が発達している設定のうえ、ゲームの進行においてノイズになるようなところは調整していたりするから、その時代にあるべきものがなかったり、逆にあるはずのないものがあったり――そのあたりはわりとゴチャゴチャだ。


 たとえば、光の魔法があるから、ボタン一つで部屋の照明をつけられるし、水の魔法があるから、上水道も綺麗に整備されていて、お風呂は自動給湯こそ、トイレはウォシュレットこそないものの、どちらもほとんど僕の知っているそれと変わらない。

 でも、もうすでにその時代にはあったはずの鉄道や蒸気自動車、初期のガソリン自動車なんかは影も形もなかったりするんだ。


 僕は小さく肩をすくめた。


 たしかにヨーロッパでは、お茶が薬として飲まれていた歴史がある。だけど、十八世紀初頭には貴族たちの間で嗜好品として飲まれるようになってきていたし、アフタヌーンティーも十九世紀の半ばにはじまったって話だから、すでにあると思ったんだけどなー。そうかぁー。


「とくに調子は悪くないよ。ただ、ええと……たまには気分を変えたいって言うか……」


「気分転換にしても……お茶をですか? お薬ですよ? 美味しいものではないのに……」


「…………」


 いや、お茶は美味しいよ?

 あ……。でも、そっか。お茶の美味しさを知らない人に、美味しく淹れられるわけないよな。


「あの……よかったら、そのお茶を見せてくれないかな?」


「えっ? え、ええ……。それは構いませんけれど……。じゃあ、すぐにお持ちいたしますね」


 リナが戸惑いがちに頷く。僕は首を横に振って、立ち上がった。


「いや、僕……じゃない。わたくしも一緒に行くよ……行きます」


「えっ!?」


 いや、だって、どうせ僕が淹れるなら、茶葉を部屋まで持ってきてもらうより、僕がキッチンへ行くほうが効率的じゃないか。二度手間にならなくて済む。


「で、ですが、お茶は……」


「うん、キッチンかな? パントリーかな? 一緒に行くよ」


「ええっ!? お、お嬢さまが、キッチンにですか!? お嬢さまが!?」


 リナが今度こそ信じられないとばかりに目を剥く。

 あ、そうか。この時代のお嬢さまって、キッチンに出入りしたりしないっけ。


「まぁ、そういう気分のときもあるんだよ……あるのよ」


 ――お嬢さまぶりっこって難しい。


 こんなんでこれからやっていけるのかと不安に苛まれながら、戸惑っている様子のリナとともにパントリーへ行く。


「クロードさぁん」


 ドアを開けて中を覗くと、片眼鏡(モノクル)をかけた燕尾服姿の執事が振り返る。

 背中まであるエヴァ―グリーンの髪を一つに纏め、涼しげで切れ長の深緑の瞳が僕らを捉える。


 背は185cmぐらいだろうか。スラリと高く、スタイル抜群だ。一目で鍛え抜かれているのがわかるのに、物腰はあくまでも優雅。仕草は優美。気品溢れるといった感じで、とても絵になる。


 なのに、なんだろう? この目つきの悪さ。いや、悪いっていうか……ヤバい。尋常じゃない。え? なにこの人。執事じゃないの? 殺人鬼かなにか?


 って言うか、この顔……それにクロードって名前も、覚えがあるぞ。


「…………」


 僕は彼を見つめたまま少し考えて、ポンと手を打った。


 そうだ! この人、攻略対象だ!


 クロードと名乗り、ローゼンダール家で執事をしているけれど、本当の名前は、クラディウス・シグ・ファーレンハイト。二十年前に反逆に加担したとしてお取り潰しになったファーレンハイト侯爵家の四男だ。

 匿ってくれて、養ってくれたローゼンダール公爵への恩義に報いるために執事になったって話。


 まぁ、そこまではいいんだけど、幼いころに家がお取り潰しになったせいで華やかな貴族たちの腹の中や裏の顔など、人の醜さを凝縮したようなものをたくさん見てきたからか、性格に難あり。黒の上に黒を塗りたくったような、それこそ『腹黒』を超えた『腹闇』で誰にも心を開かないって設定だったはずだ。しかし、ヒロインだけが唯一の例外で、彼の本心に触れられた――っていう。


「……なにかご用でしょうか?」


 クロードが殺人鬼候の温度のない無表情で僕を見る。――マジか。仮にも自分が仕える公爵家のお嬢さまに対して、その態度。表情筋、もう少し仕事しろよ。


「お、お茶を見せてほしいんだけど……」


「お茶……ですか?」


 怪訝そうに、面倒臭そうに眉を寄せたものの、奥からガラスのキャニスターを持ってきてくれる。おい、待て。どこで仕事してるんだよ、表情筋。今のは顔に出すなよ。


「こちらが一番質が良いものです」

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