1-2
瞬間、仮装女性が青ざめる。
「な、なにを言っているの? アデライード。わたくしは……」
「いや、アデライードって誰のことですか? 僕は神崎というのですが……」
そう言うと、仮装女性がひどくショックを受けた様子で両手で口もとを覆う。
と同時に、室内にノックの音が響いた。
「奥様、失礼いたします。ドクターをお連れしました」
「あ……! オズワルド! は、早く! 早く入って!」
室内に渋い男の人の声が響いたと同時に、仮装女性がわたわたと立ち上がる。
重たそうな扉を開けて部屋に入ってきたのは、まるで執事のようないでたちの上品な老紳士と、白いひげに埋もれた背の低い老人。そして、クラシカルなメイドスタイルの女性が二人。
僕はガバッと身を起こした。
いや、ちょっと待て! いったいなにが起こってるんだよ? なんでこの人たちは揃いも揃って、普通の格好をしてないんだ!
「ドクター、早く娘を診てやって! 様子が変なの! わたくしがわからないみたいで……!」
「なんですって?」
全員が一斉に僕を見る。彼らの驚いたような表情に、背中を冷たいものが走り抜けた。
いや、違うだろ。なんで僕を見るんだ。その目は仮装女性に向けるべきだろ。二十八歳になったアラサー男性を娘だとか抜かしてるんだぞ? どう考えても、様子がおかしいのはあの仮装女性のほうだろうに。なんで誰もそれを指摘しないんだよ?
なにもかもがおかしい。僕は恐怖を覚えて、ベッドを飛び出した。
「あっ……!?」
足もとがフラつき、一瞬ぐらりと身体が傾ぐ。あ、ヤバい。
しかし、直後にサッと目の前に出てきた白手袋をはめた手が、しっかりと身体を支えてくれる。
「お嬢さま」
僕は激しく首を横に振った。違う! 僕はお嬢さまじゃない!
「急に起き上がっては危のうございます。ベッドにお戻りを」
「っ……放してくれ!」
支えてもらっておいてこんな言い方はなんだけれど、アラサー男性に真顔で『お嬢さま』なんて呼びかけられる人なんかとお近づきになりたくない。
僕は老紳士の胸を手でぐっと押して――ビクッと身を弾かせた。
「は……!?」
抜けるように白く、ピンとハリがあって、水仕事なんか一度もしたことがないんじゃないかって思うほどなめらかな肌。美しく整えられた爪に、折れてしまいそうなほどに細い手首。
え? なんだよ? この手。当然のことながら、僕の手はこんなのじゃない。こんな手を持ったアラサー男性がいてたまるか。
まるで、本当に……そう、深窓のご令嬢のような手じゃないか……!
「っ……!」
僕は老紳士の腕から逃れ、そのままドレッサーに駆け寄った。
「――ッ!?」
鏡に映ったのは、とんでもない美少女。
十七歳か十八歳ぐらいだろうか? 仮装女性と同じ輝かんばかりの金色の巻毛に、けぶるように長い金糸の睫毛。極上のサファイヤのごとく煌めく碧眼。驚くほど透明感のあるなめらかな肌に、薔薇色の甘やかな唇。
美少女は大きな目をさらに大きく見開いて、まっすぐに僕を見つめ返していた。
嘘……だろ……?
震える手でほっそりとした頬に振れる。鏡の中の美少女も、同じく。
「なん、で……!?」
この美少女が、僕だって言うのか――!?
目の前が暗くなる。
「ア、アデライード? いったいどうしたの!? ああ、ドクター。あの子にいったいなにが……」
呆然と鏡を覗き込む僕の背後で、仮装女性が半泣きで医者に縋りつく。
「奥様、どうか落ち着かれて。外傷はありませんでしたので、一時的な混乱かと存じます。とても恐ろしい思いをされたでしょうから……」
「一時的ってことは、治るんですか!?」
「そ、それはまだ……なんとも……」
「それじゃあ困るのよ! あの子はローゼンダール公爵家の一人娘なのよ!? こ、こんな……!」
「も、もちろん、最善は尽くしますが……」
思考が混迷を極めてゆく。
仮装女性と医者の声を背中で聞きながら、僕はずるずるとその場にへたり込んだ。
「いったい……なにがどうなってるんだ……」
◇*◇
「……マジか……」
僕は羽ペンを置き、深いため息をついて天井を仰いだ。
「……詰んだー……」
あれから一週間が経っていた。起き上がれるようになってからは、三日。その間、ひたすら頭の中を整理し、注意深く周りを観察して、現状把握に努めた結果――僕はなんとか一つの事実に行きついた。
どうやら僕は、乙女ゲームの世界に来てしまったらしい。
そして、とあるキャラクターに転生――あるいは憑依してしまったらしい。
なにを言っているのかわからないと思うが、大丈夫だ、安心してくれ。僕もわからない。それが普通だ。こんなの、あっさりと理解できるほうが、あまつさえ受け入れられるほうがおかしいんだ。意味不明で正しい。むしろ、そうであってくれ。
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