第4話

 私とご婦人は無言で、山の中腹に立つ真っ赤な大鳥居を見ていた。

 鳥居までの道には提灯の光が揺れており、参道に沿ってクネクネと蛇行する強い光は、星一つない漆黒の空を燃やしていた。

 提灯の赤が、空を染めている。星の代わりと言うには強すぎる光は、点滅しながら上へ上へと動いていた。


「普通はこういう世界が見えるのは、一駅の間だけなのよ。見間違いかもしれないで終わってしまうほど短い時間だけの時もあるの」

「どうして今日はこんなに長く見えているんでしょうね」


 電車が速度を落とし、赤い鳥居が風景の間に消えていく。真っ黒だった空は次第に明るさを取り戻し、目に痛いほど白い入道雲が広がっていく。


「あなたと一緒だったからかもしれないわね」


 電車が停止し、青々とした草のにおいが熱風と共に私の頬を撫ぜた。濃い緑のにおいが昔から苦手で、思わず息を止める。


「母さん、電車の旅は満喫できた?」


 開いた扉の向こうから、ポロシャツを着た男性がそう声をかける。白いものが混じった髪や、口元に入ったしわを見るに、中年と言って差し支えない年齢だろう。


「えぇ、素敵なお嬢さんとたくさんお話ができたわ」


 制服姿の駅員が、持っていた板をホームと電車の間に渡す。男性が電車に乗り込み、車椅子の後ろに立つとゆっくりと押した。


「それは……母が大変お世話になりました」

「いえいえ、私もとても楽しい時間が過ごせました」


 深々と頭を下げられ、私も彼以上に腰を折る。

 駅員が板を取り、合図を出すのを横目に見ながら、私はご婦人に笑顔を向けた。


「色々とありがとうございました」

「私のほうこそ。あなたも、電車の旅を楽しんでね」

「母さん、彼女はどこかに行くために電車に乗ってるだけだよ」


 電車に乗ることが目的ではなく、移動手段として使っているに過ぎない。

 そう主張する男性に反論しようとしたが、扉が閉まるほうが早かった。

 笑顔で手を振るご婦人に手を振り返し、再度会釈をする男性にこちらも頭を下げる。

 加速していく風景の中に、ホームが溶けていく。

 私は無人の車両を見渡すと、ソファーの真ん中に座ってリュックからスマホを取り出し

た。

 窓の外では花火大会が開催されていた。

 暗い夜空に大きく咲く七色の花は、パっと強く輝いたのちに闇に消えてしまう。美しくて目を奪われはするのだが、無音の花火大会はどうにも夢中になれなかった。

 試しに写真のアプリを立ち上げ、レンズを向ける。スマホの画面には肉眼で見ているのと同じ光景が映し出されていた。

 親指で画面をタップすれば、カシャンと音を立ててシャッターが切れた。

 今しがた取れたばかりの写真が左下に表示されるが、なんの変哲もない郊外の風景が写し出されていた。

 今度は連続で撮ってみるが、一つとして花火を写しているものはなかった。なんだかおもしろくなくて動画も取ってみるが、今目に見えている光景を残すことは出来なかった。


(もしも撮れたら、志保に見せるんだけどな)


 あの日、確かに私は妹と一緒に窓の外を翔る馬を見た。

 今でも妹があの時のことを覚えているかは分からないが、きっとこの不思議な光景を見れば思い出すはずだ。

 今日の私が、思い出したように。


(どうせなら、また一緒に白馬を見れたら良いな)


 あの羽の生えた、真っ白な馬。

 あれがペガサスなのかユニコーンなのか、いまだに分からないけれども。

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車窓の鯨 佐倉有栖 @Iris_diana

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