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 とにかく僕は、乙女ゲーム『黎明のアタナシア』のキャラクター――悪役令嬢のアデライード・ルカエラ・リズ・ローゼンダールになってしまった。


 アデライード・ルカエラ・リズ・ローゼンダール――ローゼンダール公爵家の娘で、現在十八歳。十歳のころに、王太子――フランツ・ヴァーリック・ジェス・アタナシアと婚約しており、将来は王妃となる身だ。


『黎明のアタナシア』は、平凡な男爵令嬢のヒロインが社交界でさまざまなイケメンたちと出会い、恋をすることで、内なる聖なる力が目覚め――そこからの展開は攻略対象によって変わるけれど、だいたい世界や国を救い、多くの人々に愛されて幸せに暮らすという内容になっている。


 その中で、悪役令嬢のアデライードは、どのルートでも必ず破滅か死を迎える運命だ。


「たしか里奈ちゃん情報によると、王太子ルートでは婚約破棄されたうえで公爵家からも勘当され、国境近くの修道院に幽閉されるはず。騎士ルートでは、魔物に襲われて死亡、魔法使いルートでも、クーデターに巻き込まれて騒乱の中で死亡するはず……」


 僕はそう呟いて、思い出せるかぎりの設定を書き散らした紙に視線を落とした。


「いやいや、どのルートも悲惨すぎないか!? そりゃ、虐めはよくないことだけども!」


 やり直す機会も与えてあげてくれよ! 人間は反省できる生きものだから!


 しかもその虐めだって、里奈ちゃん曰く、アデライード自身は一切してないって話じゃないか。

 ヒロインに嫉妬した令嬢たちが『アデライードのため』を大義名分として――つまり言い訳って言うか、そう正当化したって言うか、とにかく全責任をアデライードに被せつつやっていたらしい。


 アデライードがしたことと言えば、身分関係なく好き勝手に振る舞うヒロインを厳しく叱責し、貴族社会での礼儀と貴族の令嬢としての礼節を守るよう再三に渡って要求した――ぐらいらしい。

 ときには衆目のある場で声を荒げることも、パーティー会場から追い出したこともあったけれど、どれもそもそもヒロインが礼儀や礼節を守っていれば起こらなかったことだと聞いている。


「それなのに、これはないよなぁ……」


 すべてのツケを一人で払わされるなんて、あんまりにもあんまりだ。

 そうは言っても、それがこのゲームにおいての彼女の役割なんだから仕方がないんだけど。


「問題は、その『アデライードさま』に僕が宿っちゃったってことだよ……」


 正直、三日経った今もいったいなにが起きたのか、起きているのか、まったくと言っていいほど判明していない。わかったことといえば、どうやらこれは夢ではないらしいってことだけだ。


 僕は死んだのか、それとも生死の境にいる状態なのか、ただ寝ていたら魂がお出かけしちゃっただけなのか、そのあたりの記憶がまったくなくてわからない。


 アデライードに宿ったのも、ゲームのキャラクター相手にそんなことがありえるのかわからないけれど、死んだ僕がアデライードに転生したのか、僕の魂が憑依しただけなのかもわからない。


 今、アデライードの意識がどうなっているのかもわからないし、今後どうなるのかもわからない。僕は僕の身体に戻れるのか、それとももう戻る身体なんて存在しないのかすら。


 とりあえずはっきりしていることは、さっきも言ったけどどうやらこれは夢ではないし、だから待っていても目が覚めることはない。

 つまり、僕は少なくともしばらくの間は、アデライードとしてやっていかなくちゃいけないってことだ。


「十八歳の女の子の身体にアラサーの男が入ってるとか……もはや犯罪だろ……」


 アデライードにとって、これはもはや若くして死か破滅を迎える運命よりもキツいことなんじゃないかって思う。


 どうか、この世界の神さまは、僕がアデライードの身体を離れたとき、彼女に僕が彼女の身体を使っていた間の記憶を残さないであげてほしい。


 風呂とか着替えについては、そこは公爵令嬢だからお付きの方々がすべてお世話してくれるから、目隠しをして心を無にすることでなんとかやれている。トイレにかんしては聞かないでくれ……。


「ゲーム自体はどうやらもうはじまってるっぽいんだけど……」


 正直、それどころじゃないんだよなぁ……。


 っていうか、現在の状況なんてほとんどわかってない。なにせ僕、ゲームは未プレイなもので。グッズの監修をするために、いただいた設定資料を読み込んだのと、ゲームとアデライードさまの大ファンの里奈ちゃんの熱の入った語りを聞いただけなんだよね。


「さて、これからどうするか……」


 もちろんヒロインを虐めることはしないけど、そもそもローゼンダール公爵令嬢として社交界の花をやること自体、僕には無理だぞ? 繰り返すけど、中身アラサーの男だから。

 ご令嬢たちとのマウントの取り合いとか、イケメンたちとの恋の駆け引きとかも、全部無理!


 でも、なにもしないでいたらゲームの展開どおりになって一年後には死か破滅を迎えるんだろ? はい、詰んだ! 完全に詰みました!


「……どうするんだよ……」


 頭を抱えたそのとき――ノックの音が室内に響く。


「え? あ! はい!」


 返事をすると同時にドアが開き、ワゴンを押したメイドさんが「失礼します」と入ってくる。


「あ……里奈ちゃ……リナさ……ええと、リ、リナ……」


 彼女はアデライードの専属メイドらしい。公爵令嬢の専属なら侍女じゃないのかって思ったけど、どうやらこの世界に侍女って概念はないらしい。なんでだろう? 侍女よりメイドのほうがキャラ立ちするからかな? まぁ、わかる。クラシカルなメイド服っていいよね。


「はい、リナですよ~。……まだお加減がよろしくないようですねぇ、お嬢さま」


 しどろもどろな僕に、里菜ちゃ……ええと、リナが心配そうに眉を下げる。


 太めのおさげは鮮やかなストロベリーブロンド。同じ色の大きな瞳にトンボ眼鏡の美人さんだ。


 僕――神崎克之のアシスタントをしてくれていた本庄里奈ちゃんを彷彿とさせる明るさと笑顔。天真爛漫さ。名前も同じ『リナ』だし、ついつい『里菜ちゃん』と呼びそうになってしまう。


「ショコラとナッツを用意しました。元気出してくださいね」


 日当たりのいい窓辺のテーブルに、ほかほかと湯気が上がるショコラ――ホットチョコレートを置いてくれる。僕は小さく肩をすくめた。

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